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4.3.8.虚ろなるもの

 粘弾の連射も虚しく魔物はアライソの接近を許した。大太刀は既に振り上げられていた。それを目前にした魔物はにやりと、──そのようにアライソには見えた、──口許を歪めた。この瞬間を待ち構えていたかのように。


 魔物の全身を覆う外殻が(ひび)割れて、白濁した線が無秩序に走った。黒い外殻が小さくなったかに見えた。


 アライソの大太刀は振り下ろされていた。もう動きは止められない。


 外殻は小さくなったのではない、その隙間から白濁液が()み出して、表皮から溢れていたのだった。


 魔物の全身から「厄災」の乳液が四方八方へ噴出した。一瞬にして、まるで魔物の体が破裂したかのようだった。


 室内は壁も床も天井もがその瞬間に焼け焦げた。いたる所からぶすぶすとした白煙が上がっていた。そんな中に魔物は破裂も何もなかったかのように屹然として立っていた。元通りの黒い姿で。


 そんな魔物の数歩先に、純白の布地の大きな包みが落ちていた。黒焦げた室内で、それだけは何事もなかったかのように白々とした光沢を放って飽くまで静かに鎮座していた。


 魔物はそれを見て舌打ちした。その包みが何であるかをここまでの戦いで察していた。片腕を上げて軽く揺すって、手首の辺りから外殻を一枚発射した。


 外殻は包みに突き刺さるかと見えるや音も立てずに透過した。案の定。そしてガツンと床に刺さった音がした。


 包みがもぞもぞと動き出した。端が開かれるとその中からはアライソが現れた。片手には大太刀もしっかり握られている。包みとは三保羽衣(みほのはごろも)であった。


 魔物が破裂する一瞬前、アライソは異変を察知するや羽衣を目前に広げた。だがそれだけでは既に斬り下ろしている動きは止まらない。大なり小なり粘液を浴びることになる。そこで彼は羽衣を大太刀の切先にまで伸ばし、そして切先の触れる一点だけを固くした。その後は体を前に捻り、斬り下ろす勢いを以って回転しつつ、太刀で羽衣を広げながら、全身を羽衣で覆ったのだった。


魔物「小賢しい真似を。大人しく死ね」


 アライソは羽衣を左腕に巻き付けて、端を長く垂らしながら、右手一本で大太刀を青眼に構えた。


 ふとした考えが脳裏を過ぎった。


アラ「どうしてお前は私を殺そうとするんだ」


 相手は苛立たし気に声を震わせた。


魔物「何度も言っているだろう。それが本質だからだ」


アラ「そうだ。それがお前の本質だ。何故理由もなく相手を殺せる。いや、何故かと言えば、それは理由がないからだろう。お前の中には何もない。何もないから相手を滅ぼそうとするのだろう」


魔物「何が言いたい」


アラ「お前が滅ぼそうとしているもの、この世界を大切に思っているのか」


魔物「思うはずがない!」


アラ「この世界を司る、女神を尊ぶ気持はあるか」


魔物「持っているわけがないだろう! 女神、女神。お前もそんなものを信じているのか。神など俺には見えはしない。神なるものにも会ったことはない。見えないもののために動こうとするなど、馬鹿だ」


アラ「私は女神に会っている」


魔物「戯けたことを。本当に会っているのか? 見たことがあるのか? お前の妄想に過ぎないのではないのか?」


アラ「事実として会っている。だが、それがたとえお前の言う通り女神に会ったのが想像の上であったとしても、それでも私は目にしている。心の内では会っている」


魔物「内面で神と会って、それが一体何だと言うのだ。外の世界には居はしない。俺の中にもそんなものは居やしない」


アラ「そうだ。それが私とお前の違いだ」


魔物「見えないものには会いはしない。そんなものなど存在しない」


アラ「そうだ。お前の中に神はいない。お前の中には何もない」


魔物「お前が神に会っていると言うのなら、そんなものは妄想だ。頭の中のまやかしだ。神などお前の心の中にしかいない。そんな妄想。俺は違う。俺は正気だ。見えないものなど信じない」


アラ「私達は違うものだと認めたな。お前の中には神はいない。私の心には女神が確かに存在する。それが違いだ」


魔物「だから何だ。それがどうした。どうでもいいわ、そんなもの。だがそれならば仕方がない。それなら俺は、人を殺すは性ではないが、お前も殺して潰してやろう」


 魔物の左腕がすっと上がった。その腕がすっと切り離された。どさりと鈍い音を立てて地に落ちた。


 一瞬のことに魔物は左肩を見下ろした。切断面からは粘液が凄まじい勢いで吹き出していた。意図せぬ体液の奔騰(ほんとう)に困惑した。


 が、その困惑もすぐに終わった。傾げた首がずるりとずれて、落ちて行った。床に転がる彼の頭はもはや何も見も聞きもしていなかった。


 白濁した体液を首根から噴出させて立っている胴体の向こうに、その様を静かに眺めるアライソの姿があった。羽衣を前面に(はた)めかせながら、飛沫をそれで防ぎながら、大太刀を片手でさっと血振りして、左目の眼窩に納刀して、黒く硬い殻皮で覆われた魔物の体が崩れていく(さま)を眺めていた。


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