3.2.7.投資の方法 ①
──投資でもしたら?
と瀬羅は言った。
稼げるようになってからも荒磯の生活は、瀬羅との付き合いを除けば、変わるところはなかった。住んでいるのも元のボロアパートで、一人の時には調味料すら碌に使わない粗末な食事をし、彼女に買わされる以外には服も新しくしなかった。
金というものをどんなところで使えばいいのか分からなかった。殆ど使わず銀行口座に眠っており、持て余していた。それをぽろっと瀬羅に零した。その返事がさっきの言葉だった。
──投資と言われても、何も分からないし……。どんな会社がいいのか、とか。決算の資料? そういうのも見てもさっぱり。というか見たこともないし、経営だの数字だの何が何だか。
瀬羅は、仕方がないなあ、というように肩を竦めて、
──分かった。それじゃあ教えてあげる。いい? 投資には正解がある。これが最高の答え。絶対にして唯一の正解。
──最高とか絶対とか胡散臭い……。それに教えて貰ってもね。知識はゼロだし、出来るとは思えない。
──出来るよ。はっきり言うけど、投資に知識なんていらない。経験も不要。そんなものは小賢しいことを考えて変なことをするようになるだけだから、むしろない方がいい。投資の王道は誰にでも出来る方法だよ。
──誰にでも、ね。だけど損する人も多いんでしょ。
──それは欲の皮を突っ張らせて変なことをするからだよ。変なことをしなければいいだけ。
──変なことね。私は何も分からないから教えられたこと以外をするとは思わないけど。
──それなら大丈夫。貴方なら出来るよ。
──ううん。それなら聞くだけ聞いてみようかな。だけど、そんな秘訣みたいなものを教えてくれちゃっていいの?
──いいよ、私と貴方の仲だから……。なんてね。本当は秘訣でも何でもなくて、投資をやってる人なら誰でも知っているものだよ。
──それなのに、やらない人がいるのは何で?
──欲の皮が突っ張ってる人が多いからね……。特に、わざわざ投資なんかをしようとする人は。
──ふうん。まあ、いいや。それでは先生、教えて下さい。
──勿体ぶってもしょうがないから答えだけ言うね。それは、インデックスをドルコスト平均法で積み立てるだけ。終わり。
──インデックス……。
──インデックスというのは簡単に言うと、日経だとかダウ平均だとか、そういう指数と同じように動くやつだよ。そういう商品。指数と連動するものだから、一々個別の企業研究とかしなくていいし、何も見ずに、何も調べずに、何も考えずに買えばいいだけ。何もしなくていいんだから誰にでも出来るでしょ?
──本当に何も考えなくていいなら出来るかも知れないけど……。
──買い物が出来るなら出来るよ! それで、ドルコスト平均法というのは、月に何万円とか周期と金額を決めておいて、買うものの値段が上がってようが下がってようが、定期的にその金額の分だけ買う方法。安くなってれば沢山買えるし、高くなってれば少ししか買えないけど、そういう方法。
──買う量じゃなくて、金額。
──そういうこと。それで、大事なことだけど、ドルコスト平均法は、景気が良くなりそうだとか、悪くなりそうだとか、そういうことも考えちゃ駄目。これから不景気になるだろうな、と確信していたとしても、期日が来たら必ず決めておいた金額の分だけ買うこと。
──絶対に不景気になるって分かっていたとしても?
──そうだよ。だって分かるの? 貴方は未来が見える?
──見えないけど……。
──そう。人間には予知能力なんてないんだから分かるわけがない。一体いつ、経済がどうなるかなんて誰にも分からない。たとえどんな天才アナリストだろうが予言なんて出来ない。だからこうして機械的に動くの。どんなプロの投資家でも、インデックスを上回るパフォーマンスを出し続けることなんて出来ない。予言者じゃないんだからね。ましてや素人なら猶更でしょう?
