女嫌い侯爵
アラン=ブライトンは女嫌い
侯爵家の跡取りでありながら、今日まで結婚も恋人も、許嫁や縁談さえうまく避けてきたアラン。家族でさえお手上げなアランの女嫌いは、確かにレオハントが心配するほど重症であった。
社交界にまで知れ渡る彼の女嫌いといわれる要因は、アランの四人の姉たちにある。
ラングロンド王国の歴史ある由緒正しいブライトン侯爵家の五番目の子供にして待望の長男として生を受けたアラン。上には年子の姉が四人おり、彼女たちは末っ子であったアランを大変可愛がった。……ある意味で。
『カカ』『ララ』『キキ』『ルル』――四人の姉達におもちゃの様に遊ばれ、下僕のように理不尽に扱われたアラン少年。
女とは、我儘で、我が強く、気性が激しい生き物で、決して口答えをしてはいけない。ひとたび口答えをすれば、倍の口撃×四で返り討ちにあう。そう、身を守るためには猛威を振るう自然災害のような姉たちに、決して逆らわず、波風立てずにいることが、被害を最小限に抑え、静かに暮らしていけるのだと、幼いアラン少年は悟った。
何よりもアランを怖がらせたのは、女は演技をするということ。
ある日の人目のない姉達の屋敷での会話。
カカ「マイクのあの気持ち悪いタイ、どこで売っているの? センスを疑うわ!」
ララ「クランジの話は長くて、大抵中身が無いの。家格だけは文句なしなのだけれど」
キキ「ジェロって真面目そうにしているけど、あれ絶対変態よ! 私を見る目が粘着質で気持ち悪い!」
ルル「ローリーなんて爵位捨てて夢追いかけるとか馬鹿な事言って。現実見ない男って、ないわ」
ある日の人目のある姉達の夜会での会話。
カカ「マイク様ってお洒落ですよね。そのタイなんて、個性的できっと誰も真似できないわ」
ララ「クランジ様のお話、ずっと聞いていたいわ。さすが博識の方は言う事が違いますのね」
キキ「ああ、ジェロ様に見つめられたら私、勘違いしそうになります……」
ルル「夢を追う男性って、素敵よ、ローリー」
裏では聞くに堪えない言葉で陰口を叩き合い、表では真逆の言葉で純情な男心を弄ぶ。
そんな女性の二面性を間近で見せつけられ、自分に好意を抱いてくる女性を、どうして好ましいと思えるのだろうか。疑わずにはいられない。
しかし、全ての女性が姉達のようではないと思うし、決めつけるのも失礼な話で、そうではないと信じたい。そう、女性の現実を知ってしまったアランでも、理想の女性像に夢を持ち続けることだけは諦めなかった。
いつか自分にも、心から信頼し、愛せる女性が現れるはず……と。
カカ「これだから夢見がちな坊やは」
ララ「大抵の女はあなたの顔と爵位に群がるの。見極めなさい」
キキ「待ってないで自分で行動しなさいよ」
ルル「あなた一生独身のまま?」
姉達の笑い声の中を真っ赤な顔で必死に堪えるアラン少年。別にアランだって女性に興味が無いわけではない。だから、アランも自分から近づこうと一歩を踏み出した。
大人しく、アランを囲む女性達の後ろで、いつも控えめに微笑んでいたあの子――。
勇気を出した少女がその日初めてアランに声をかけ、二人きりで庭を散策しようと誘ってくれた。女性は怖いが、彼女はアランを捲し立てる様な質問もしないし、頬を染めて俯く姿も愛らしい。そうだ。僕らはゆっくりでいい。ゆっくりと時間をかけて、互いを知っていければ――
「え」
そう思っていた矢先に、アラン少年はその少女に唇を奪われた。
「ど、え!?」
荒い息に、ぎらついた瞳。人目を避けたベンチに座った途端、あの大人しかった少女は豹変した。
「たす……誰かっ……! いやあああああああああ」
静かな庭園に木霊する情けない男の悲鳴――。
命、もとい純潔からがら必死に逃げて来たアラン。
ショックで三日間寝込み、本当に熱が出て更に四日寝込み、体が元気を取り戻すと恐怖体験のトラウマに苛まれ、そこから五日間外にも出られず、気持ちが落ち着いたころには、衝撃の事実を母から聞かされる羽目となる。
四人の姉たちが、そのままマイク、クランジ、ジェロ、ローリーと婚約を交わした。
「そんな……あなた達はそれでいいのか! マイクランジェローリー!!」
男とはなんて悲しい生き物か。
姉達は本性を隠しそのまま結婚をし、順番に嫁いでいったことで儚くも女性というものに抱いた夢を粉々に砕かれた――。
「女性って……怖いっ……!」
こうして情けなくも悲しい不運な男、『女嫌いのアラン侯爵』が誕生したのである。
そんなアランを、友人である王太子レオハントはいつも心配していた。
レオハントはその尊い血筋から、自ら表立って動くことが出来ないので、友人のためにアランは彼の願いをできるだけ叶えるために協力した。レオハントもアランを頼り、今では彼の知り得たい情報を探り、陰ながら支えている。
しかし女性が関係する事だけは、アランの代わりにレオンにやらせていたし、再三克服しろとは言われていても、無理にアランを関わらせることはしなかった。
レオハントは温かい目で、「いつかアランも女性に興味を抱かずにはいられなくなるさ」と優しく見守ってくれた。
そんなアランに浮いた話一つなく二十歳を過ぎた頃、巷ではこんな噂まで出回った。
王太子とアランの仲が良すぎるのではないか!?
