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時止まりの令嬢と女嫌い侯爵  作者: 千山芽佳


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9/33

社交界のしがらみ

 

 メルディは、屋敷の庭でブランケットに包まり、膝を抱えて椅子に座っていた。

 夕日がゆっくりと地平線に沈み、橙から紺に空を塗りつぶしていく。

 夜は嫌いだ。心が弱くなり心細くなる。

 不安で震える心を慰めるように、膝を抱きしめた。


「お嬢様。旦那様がお帰りです」


 メルディはブランケットを放り投げ、玄関へと走った。


「おかえりなさい!」


 メルディの出迎えに、ロックベル伯爵は微笑みを向けた。


「帰り、遅かったですね。……何かあった?」


 疲れた様子の父に、心配気に声をかけた。


「狩りの途中でブライトンの息子が殿下の使いでやって来た。ニーベルグを連れて行ったが、慌ただしく何かあったのだろう」

「……そう」

「お前はどうした? そんなに慌てて」

「あ、うん。実はルワンダ公爵夫人からお誘いがありました。上位の家格のお誘いをお断りすることもできないし、どうしたらと思って相談しようとお帰りを待っていました」


 父はコートと手袋を侍従に渡し、メルディと並んで歩いた。


「行くにしろ断るにしろ返事は待たせるべきではない。おそらくルワンダ夫人はお前とブライトンの息子との関係を探りたいだけだろう」

「え?」


 驚くメルディに、父が呆れた顔を向ける。


「年頃の未婚の二人が何度も会えば噂が立つ。社交界とはそういうものだ。父親同士仲がいいだけと噂を否定してきなさい。ルワンダ夫人は噂好きのご婦人だが、誤解を解くにもまた打ってつけの人だ」

「数回会っただけで……。貴族って面倒臭い」

「言葉遣いには気を付けなさい」


 メルディは慌てて口を抑える。


「お前は私の娘で、貴族だ。いつまでも下町で育った感覚を持つものじゃない」

「……はい」


 父はそのまま母の元へと向かい、メルディもルワンダ公爵夫人への返事を書くために、自室へと向かった。





 メルディは、馬車に揺られながらルワンダ公爵邸へと向かっていた。

 今日はガーデンパーティーを模した気楽なお茶会と聞いていたが、到着するとメルディよりも上位の貴族がずらりと席について待ち構えていた。

 心の中で静かにため息を溢す。母親と共に同じ年頃の令嬢もいた。

 従者がメルディの到着を告げる。

 室内にいた人々の視線が一気に集まった。

 上から下までを観察され、値踏みするような視線が実に居心地悪い。

 アランは彼女たちにとって結婚相手としては相当魅力があるらしい。

 メルディは覚悟を決めて入室した。


「お招きいただき感謝申し上げます」


 ルワンダ夫人に挨拶をすると、笑顔で椅子に掛けるよう勧められた。

 まさか隣に座らされるとは思わなかった。

 だが、この会の目的はメルディとアラン関係を探ること。案の定、ルワンダ夫人は世間話もほどほどにして本題に入った。


「最近、メルディさんはブライトン子息と親しいようね」

「はい。ブライトン様とは父親同士が親しく、お話する機会が多いです」


 話がアランの事へと移れば、今まで世間話をしていた人々も話を止めて聞き耳を立てていた。


「私にとっては皆さまと変わりなく接しているつもりですが、妙な噂が立って戸惑っております。こうして聞いてくださった方が、誤解を解けるので助かりますわ」


 大げさに胸を撫で下ろすしぐさを見せると、夫人は出鼻をくじかれたのか戸惑っていた。


「まあ、そんな毛嫌いするような言い方は良くないわ。ブライトン子息はとても魅力的な方でしょう?」

「はい。だからこそ私のような者と噂になることに申し訳なさを感じるのです」

「そうね。あなたは伯爵令嬢ですが、ブライトン子息は侯爵家。家格が釣り合わないお付き合いはよろしくないもの。それに、彼は殿下と最も親しいお方です。殿下に御子がお生まれになり、次代の王子が誕生の折には小侯爵がお守り役として任命されることは、陛下が既にお決めになっております。それだけ王族と親しい方なのですよ」


