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社交界のしがらみ

 

 メルディは屋敷の庭でブランケットに包まり、膝を抱えて椅子に座っていた。

 夕日がゆっくりと隠れ、橙から紺に絵の具で塗りつぶしていくようだ。

 夜は嫌いだ。心が弱くなり心細くなる。

 不安で震える心を抱える様に膝を抱きしめる。

「お嬢様。旦那様がお帰りです」

 メルディはブランケットを放り投げ、急いで玄関へと走って行く。

「おかえりなさい!」

 メルディの出迎えに、ロックベル伯爵は微笑んで答えた。

「帰り、遅かったですね。……何かあった?」

 疲れた様子の父に、心配気に声をかけた。

「……狩りの途中でブライトンの息子が殿下の使いでやって来た。ニーベルグを連れて行ったが、慌ただしく何かあったのだろう」

「……そう」

「お前はどうした? 慌てて」

「あ、うん。実はルワンダ公爵夫人から私にお誘いがありました。上位の家格の方のお誘いをお断りすることもできないし、どうしたらと思って相談しようとお帰りを待っていました」

 父はコートと手袋を侍従に渡しながら答える。

「行くにしろ断るにしろ返事は待たせるべきではない。おそらくルワンダ夫人はお前とブライトンの息子との関係を探りたいのだろう」

「え?」

 驚くメルディに呆れた顔を向ける。

「年頃の未婚の二人が何度も会えば、噂が立つ。社交界とはそういうものだ。父親同士仲がいいだけだと、噂を否定してきなさい。ルワンダ夫人は噂好きのご婦人だから、誤解を解くには打ってつけだ」

「……貴族って、面倒臭い」

「言葉遣いには気を付けなさい」

 メルディは慌てて口を抑える。

「お前は私の娘で、貴族だ。いつまでも下町で育った感覚を持つものじゃない」

「……はい」

 父はそのまま母の元へと向かい、メルディも胸を撫で下ろしてルワンダ夫人へ返事を書くため自室へと向かった。


 馬車に揺られながら公爵邸へと向かう。今日はガーデンパーティーを模した気楽なお茶会と聞いていたが、到着するとメルディよりも上位の貴族方がずらりと席について待ち構えていた。

 心の中で静かにため息を溢す。中には母親と共に同じ年頃の娘もいた。

 従者の、自分の到着を告げる案内に室内の皆の視線が集まる。上から下までを観察され、値踏みするような視線が実に居心地が悪い。

 なるほど。アラン様は彼女たちにとって結婚相手としては相当魅力があるらしい。

 メルディは覚悟を決めて部屋へと入って行った。

「本日はお招きありがとうございます」

 ルワンダ夫人に挨拶をすると、夫人は笑顔で椅子に掛けるよう勧めた。

 それから近況や世間話をし、この会の目的であるアランの事をさりげなく問いかけられた。

「そういえば、メルディさんはブライトン子息と随分親しいようね。どういった関係か伺ってもいいかしら」

「ブライトン様とは父同士が親しく、その関係で少しお話をしただけです」

 話がアランの事へと移れば今まで世間話をしていた他の方々も話を止めて聞き耳を立てている。

「私にとっては皆さまと変わりなく接したつもりでしたが、妙な噂が立って戸惑っておりました。やっと弁解が出来る機会が得らえましたわ。感謝いたします、夫人」

 大げさに胸を撫で下ろすしぐさを見せると夫人は出鼻をくじかれたのか、戸惑っていた。

「まあ、そんな毛嫌いするような言い方は良くないわ。ブライトン子息はとても魅力的な方でしょう?」

「はい。だからこそ私のような者と噂になることに申し訳なく思っているのです」

「そうね。あなたは伯爵令嬢ですが、ブライトン子息は侯爵家。家格が釣り合わないお付き合いはよろしくないもの。それに、彼は殿下と親しい方です。殿下に御子がお生まれになり、次代の王子が誕生の折にはブライトン子息がお守り役として任命されることは、陛下が既にお決めになっております。それだけ王族と親しい方なのですよ」

