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第二十六話 婦女子の手のひら

「先生はどうしてここへ?」

「ああ、孫を連れて来たんだ。ほら、あそこだ。子供向けの鈍い球コースにいる」

 田村の指差した方角には小さなバッターがいた。

「ややっ、女の子ではないですか!野球少女なのですか」

「ああ、小学校に上がってからはどういうわけか打ちたいと言って聞かないのでね、爺の小遣いでああして遊ばせてやっているわけだ」

 田村は歳の分だけ出来た顔のシワを寄せて微笑んだ。

「ははっ、先生も学校じゃ厳しくしても、可愛い孫娘には甘いってわけだ」

「そりゃ可愛いがるが、甘やかしはせんよ。教育者の端くれらしく、甘やかすと可愛がるは別物と心がけておる」

「これは勉強になります。僕もそろそろ父になるので、その辺は意識して生活しますよ」


 打席を終えた田村の孫娘がこちらに歩いて来た。彼女は祖父の横にいる見慣れない男の存在に気づくと、これといった感情がこもっていないような顔でそちらをを向いた。

「やぁやぁ、田村先生のお孫さん」と言うとこれぞうは屈んで彼女を抱き上げた。

「わぉ~赤ちゃん、高い高いだ~」

「赤ちゃんじゃない。私、7歳で小学生」

 ムスッとした顔で孫娘は答えた。

「おおっと、確かに。生まれて七年も立てばもう赤ちゃんの名は返上してしまっているよね」と言うとこれぞうは彼女を下ろした。

「おじいちゃん、誰これ?」

 孫は誰だから分からない男を指差すと、祖父の顔を見て言った。

「これはワシの学校の元教え子でな……」

「おおっと先生!自己紹介は僕から是非」これぞうは田村が喋るのを遮って話し始めた。

「はじめましてお孫さん、僕は五所瓦これぞう。以後お見知りおきを。さてさて、僕と田村先生の関係はというとね、そうだなぁ、まぁ僕は教師田村薫の一番弟子と言ったところかな」

 これを受けて孫は祖父の方を向くと「そうなの?」と尋ねる。

「ううむ、一番の名を与えるのはちとアレだが……まぁそんなところだ」

 孫は再びこれぞうの顔を覗き込む。

「私、田村あかね」

「えぇ!なんだいあかねだって!だったらやっぱり君はあかちゃんだったんだね」と言うとこれぞうはまた屈んで、あかねを抱き上げた。

「わぁ~い、再び高い高いだ~、しかも僕の姉さんと名前が一字違いだぞ~」

 これぞうがはしゃいでると、あかねはこれぞうの頬をピシャリと打った。

「下ろして!」

 これぞうは言われた通り下ろした。そして二秒程打たれた頬を片手で抑えるとまた喋りだす。

「先生、困りますよ。街行くナイスガイを打擲することを良しとする教育方針を取られては!それに婦女子たる者、やはり備えるべきは慎み。人に簡単に手を上げるのだとそれが備わっているとは言えません」

 田村はこれを聞くと笑って答えた。「ふふっ、今のはお前が悪い。お前こそ婦女子の扱いを心得るべきだ。今までは、そこらの人より変人に対応できる水野先生が相手だから良かったが、この先娘が生まれたりしたら益々そこの能力が必要になるぞ」

「はぁ、そうでしょうか……」

 これぞうは屈んであかねと視線を合わせた。

「うぅむ。今のは僕に非があったね。仲直りしよう」これぞうは手を差し出した。

「これぞうは分かってない」と言いいながらも、あかねは笑ってこれぞうの手を握った。これにて和解成立だ。

「むむぅ、会って間もないのにもうファーストネーム呼びかい。なかなか詰め寄るね。まぁしかし、大きさに関係なく君もまた婦女子の一人だ。学びを得させてもらうよ」

「これぞう、しっかり勉強しなさい」あかねは得意げに言った。

「ははっ、この偉そうな感じ、田村先生の授業みたいだ。懐かしいなぁ」

 これぞうはあかねと仲良しになり、その後もベンチで談笑し、互いのバッティングを見合ったりした。


「先生、知らなかったけど、子供ってのは良いものですね。かく言う僕も少し前まではあかねちゃんくらいだったけど、主観と客観てのはやはり違う。こうして大きくなって客観的に子供を見ればやはり可愛らしいと思えます」

 これぞうはあかねの頭を撫でながら田村に言った。考えて見れば、こうして子供と触れ合うことはこれまでほとんど経験したことがなかった。

「それが真に分かる日は近いさ。他人の子供でそれだけ可愛いのだから、自分のを抱いた時はもっと愛しくなるぞ。楽しみにしておけ」田村は微笑んで返した。

「経験者は語る、ですね。先生、今の一言は教師として、またそれを離れても達観した一大人として、なかなか重みある一言でしたよ。胸に響きました。やはりベテランは言うことが一味違う。僕も春からは人を教え導く側に回る。こいつは一つ勉強になりました」

「おじいちゃん、これぞうは何を言ってるの?」あかねはこれぞうと祖父を交互に見て言った。

「ははっ、あかねには分からんでいいことさ。そいつの言うことは半分くらい謎だから気にせんで良い」

 

 これぞうはあかねに大変気に入られたので、その日は途中まで手を繋いで帰った。

 ここでこれぞうは想う。みさきの手にだって男の物とは全く違う柔らかさと暖かさがある。しかしあかねの手は、同じ婦女子のみさきともまた違った子供特有の柔らかさと暖かさがあった。生まれ来る我が子とも、いつかはこうして手を繋いで歩きたい。

 これぞうは豆が出来た手を見てニヤつきながら家路を辿った。悪いことを考えている訳ではない。ただ未来が楽しみなのだ。

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