 王太子の友人で一番の信頼を得ているアラン。彼が新たに誕生する王子の守り役となる。

 そんなにすごい人だったとは……。素直に驚くメルディだった。


「実は、ブライトン様のお姉様方にも釘を刺されました」

「四華のお姉様方も弟とご実家を想ってのことでしょう」

「はい。『偽物も判別できない方に侯爵家はそぐわない』と、言われてしまいました」


 夫人は言葉の真意を測りかねているようで、メルディが補足した。


「実は私が付けていた宝石が偽物だったのです」

「まあ!」


 何人かが扇の向こうで笑い声を立てていた。メルディは気にせず続けた。


「お恥ずかしい話です。レントン商会を信じ切っておりました私が愚かでしたわ」


 その名を耳にした途端、ざわり、と部屋の空気が一変した。

「レントン商会で買われた品なの?」

「はい。私の家ではレントン商会の商人が月に一度訪ねて来ます。アクセサリーはその時に買ったものですが、まさか偽物だなんて思いませんでした。お気に入りで出かける時はいつも身につけていました。それでも、誰一人として気付かなかったものを、一目で見極められるなんて……さすが四華とうたわれる方々ですね」


 何人かの女性が不安そうに自身の宝石に目を向けた。


「それで、本当に宝石は偽物だったの?」


 食い入るように訊ねる夫人に、メルディは間を取ってゆっくり答えた。


「はい。調べたら精巧に作られた偽物でした」


 扇の向こうは嘲笑から驚きへと変わり、夫人も息を呑んで固まっていた。


「しかも偽物は他にも二つあり、お父様は怒って取引を止めてしまいました。お金は、まあ、勉強代として目を瞑りましたわ。そんなわけで、私のような者が侯爵家にはふさわしくない、と勿論自覚はしておりましたが、今回の一件で恥ずかしくもはっきりと気づけました」