「……」

 王太子の友人で一番の信頼を得たアラン。彼が新たに誕生する王子のお守り役となる。そんなにすごい人だとは初耳で素直に驚いたメルディだった。

「……実は、ブライトン様のお姉様方にも釘を刺されました」

「四華のお姉様方も弟とご実家の事を想っての事でしょう」

「はい。『偽物も判別できない方に侯爵家はそぐわない』と、言われてしまいました」

 夫人は言葉の真意を見かねているようでメルディは説明を始めた。

「実はその時に付けていたアクセサリーの宝石が偽物だったのです」

「まあ!」

 何人かが扇の向こうで笑っている声が隠そうともせず聞こえたが、メルディは聞こえないふりをして話を続ける。

「お恥ずかしい話ですが、レントン商会を信じ切っておりました、私も愚かでした」

 その名を耳にした途端、ざわり、と部屋の空気が一気に変わる。

「レントン商会で買われた物なの?」

「はい。私の家ではレントン商会の商人が月に一度屋敷にやってきます。アクセサリーはその時に買ったものですが、まさか偽物だなんて。お気に入りで出かける時はいつも身につけておりました。夜会でも付けていたのですが、誰一人気付かなかった物を、さすが四華と呼ばれる方々です。一目で見極められるなんて……」

 何人かの女性が不安そうに自身の宝石に目をやる。

「それで、本当に宝石は偽物だったの?」

 食い入るように問いかける夫人にメルディは間を取ってゆっくり答える。

「はい。後で調べていただくと、精巧に作られた偽物でした」

 扇の向こうは嘲笑から驚きへと変わり、夫人も息を呑んでいた。

「しかも偽物は他にも二つあり、お父様は怒って取引を止めました。お金は、まあ、勉強代として目を瞑りましたわ。そんなわけで、私のような者が侯爵家にはふさわしくない、と勿論自覚はしておりましたが、今回の一件で恥ずかしくもはっきりと気づきました」

 メルディの話に部屋中がしんと静まり返る。夫人は一瞬何の話をしていたのか忘れ、思い出したかのように慌てて「あなたも魅力的な方ですから、あまり悲観なさらないで」と慰めた。

「ありがとうございます」と礼を言って立ち上がる。

 もう誰もメルディを呼び止める者はなく、思う存分花を愛でることができた。


 ルワンダ公爵のお茶会から気持ちよく家路についたのだが、屋敷に戻るとニーベルグ伯爵の逮捕の知らせを受けた。それと同じタイミングでアランからの手紙が届く。

 先日の父の話でニーベルグ伯に何か起きたのは予感していたが、それが逮捕という事なのだろう。

 急いで部屋へと籠り机の上で手紙を開いた。

 そこには順を追って事の顛末がしたためられ、マリアの遺体が発見されたことが書かれていた。胸が締め付けられたのは、悲しいからでも、恐怖からでもない。

 うれしかった。

 事の詳細が書かれた手紙に、メルディは知らずに頬を濡らしていた。


 ニーベルグ伯爵の凶行と逮捕という事件は、煽情的に社交界に瞬く間に広まって行った。

 世間を震撼させたニーベルグ伯爵の事件で当たり前のように伯爵家の風当たりは強くなった。社交界は伯爵の失態を嘲笑しながらも、下手に悪事をつつかれても困るような者も多いらしく、早く無かったことにしたいと伯爵の件は徐々に非難から無関心に変わっていった。しかし忘れられたわけでもなく、フレッドの言う通り伯爵家の再興は不可能に近いだろう。

 代わりに今回の事件を軍部と警備隊が協力して事を成したことに注目が集まっていた。また、誰もが孤児たちの置かれていた現状にショックを受け、様々な場所から支援の輪が広がっている。ニーベルグ事件で犠牲になった少女たちが、これからの子供たちの未来に光を指してくれた。彼女たちの死を無駄にしないためにも、アランも責任ある保護をする立場として改めて考えさせられる事件であった。

