第二十三話 すごいぞ発明
「それにしても自転車って発明はすごいよね」
これぞうは自転車の素晴らしさを姉に説いていた。晩飯の後、これぞうは姉の部屋に来た。どうしても今日あったことを彼女に伝えたいらしい。
「楽して景色が変わるってすばらしい。自転車は徒歩よりも数段楽に景色が変わるけど、車よりは苦労する。楽さで言うと徒歩<自転車<自動車という順番になるだろう?」
「じゃあ、あんたを一番感動させるのは自動車じゃないの?」あかりは食後のアイスキャンディーを舐めながら答えた。
「ノンノン、そこはちょっと事情が違うんだよ姉さん。いいかい、自動ではなくあくまで人力で、且つ徒歩よりも楽というところが味噌なんだ。文明の恩恵を受けながらも、それにまったく凭れかかってはいない。自転車は人様が力を加えないとただの車輪二つだよ。良き発明と人とが手を取り合い、半々の力をあわせて一つのものとして成り立つのが素晴らしいのさ。徒歩では疲れすぎて、自転車ならまったくの機械頼りだ。そこへ来ると自転車はその点が半々だ。程よく便利で程よく疲れることで、文明と共に生きているなぁって実感が湧きやしないかい?その実感ってのが取りも直さず人生の充実とは思わないかい?」
これぞうが長々と語る内に、あかりはすっかりアイスキャンディーを食べ終わってしまった。
「あんたはあんなチンケな乗り物一つを乗り回すのによくもそこまで感動を膨らますことが出来るわね。未開の地から来た人間でもあるまいに……そうしていちいち新しいことに感動してるわけ?だったらあんたの人生ってとても楽しくて幸せでしょうね」
「ははっ、まあね。以前『魔風恋風』っていう明治時代に発表された小説を読んだことがあるんだけど、自転車を乗り回す女子が登場するんだよね。明治の世から今日になっても残っているんだからやっぱり自転車ってすごい発明なんだよ。ね?姉さんもそう思わない?」
「私も自転車にはよく乗るけど、いくら暇な時でも自転車についてそこまで紐解いて考えたことはなかったわ。それだけにあんたって感じやすい子なんだろうけど、同時に暇人でもあるわよね」
「ははっ、まぁ時間があれば物事を考えることはしていたいよね。これも趣味なもので」
こうして姉弟はいつも通り内容が濃いようでそうでもないような微妙な話題を持ち出して談笑していた。
そこへ扉をノックする音が響いた。扉から顔を出したのはみさきだった。
「あの、お風呂空きましたけど……」
風呂上がりのみさきからは、シャンプーと入浴剤の良い匂いがする。濡髪がまた日中以上に色気を醸し出している。
「え!入るなら言ってくれた良かったのに」と姉弟は同時に発した。そしてその後顔を見合わせた。
「姉さん、僕は夫だから良いけど、姉さんが人の妻の風呂に何の用があるというんだい?」
「なに言ってるのよ。愚弟のお嫁さんなら背中を流した……流すくらいのサービスをしないと姉の名がすたるでしょうが」
二人共要はみさきと風呂に入りたかった訳で、そのため小競り合いを始めた。みさきは五所瓦家の誰からも人気があった。
「さ~て、みさきさんと一緒でないのが少し残念なところだけど、そこはみさきさんの出汁が取れた風呂をいただくことでまぁ良しとしよう」と言うとこれぞうはあかりの部屋を出ようとする。するとあかりは「あっ、私が先に入るわ」と言ってこれぞうの行く手を塞ごうとする。
「ちょっと姉さん。今日の僕は自転車の練習で疲れているし、転んで体も汚れてるんだぜ。先に入らせてよ」
「あ~ら、じゃあお姉ちゃんと一緒に入ればいいじゃない?20メートルしか焦げないお間抜けさん」
「えぇ!いや、それは嫌、という訳ではないけど、いけないよ。みさきさんがいるのに……」
これぞはソワソワしながらあかりとみさきを交互に見た。
「あらそう。じゃあお姉ちゃんの後にしなさい。待てるわよね?」
「はい……」
こうしてこれぞうはあかりに征されて風呂の順番を後にされた。いつだってこれぞうはあかりに敵わない。
あかりの部屋の外にはこれぞうとみさきのみが残った。
「ははっ、まったく姉さんには敵わないね。みさきさん、良い風呂だった?」
「……出汁が取れるくらいにはね」みさきはツンとしてそう言うと、くるりと向きを変えて寝室へ向かった。
「ああっ、みさきさん?ごめんよ。あれは冗談で、悪かったよセクハラ発言でした」
これぞうは早足で去る妻を追うのであった。