──うん、まあ、予言者じゃないし素人だけど……。
──どんなに素晴らしい成績を出しているアクティブファンドのマネージャーでも、どれだけの知識と判断力があったとしても、超能力者でない以上は同じこと。インデックスを超える成果を出すのは不可能だとさえ言ってもいい。だからこれが正解。これが投資の最適解。
──そういうものか……。疑ってるわけじゃないんだけど、難しいことをせずにやれるのなら、それじゃあ、そういう風にやってみようかな……。銀行口座に金を眠らせておいても仕方がないから。少しだけ。貴女もそういう風にやってるの?
──私は……、私も欲の皮が突っ張った側の人間だから……。個別もちょっと……。へへえ……、お金で遊ぶの楽しい……。
──そう……。
──ともかく! 投資をするならインデックスなんだよ! とは言え、投資は自己責任だからね。私は貴方にやるべきだとも、やるべきではないとも言わない。投資はするかしないかの段階から本人の判断。投資は全てが貴方の責任。言われた通りにやって、それでたとえ損をしたとしても私は文句を聞かないよ。
──うん、まあ、分かった。
──それで、最後にもう一つ……。さっき、私を先生って呼んだでしょ。あれ気持良かったからもう一回言って。
荒磯は先生先生と何度も繰り返し、瀬羅は頬を緩めて嬉しそうにし、その場で一緒にネットで証券口座の申し込みをした。
二週間後、口座開設の知らせが届いた。証券会社のサイトで瀬羅に名前を教えられた二、三のインデックス銘柄を検索するとすぐに出て来た。後はこれらのどれかを少しずつ買えばいいだけなのだが、いざ金を使うとなると躊躇した。
彼はぐだぐだと迷い、他のページに行ったり戻ったりした。そうしている内に社会になど興味のない彼ですら知っている企業の名前を幾つも見付けた。こうした有名企業の株も買おうと思えば買えるのかと、はああ世の中というのは意外と狭いものだなあと思いつつ、また別のページを開いたり、ランキングやらを見てみたり、ニュースの目次を眺めたりした。
しかし華やかな企業もあれば色彩に欠けた企業もある。一株が何千円とする有名企業もあれば、数十円にしかならない名前も知らない企業もあった。市場が開いている間はずっと値段が動いている銘柄もあれば、じっと見ていても約定しない銘柄もあった。前日のデータを見れば数百株しか売買されていないものもあった。荒磯はそうした冴えない雰囲気の銘柄を見て、いじらしく思った。
その種の銘柄が何となく愛おしくなり、結局何も買わないのに証券アプリを開いては、それらの内の幾つかを観察するようになった。
つい何日か前に決算発表のあった銘柄があった。内容を読むと、前年度よりも売上も利益も上がっていて、業績予測も上方修正したと、何だか良さそうなことが書いてあった。それでもその銘柄は下がりもしないが上がりもしなかった。その会社は誰からも注目も期待もされていなかった。荒磯は可哀想になり、一株三百四十円のそれを百株買うことにした。
数日しても殆ど値動きはしていなかった。そもそもが滅多に売買すらされていなかった。心がきゅんとなり、もう少しだけ買ってあげた。
何週間後かに見てみると、そこのチャートはじわじわと下がって行っていた。二百七十円。随分な下がりようだった。荒磯が最初に買った値段よりも二割も安くなっていた。駄目な子ほど可愛がる母親のような気持になってまた買い増した。
少し上がればお祝いの気持で買ってあげた。また下がった。
そんなことを続けている内にその銘柄の株式を大分集めてしまっていた。気が付けば五百万円も使っていた。取得平均は三百円弱。幾ら何でもこれ以上は使えないと思い、買うのは止めた。スマホの株アプリで表示されている時価総額は使ってしまった金額よりも低く、含み損になっていた。
損をしている現実に引き戻されて、マイナスの数字を目にするのが嫌になり、彼はアプリを削除した。投資のことを思い出すとその損が連想されるため、もう株なんかに手は出さないようにしようと思った。