 王太子は孤児失踪事件をただの事件では済まさず、レオンによって軍部と警備隊の架け橋をさせたことで『メルディ事変』で失墜した信頼を取り戻し、うまく世論に両組織の好印象を与えた。そして孤児院には孤児達の名簿と所在を徹底させ、失踪時は届け出るよう義務付けた。孤児院の改革にまでこぎつけたのだから、さすがというものだ。

「僕はもう少し『裏ローチェ』の事を調べてみるよ」

 レオンはニーベルグ伯の凶行の隠れ蓑になっていたクラブを根絶するために動くことにしたようだ。あまり無理はしないよう、又協力は惜しまないと強く伝えた。

 そして、マリアの身を案じていたメルディ。一報を手紙で知らせたが、彼女には自分の口からきちんと報告をし、マリアの本を返さなければと思っている。


 事件から一週間後の夜会で会ったメルディは、令嬢メルディのままアランに礼を言った。

「事件の事は噂で聞きました。巻き込んでしまいすみません」

 人目もあり互いに詳しくは話せず、マリアの本だけはその場でメルディに返すことが出来た。

「彼女の遺体はロースリ通りの教会に、他の孤児たちと共に埋葬されました。これでゆっくり眠れると思います」

 メルディは本を受け取ると暫く俯いていた。

「……ありがとうございました。これでやっとマリアにこの本を返せます」

 そう呟いて礼をしたメルディが、ふとマリアと面識があるのではないかと思った。しかし問いかける前に彼女が何かに気付いて一歩後ずさりしたのでアランも振り返った。

 こちらに向かってきたのはルワンダ公爵夫妻。先程挨拶を済ませたばかりだが、夫妻の方から再び声をかけてきた。

「半年前の新興宗教の襲撃の話を仲間達としていたのだが、殿下のお考えをお聞きしたいと皆が言っている。アラン、少しいいだろうか」

「わかりました。では後程そちらに――」

「メルディさん、うちの娘が先日のお茶会であなたの事を気に入ったようなの。もっとお話をしたいようでお相手してくださる?」

「……勿論ですわ」

 メルディは頷き、アランと視線を合わせずに「失礼します」と去ろうとする。「後でまた話をしましょう」と声をかけたが、薄く微笑んで会釈されただけでメルディは去って行く。

「……たしか。ロックベル家には跡取りがいないのでお婿さんをもらわないといけないのよねえ。あなた、いいご縁があれば紹介してさしあげたら?」

「うむ、そうだな――」

「新興宗教の件は殿下もお心を砕いておいでです。私も皆さんのお話を伺いたいですね」

 夫人の問いかけにルワンダ公が答えを出す前に、アランは話を元に戻す。

 あからさま過ぎたか、夫人は扇で顔を隠し訝しんだが、ルワンダ公はそのままアランの話に乗ってくれたので安堵する。

 暫く公爵方のお相手をし、区切りをつけるとアランはその輪から抜け出し、再びメルディの姿を探した。

 メルディは会場のどこにも見当たらない。庭にでも行ったのだろうか。彼女は堅苦しい会よりも庭園を散策したり、自然や花が好きなのだと短い付き合いだがそう感じていた。アランはメルディを探しに外へ出た。

