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第二十一話 自転車に乗りたいこれぞう

「へぇ~はぁ~そうなんだぁ~」

 自転車屋がチェーンをはめるのを見てこれぞうは驚嘆の声を漏らした。自分があれだけ手を尽くして出来なかったことを目の前のおじさんは三十秒とかからず済ませてしまったからだ。

「へぇ~やっぱりプロだ。素人がいつまでやっても出来ないことをサクッと済ませちゃうんだからすごいよなぁ~」これぞうは腕組をして感心していた。

「ははっ、まぁチェーンをはめるくらいなら朝飯前よ」自転車屋は朝飯前の仕事を済ませて言った。

「あっ、ご主人、このお代は?」これぞうは財布を取り出して言った。

「は?兄さん、それならいらないよ。チェーンをはめるくらいサービスでいいから。それよりも、彼女の前でちょっと格好がつかないだろうからさ、チェーンの直し方くらい覚えときなよ。それから俺はここの息子で、まだ時期主人の身だよ」

「はぁ、こいつはあっぱれ。サービスの質良く、人生の助言も一本頂けるとは憎い商売スタイルだ」こんなことを言ってこれぞうは自転車屋の仕事に満足していた。

「姉さん、少し変わった彼氏ですね?」自転車屋は小声で松野に言った。

「はぁ、そうですね。よその彼氏ですけどね」松野は笑顔でそう返した。


 二人は自転車屋を後にして歩き出した。時刻は16時前で通りは西陽に照らされていた。

「あーよく走る~」松野はチェーンがはまった自転車を試し乗りしてみた。彼女の柔らかい髪が風になびいて踊っているようにも見える。しばらく見ない内に松野は益々女性らしくなったとこれぞうは思った。

「うん?どうしたの五所瓦君」これぞうの視線に気づいて松野が言った。

「いや、君が気持ちよく自転車で流すのを見て、そういえば僕は久しく自転車に乗っていないなと思ってね」その瞬間にはそんなことなど考えていなかったが、これぞうは即座にそう返してみせた。

「へぇそうなの?じゃあちょっと乗ってみる?」

「いいのかい?じゃあちょっとだけ」

 これぞうは久しぶりに自転車に跨った。椅子の高さは彼には少し低いくらいだった。久しく味わう感覚だが、彼はなんてことないと思ってペダルに足をかけた。これぞうの両足が地面から離れると運転が開始される。

「うぉ、わぁ!」

 自転車はぐらついて道を行く。今にもこけそうだ。松野がそう思った瞬間、バタンと音を立ててこれぞうはこけてしまった。

「五所瓦君大丈夫?」

 松野はこれぞうに駆け寄った。

「うん、まったく問題ない……」

 これぞうは地面に胡座をかいて考え始めた。

「うん、乗れないなぁ。僕が最後に自転車に乗ったのはいつだったのだろう。そもそも僕は自転車に乗ったことがあったのだろうか……いやいや、それは確かにあるはずなんだ。だって僕は自転車に跨って見た景色を覚えているもの……」

 考えに耽るこれぞうを前にして、松野は学生時代にも見たことがある彼独自の自問自答タイムが始まったと懐かしい思いになった。

「とりあえず、今は乗れないんだから、乗り方を忘れちゃったんじゃないの?」

「そうだなぁ、雀だってどれもこれもが百歳まで踊りを覚えているわけではなかろう。中には五十や六十で忘れてしまう者もいるだろう」

「五所瓦君はまだ二十年そこそこしか生きてないけどね」

「ああ、百歳まで体の記憶がしっかりしている雀がいるのに対して、僕の体はその五分の一の時間で記憶を失ってしまったんだなぁ。でもくよくよすることはない。忘れたのならまた思い出せば良い」

 これぞうは立ち上がり、倒れた自転車を起こした。

「うん、自転車に乗れない今日の僕だが、自転車に乗りたいなぁ。僕は自転車に乗れるようになりたいぞ!」

 これぞうは決心を口にした。それもけっこうでかい声でだ。

「まだ晩ご飯まで時間もあるし、特訓に付き合おうか?」

「本当かい松野さん?」と言うとこれぞうは松野の両手を握った。「君はこれから結婚するってのに自転車にも乗れない男の特訓に付き合ってくれるっていうのかい?だとしたらなんて殊勝な心がけのお嬢さんなのだろう」 

「う、うん。少しくらいなら面倒見るよ。それから、五所瓦君はそうしてすぐに女性の手を取る癖を直した方がいいよ。もう旦那さんなんだから」

「おっと、失敬。こいつは素直に友好の証であって、男女間で発するいやらしい動機の元に起こしたアクションではないと理解してくれたまえ」

「そこは疑ってないよ。だって五所瓦君はあの時からずっと水野先生にベタ惚れなんだから」

「へへっ、そうかい?そう言われると照れてしまうなぁ~。まぁその通りなのだけどね」

 こうして二人は夕陽差す公園で自転車の特訓を開始した。

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