5.1.3.玄い墓標
童子は低い声で語り続けた。
童子「サナキ将軍は神軍の中でも、四方の将軍達の中でも老練として知られています。寿命のない神人として彼は悠久の研鑚を続けていました。武技は神の域に入り、智謀は深く鬼策を計りました。人品清廉にして厳しくも穏やかな方でした。厳冬の至りにほっと息を吐く暖かな日差し。小春日のような方でした。
そんな彼が冷徹無比の目をしていたのです。眦を決し、瞳には慈悲の一片もありません。怨仇、怨敵、憎むべき悪鬼を睨み付けました。
龍とても北岸を滅ぼそうと来たからには、老将軍の威儀にも怯みません。紅い瞳を爛々と輝かせて討つべき相手を睥睨しています。
瞬時、サナキ将軍の肩が僅かに落ちました。両手に構えた槍が風を纏って伸びました。あれは神軍大将の持つ宝器の槍であったのでしょう、穂先は珍しいことに尖ってはおらず正面には八花形の鏡を付けておりました。大気をうねらせる槍撃は、穂先が千切れたかのように間合の外にまで飛びました。
龍は向かい来る刺突を巨躯に似合わぬ素早い動きで躱しました。穂先は後肢の一本が踏み締めていた場所に呑み込まれました。
サナキ将軍はこの時にも元の場所から一歩も動いてはおりませんでした。千切れたように見えた穂先は、正に千切れていたのです。将軍は一歩たりとも動かずにして、槍の穂を飛ばして龍を攻撃したのです。しかし何ということか、彼が手にする神槍には穂先が付いたままなのです。飛ばした後から生えたのか、飛んで行ったのは分裂したものであったのか、それは分かりませんが。
いずれにしても将軍の手捌きは素早く二度目の刺突を放ちました。龍は後ろ跳びに避けました。が、そこへ飛び来たる三突目の穂先。龍は体を捻って宙へと飛び逃れました。
宙へと逃れども刺突は射られ、次から次へと飛び来ります。空も安全地帯ではありません。龍の向かおうとする先へ、将軍の予知にも似たる攻撃が飛んで来ます。
空では上下左右へ逃れ得ますが、素早い動きは出来ないと見え、龍は地上へ降りました。それでも将軍の攻撃は続きました。龍は避けます。その足元が順々に弾けて幾十もの穂先が地面に呑まれました。
それがどれほど続いたでしょうか。いえ、実際には僅かな時間であったのでしょうが、体感としては相当なものに感じられました。
そして僅かな一つの隙、一方的な攻勢であったのが、ついに龍も四つ脚を踏み締め、轟と鳴る気勢を発して顎を大きくかき開いたのです。
それと見る間、サナキ将軍の片手は槍から離されて、滑らかな動きで胸の前まで動いたかと思うと、その手には印が結ばれていました。全身からは唸るような気迫が発せられておりました。
──飛花七十鏡。
将軍の口からそのような言葉が零れ落ちました。
その瞬間、黒龍の足元に点在していた穂先の跡から黄光が噴き上がって天へと伸びて行きました。細い光は龍を取り囲むようにして旋回しました。
張り切った龍の尾が光に触れました。キインと鋭い音がして、尾は切断されました。この光、これに触れれば強靭無比の龍の体であったとしても切り裂かれてしまうようです。
寒気すら覚える光の柵は徐々に狭まって行くように感じられました。
そこへいつの間にやら槍を両手で構え直したサナキ将軍が鋭い刺突を放ちました。穂先は風を帯びて真っ直ぐに飛びます。狙いは正に龍の胴体、その真ん中。狭まり行く光の柵に監禁されて身動きの取れない黒龍へ向かって神槍の穂先は翔んで行きます。
穂先の跡から放たれる光であっても龍の体に傷を付けるのです。ならば穂先そのものであれば貫くことすら出来るでしょう。黒龍は死地に置かれたと思われました。
将軍ですらそう思ったのではないでしょうか。
そして穂先が光の柵へと到達するかと思われた、正にその時、龍の咆哮が上がりました。
怒号は柵を引き千切りました。
光の柵はバラバラと解けて、切れた凧糸のように地へと落ちて行きました。龍は大口を開けたまま、確と大地を踏み締めています。
耳鳴りがしました。
と、将軍の姿を見てみれば。彼の胴には向こうが見えるほどの大きな穴が開いていたのです。
龍の一声により穂先は撥ね返されたのであったのでしょう。そして術者の手を離れた穂先は龍によって引き起こされた空圧によって逆に将軍へと向かい掛かり貫いたのです。
サナキ将軍は両膝を着きました。ゆっくりと倒れ伏しました」
童子は黙り込んだ。じっと思い返しているようだった。
アラ「勇壮な、最期であったのですね」
童子「ええ。あれこそが神軍大将。その実力かと思い知りました。尊敬すべき方でした。
その後です。砂塵も治まり大気も静まり返ってから、龍の姿も消え失せて、風も死闘を忘れた頃、私は大地に穿たれた穴の一つに彼の遺体を埋葬し、標たるべき石を探しておりました」
アラ「私が貴方に会ったのはちょうどその時」
童子「貴方に手伝って頂いて、墓に標を立てました。北海の将軍、彼に相応しいこの場所に」
深沈とした会話を交わす二人の側にはその真新しい、黒石の墓標が冷たい風に吹かれていた。
童子「どうか彼のために祈ってください」