 案の定メルディは庭園の四阿におり、数人の令嬢たちに囲まれていた。ルワンダ公爵令嬢とその仲間達と共にまだ話しているようだった。

「……こわい」

 メルディが一人ならば良かったのに。あの女性達の中にはさすがに入っていけそうにないとアランの足はぴたりと止まり、出直そうと引き返した。

「……」

 アランの足が引き返すのを止めたのは少女たちの会話が途切れ途切れに聞こえ、不穏な雰囲気だったから。

「わたくしたちは親切心で言っているのよ? あなたは記憶も無くお可哀そうな方だから」

「はい」

「家同士の格というものがありますの。勿論勘違いなさるご令嬢も中にはおりますけど」

「相手は侯爵家のしかも殿下とも親しいお方ですから。変な噂が立てばあちらにもご迷惑でしょう?」

「同じ貴族でも、あなた程度の方が親しくしていい方ではないわ」

「……そうですね。先程は私がご挨拶をしていただけで――」

「でしょうね」

「誰もあなたがお相手になるなど思っていないわよ」

「……」

「伯爵家の娘が、勘違い等なさらないように」

「……はい。勿論です」

 公爵家の娘達はメルディが素直に聞き入れた事に物足りなかったのか、去り際に礼を取る彼女の髪に止められている飾りをわざと払い落とした。

 かしゃん――という金属の音の次に無残にも踏みつけられて粉々に壊れる音が響く。

「あら。踏んでしまいましたわ」

「もう使えないわね。でも、偽物のようだからよろしいわよね」

 謝るどころか笑っている姿にアランも拳を握った。

「その髪ではもうお帰りになられた方がよさそうよ」

「ほほほ」と扇の向こうで笑い声を隠さずに令嬢たちは去って行く。

 メルディは暫くお辞儀をしたままで、アランが近づく足音にも気づかなかった。アランが壊れた髪飾りを拾う音でやっと顔を上げたのだが、せっかく奇麗に結われていた髪が解けて頬に一房流れ落ちていた。

「! アラン様。お怪我をしますからどうかそのままで」

 慌てて彼女もアランの隣に座り込み、その手を止めさせる。

「……すみませんでした」

「アラン様が謝ることではないでしょう?」

 メルディは気にした様子もなく答えるが、彼女は明らかにアランと親しくしたせいで嫌がらせを受けてしまった。今日の様な上位の貴族が集まる夜会ではもっと周囲の目に配慮するべきだった。

「本当は止めに入るべきでしたが、余計に迷惑をかけそうで……」

「そうですね。ああいう時に助けに来る殿方はただの自己満足で、女性を守れたかというと逆効果です。女の付き合いはこれからも続いていくんですから」

 気に病まないよう明るく話すメルディに、逆にアランの方が救われてしまう。

「女性の……ああいう所は好きになれない」

 彼女たちはアランの前では淑女を演じ、陰では弱い物いじめをしている。

「……確かに私も好きじゃないですけど、別に女性に限ったことではないでしょう。男性も、見栄を張ったり牽制したり、仲間の振りをしてライバルを蹴落としたりします。私だって奇麗な考えばかりではないもの。アラン様は――きっと裏表のない誠実な方なのでしょうね」

「え?」

「人間の二面性なんて、誰にでもありますよ。善と悪。慈悲と残虐。相反する心と行動。自分が分からなくなる……なんて心理とは無縁のようですね。ふふ」

 眉間に皺を寄せて聞いていたせいかメルディはアランを聖人君子のような括りに勝手にしてしまったようだ。

「女性を嫌いにならないでください。彼女たちはきっとアラン様が好きなのです。純粋に想いたいだけなのに嫉妬に駆られる。やり方は気に入りませんが、気持ちは理解できますから」

 だからといってメルディを囲んでいわれのない非難と侮辱を、相手が好意を持っているからといって何でも許せるわけではないし、好意を受け入れるかはアランの気持ちもある。だが――

「私は、メルディは嫌いではない」

「……だから無自覚は罪に入ると言うんです」

 メルディは嫌いじゃない。怖くない。もしメルディの言う通り、彼女にも二面性があるとしても、きっとアランはそれも含めてメルディを受け入れられる気さえした。

「そうか……」

 女性の二面性が怖いと思っていたが、そんなものメルディの言う通り人間ならば大なり小なり誰にでもありうる。それを受け入れられるか――。アランは決して姉達を嫌ってはいない。裏では文句を言いつつ、実際は四人とも夫を愛し、幸せに暮らしている事をアランだって知っている。

 メルディの話を聞いて、自分の固執した考えに気付き、引っ掛かりが解けたようで心が軽くなった。そして、メルディの存在が自分の女嫌いといわれる所以を取り払う第一歩に思えてきた。

「今度、一緒に観劇に出かけませんか?」

 唐突な申し出にメルディは驚いた顔をしていた。それから少し怒った顔で、「今、私の話聞いていました?」と口を尖らせる。

 聞いていた。聞いたからこそ彼女ともっと一緒にいたいと思った。

 メルディは崩れた髪を解き、そのまま背中に流してしまう。その仕草がやけに艶めかしく美しかった。


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