第二十話 「やったことがない」と「出来ない」は違う
図書館を後にしたこれぞうは、間もなく交差点で信号待ちをするはめになった。そこで自転車を押して歩く女性がこれぞうの横に並んだ。視界に入ったものだから、思わずこれぞうは遅れてやって来た彼女に目を向けた。
「あれ、君はもしや!」とこれぞうは彼女を指差して言う。指差された彼女もまたこれぞうを指差して「あっ!」と言う。このやり取りで二人が知り合いだと分かる。
「松野さんじゃないか!」
「五所瓦君!」
二人は相手の名前を呼び合った。
これぞうが松野ななこと初めて会ったのは高校でのこと。松野が女子として衝撃的な出会いを果たした男子が五所瓦これぞうだった。それだけに彼女はこれぞうに関心を示したのだが、それは前作参照。
「やあやあ松野さん。久しぶりじゃないか」
「五所瓦君こそ、こっちに帰ってたんだね」
「そりゃ帰って来ますとも。僕はなにも糸の切れた凧というわけではないんだ。根を張ったこの地に帰るのはごく自然なことさ」これぞうはヘラヘラしながらそう言った。
「五所瓦君って相変わらず変なこと言うのね」
友人二人は談笑に花を咲かせて交差点を渡った。
「そう言えば君、自転車を押してどうしたんだい?」
「うん、実はね、チェーンが外れちゃって」
「だったらはめればいいじゃないか」
「それが自分では出来ないの」
松野はその人生において長い期間を自転車に跨って過ごして来た。しかし、チェーンが外れたのは二十二年生きて初めてのことだった。ゆえにこの場合の対処が分からない。
「なんだい君、長いこと自転車に乗っていてチェーンの手入れも出来ないのかい?」
「じゃあ五所瓦君は出来るの?」
「どれどれ、見てあげよう」
公道からやや外れた芝生の上にスタンドを立てて自転車を駐輪すると、これぞうは屈んでチェーンをガチャガチャといじってみた。
しばらくその行動を続けてこれぞうはあることを想い出した。
「あぁ、こいつはすっかり忘れていた。かく言う僕も自転車なんてほとんど乗らないから手入れや修理のことなんて何も知らないんだ。はっは~」間抜けに笑ってこれぞうは自分の人生を振り返った。自分だって二十二年生きているが、いつだって徒歩で移動し、最後に自転車に乗ったのなど一体いつだったか思い出せない。ゆえに修理や手入れだってしたことがない。
「なんだ。やっぱり五所瓦君も直せないんじゃない?」
「まぁまぁ君、そうは言ってもやったことがないと出来ないとでは少し事情が違うよ。全くのビギナーだけど見事成功、なんてことがあるだろう?えーと、そういうの何て言うんだっけ?」
「ビギナーズラックね」松野は笑顔でこれぞうの物忘れをサポートした。
「そうそう、それそれ!僕にもそれがあるかもしれないじゃないか。急ぐのでなければ僕のビギナーズラックに賭けてみるといい。修理屋に頼む手間が省けるかもしれないじゃないか」
「はいはい。じゃあ五所瓦整備士にまかせてみようか」そう言うと松野もこれぞうの横に屈んだ。
手を真っ黒にしてチェーンをいじっているこれぞうの横顔を松野は見ていた。
それから五分後。
「うーん。すまない。駄目だ。色々やったが謎だ。はまらない」
依然チェーンは収まるべき箇所を大きく外れ出てダランと下に垂れている。これぞうは手を真っ黒にして働いた感だけは演出したが、その実何も働きを得ることが出来なかった。
「ふふふっ……はっはは」松野は腹を押さえて笑い出した。
「どうしたんだい松野さん?修理は完了しなかったんだよ」
「いや、そうだけどね。なんだか面白くて。やっぱり五所瓦君って色々変わってる」
「ははっ、そうかい。僕は一般人に過ぎないのだけどね」
ひとしきり笑い飛ばすと、松野はある方向を指差した。
「あそこに自転車屋があるから、そこまで行って見てもらうことにするわ」
「なんだ、少し先にプロがいたのか。ビギナーらしく初挑戦は不発に終わったけど、まぁこれも一つの経験として飲みこもう」
これぞうは前向きな想いで前進し、自転車屋を目指した。