 メルディの話に部屋中が静まり返る。

 夫人は一瞬何の話をしていたのか忘れ、思い出したかのように慌てて「あなたも魅力的な方ですから、あまり悲観なさらないで」と慰めた。


「ありがとうございます」


 メルディは礼をして立ち上がった。

 もう誰もメルディを呼び止めない。そのまま庭に出て

思う存分花を愛でた。


 ルワンダ公爵のお茶会から気持ちよく家路についたメルディ。

 屋敷に戻ると、ニーベルグ伯爵の逮捕の知らせを受けた。驚くと同時に、アランからも手紙が届く。

 急いで部屋へと籠り机の上で手紙を開いた。

 そこには、マリアの遺体が発見されたことが書かれていた。

 胸が締め付けられたのは、悲しいからでも、恐怖からでもない。


 うれしかった。


 事の詳細が書かれた手紙に、メルディは知らずに頬を濡らしていた。



     ***



 ニーベルグ伯爵の凶行と逮捕という事件は、煽情的に社交界に瞬く間に広まった。

 世間を震撼させたニーベルグ伯爵の事件で、当然ながら伯爵家への風当たりも強くなっていた。

 社交界は伯爵の失態を嘲笑しながらも、下手に悪事をつつかれても困る者も多く、徐々に非難から無関心に変わっていった。

 それでも、フレッドの予想通り伯爵家の再興は不可能に近いだろう。

 今回の事件では、軍部と警備隊が協力して解決したことにも注目が集まっていた。

 また、誰もが孤児の置かれていた現状に衝撃を受け、支援の輪が広がっている。

 ニーベルグ事件で犠牲になった少女たちが、これからの子供たちの未来に光を指してくれた。

 彼女たちの死を無駄にしないためにも、アランも責任ある保護の立場として、改めて考えさせられる事件であった。


 王太子は孤児失踪事件をただの事件では済まさなかった。

 まず、世論に両組織の好印象を与えた。そして、孤児院には孤児の名簿と所在を徹底させ、失踪時は届け出るよう義務付けた。

 孤児院の改革にまでこぎつけたのだから、さすがである。


「僕はもう少し『裏ローチェ』を調べる」


 事件解決後、レオンはニーベルグ伯の凶行の隠れ蓑になっていたクラブを、根絶するために動くようだ。

 あまり無理はしないこと、協力は惜しまないと伝えた。


 そして、マリアの身を案じていたメルディ。一報を手紙で知らせたが、彼女には直接報告し、マリアの本を返さなければと思っている。


 事件から一週間後の夜会で会ったメルディは、令嬢メルディのままアランに礼を言った。


「事件は噂で聞きました。巻き込んでしまいすみません」


 人目もあり、互いに詳しくは話せなかった。マリアの本だけはその場でメルディに返すことが出来た。


「彼女の遺体はロースリ通りの教会に。他の孤児と共に埋葬されました。これでゆっくり眠れると思います」


 メルディは本を受け取ると、大切そうに抱きしめた。


「ありがとうございます。やっと、マリアにこの本を返せそうです」


 そう呟いて深々と礼をしたメルディが、ふとマリアと面識があるのではないかと思った。

 しかし訊ねる前に彼女が何かに気付いて、一歩後ずさりした。アランも振り返った。

 二人に声をかけたのは、ルワンダ公爵夫妻だった。


「半年前の新興宗教の襲撃の話を仲間達としていたのだが、殿下のお考えもお聞きしたいと皆が言っている。アラン、少しいいだろうか」

「わかりました。では後程そちらに――」

「メルディさん、うちの娘が先日のお茶会であなたの事を気に入ったようなの。話し相手になってくださる?」

「光栄ですわ」


 メルディは頷き、アランと視線を合わせずに「失礼します」と去ろうとした。


「後でまた話をしましょう!」


慌てて声をかけたが、メルディは控えめに微笑んで去って行った。


「ロックベル家には跡取りがいないので、お婿さんをもらわないといけないのよねえ。あなた、いいご縁があれば紹介してさしあげたら?」

「うん? そうだな――」

「新興宗教の件は殿下もお心を砕いておいでです。私も皆さんのお話を伺いたいですね」


 夫人の提案にルワンダ公が答えを出す前に、アランは話題を変えた。

 あからさま過ぎたか、夫人が扇で顔を隠し訝しんだが、ルワンダ公はそのままアランの話に乗ってくれたので安堵する。

 暫く公爵方の相手をし、区切りをつけるとアランはその輪から抜け出して再びメルディを探した。

 メルディは会場のどこにも見当たらなかった。

 庭にでも行ったのだろうか。彼女は堅苦しい会よりも庭園を散策したり、自然や花が好きなのだと短い付き合いでも感じていた。

 外に出ると、案の定メルディは庭園の四阿におり、数人の令嬢たちに囲まれていた。 ルワンダ公爵令嬢とその友人達と共に話しているようだ。


「う……、こわい」


 メルディが一人なら良かったのに。

 あの女性達の中に入っていくのは無理だ。アランは出直そうと引き返した。


「……」


 アランの足が止まり、引き返すのを止めた。

 途切れ途切れに聞こえてきた少女たちの会話が、不穏な雰囲気だったからだ。


「わたくしたちは親切心で言っているのよ? あなたは記憶も無くした憐れなお方だから」

「……はい」

「家同士の格というものがありますの。勿論勘違いなさるご令嬢も中にはおりますけど」

「相手は侯爵家の、しかも殿下とも親しいお方ですから。変な噂が立てばあちらにもご迷惑でしょう」

「同じ貴族でも、伝統の浅い伯爵家が親しくしていいお方ではないわ」

「……そうですね。小侯爵様とは挨拶を交わしただけで――」

「誰もあなたがお相手になるなんて思っていないわよ!」

「図々しい」

「不快だから勘違いなさらないで!」

「……もちろです」


 令嬢達は、メルディが素直に聞き入れた事に物足りなさを感じたのか、去り際に礼を取る彼女の髪止めをわざと払い落とした。

 かしゃん、という金属の音の後に、無残にも踏みつけられて粉々に壊れる音が響いた。


「あら、踏んでしまいましたわ」

「これではもう使えないわね。でも偽物のようだからよろしいわよね」


 謝るどころか笑って煽る少女達に、アランは悔しくて拳を握った。


「その髪では夜会に戻れないわね」

「お帰りになられた方がよさそうよ」


 扇の向こうで笑い声を隠さずに去って行った。

 メルディは、頭を下げたまま、アランが近づく足音にも気づかなかった。

 アランが壊れた髪飾りを拾ってようやく顔を上げた。  

 せっかくきれいに結われた髪が、一房解けて頬に流れ落ちていた。


「! アラン様。お怪我をしますからどうかそのままでーー」


 メルディがアランの隣に座り、その手を止めさせた。


「……すみませんでした」

「? なぜアラン様が謝るのですか?」


 それは、先程の会話を聞いて、メルディがアランと親しいせいで嫌がらせを受けたと思ったからだ。

 今日の様な上位の貴族が集まる夜会では、もっと周囲の目に気を配るべきだった。


「止めに入るべきでしたが、余計に迷惑をかけそうで……」


メルディが嫌がらせを受けているのを、黙って見ていることしか出来なかった。


「ああ、そうですね。助けに来られてもやっかみを受けたでしょうから、むしろ静観していただけてよかったです。助けたところで女性を守れるのはその時限りです。彼女達との付き合いはこれからも続きますから」


 アランが気に病まないよう、わざと明るく話すメルディ。言葉の節々に距離を感じてしまうのは気のせいだろうか。


「女性の……ああいう所は好きになれません」


 彼女たちはアランの前では淑女を演じ、陰では権力をかさに弱い者いじめをしていた。


「私も女性ですが」

「あ、メルディは違います!」

「同じようなことでは、男性は見栄を張ったり牽制したり、仲間の振りをしてライバルを蹴落としたりする印象ですね」

「すみません。主語が大きかったです」


歯切れの悪いアランに、メルディが「少し意地悪でしたね」と言って笑った。


「私だって、きれいな考えばかりではありません。二面性なんて誰にでもありますよ。善と悪。慈悲と残虐。相反する心と行動。自分が分からなくなるーー、なんて心理とは無縁のようですね。フフ。アラン様は裏表のない誠実な方のようです」


 眉間に皺を寄せて聞いていたせいか、聖人君子のような括りにされてしまった。


「……女性を嫌いにならないでください。彼女たちはきっとアラン様が好きなのです。純粋に想いたいだけなのに嫉妬に駆られる。やり方は気に入りませんが、気持ちは理解できますから」


 だからといって、メルディを囲んでいわれのない非難と侮辱をしていいわけではない。アランだって、相手が好意を持っているからといって何でも許せるわけではない。その好意を受け入れるかはアランの気持ちもある。

だがーー。


「私は、メルディは嫌いではない」

「……だから無自覚は罪に入ると言ってるんですよ」


 『女性を嫌いにならないで』と言われたが、ハッキリとメルディは嫌いじゃないと言えた。

 女性と認識しながらも、怖くないのは家族以外では彼女だけだ。

 もしメルディの言う通り、彼女にも二面性があるとしても、きっとアランはそれも含めて彼女を受け入れられる気さえした。


「そうか……」


 女性の二面性が怖いと思っていたが、メルディの言う通り人間ならば大なり小なり誰にでもあるだろう。

 大事なのは、どこまで許せて、受け入れられるか。

 アランは決して姉達を嫌ってはいない。裏では文句を言いながら、心から夫を愛し、幸せに暮らしていることを、アランは知っている。

 メルディの話を聞いて、自分の固執した考えに気付くことができた。

 凝り固まった考えが解けたように心が軽くなった。

 そして、メルディの存在が自分の女嫌いといわれる所以を取り払う第一歩に思えてきた。


「今度、一緒に観劇に出かけませんか?」


 唐突な申し出に、メルディは驚いた顔をしていた。それから少し怒った顔で、「今、私の状況を見てましたよね」と口を尖らせる。

 


「私の話をちゃんと聞いてました? アラン様は無自覚なところがありますよ。気を付けてください!」


 アランは肩を竦めるにとどめた。

 聞いていたからこそ、彼女の声をもっと聞いていたいと思ったし、もっと一緒に過ごしたいと思った。

 メルディは崩れた髪を解き、そのまま背中に流してしまう。その仕草がやけに艶めかしく美しかった。


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