「アラン。君、男色とかじゃ、ない……よね?」とレオハントの気まずそうな問いに、さすがに自分でもどうにかしなければと焦りだした。
女性に興味はある。しかし興味よりも恐怖が勝るアラン。
状況が一向に改善しないまま今に至る。
それに業を煮やしたレオハントは、ついに命令という形で無理やり女性と関わらせることにしたようだ。
きっかけ……。確かに、任務で命令となれば関わらずにはいられないし、メルディがアランに縁のある少女だったことから、レオハントは半ば強引に推し進めたのだろう。
「さて……どうしたものか」
今宵の夜会も、主役は『時止まりの令嬢』メルディ=ロックベル。
それを遠くで眺めているだけのアランは、お酒を片手に壁際に一人、先程から熱視線を向けてくる令嬢たちに気付かぬ振りをして観察中である。
メルディの周囲には老若男女問わず、大勢の者が彼女の話を聞こうと群がっていた。
その中で談笑するメルディは、記憶を失くしていたことを感じさせないほど積極的に接している。周囲と馴染んでいるメルディが、最近まで孤児として教会で暮らしていたとは、到底想像もつかない。
「あ……」
隣でこちらの様子を窺っていた令嬢の一人がアランの足元でハンカチを落とした。アランは勿論それを素早く拾い、隣の女性に「落としましたよ」と声をかける。それからおそらく手製の刺繍であろうモチーフを「素敵なハンカチですね」と褒めた。
当人以外の友人達も何故か皆で頬を赤く染め、アランに聞き取れるぎりぎりの小さな声で「あの……アラン様、よかったらご一緒してもよろしいですか?」と声をかけた。
「……」
勇気を出して話しかけてきたのは、伯爵家の令嬢二人と子爵家の令嬢。
「私は口下手なものですから、あなた方に退屈な思いをさせてしまいそうです」
そう丁寧に断りを告げて近くにあった花瓶から花を一輪ずつ引き抜き、それぞれを少女たちに渡してその場を後にする。
今度はもっと目立たないところから観察しようと足早に移動していると、慣れないドレスで人波に押し出された少女がアランの目の前でバランスを崩し、転びかけたところをそっとその手を引いて救い出す。
「あちらの方がまだ人込みも和らいでいる。壁沿いに移動すれば、一人でも大丈夫だね?」
聞くとデビューしたてと思われる少女は瞳を潤ませ大きく頷いた。
アランは再び前を向き、メルディから目を離さないよう移動を始めた。
その頃、そんなアランの様子をそっと覗き見ていたメルディの視線に気づいた少女達が、可笑しそうに声をかけた。
「ブライトン侯爵家のアラン様よ」
「アラン様……」
先程から会場の若い娘たちの視線の先には必ず彼がいた。ライトブラウンの髪に透き通るような茶色の瞳。すらりと背の高い見目麗しい貴公子に皆釘付けだった。
「アラン様、伯爵家の夜会に来るなんて珍しいわね」
「ええ。いつもはもっと上位の方の夜会にしか参加しないもの。ああ、ほら。せっかくの機会だと勇敢な子達が声をかけたわよ」
ハンカチをわざと落とし、アランの気を引く姿をメルディも見ていた。アランは何事か言葉をかけ、少女達に、花をプレゼントしてその場を去って行く。
「あらあら。またアラン様の隠れファンが増えてしまったわよ」
くすくすと笑いだす少女達。そして移動したアランは、今度は転ぶ寸前の少女を助けだし、膝を折って同じ目線で声をかけていた。
「本当に、罪作りなお方! あんなに見目麗しくてお優しく、紳士的なら、大抵の女性は恋に落ちてしまうわ」
「それにお家柄も侯爵家で申し分なく、殿下の御友人でもある。あの件さえなければ、完璧なお方なのにね」
「あの件とは、何です?」
メルディは興味を惹かれたように、目を丸くして少女達に尋ねた。何も知らないメルディに、少女たちは一拍置いて、親切に教えてくれた。
「「「『女嫌いのアラン侯爵』」」」
声をそろえて可笑しそうに言う。メルディは驚いた表情で、アランの先程の態度で、彼が女嫌いとは到底思えないと言った。
「アラン様にはお姉様が四人もいらしてね、そのお姉様方がアラン様を女性には優しく、紳士的にと理想の男性に教育なさったのだと仰っていたわ」
「ブライトン四姉妹は結婚される前まで、社交界の『四華』と呼ばれるほど華やかで美しい方達だったの。勿論結婚されてからも美しく素晴らしい女性よ。四華に囲まれてお育ちになったのですもの。よっぽどの美人でもなければ、アラン様のお眼鏡には止まらないはず。どんなに美しく取り繕っても、私達になびいてくださらないのも当たり前よね」
「じゃあ、女嫌いっていうのは……」
「アラン様がそう演じているだけよ。本当にアラン様が女嫌いなわけ、ないじゃない」
「そして相手にされない令嬢たちが、悔し紛れに冗談でそう呼んでいるの。これは内緒よ?」
楽しそうに、それからアランの過去の素敵な話を嬉々として聞かせてくれた。
メルディも時折声を立てて笑い、少女たちの話に耳を傾ける。
女嫌いが、演技?
メルディはアランが壁際に移動してため息をつき、額を拭って荒い息を整えている姿を見逃さなかった。
やっと静かな場所に移動できたアラン。途中令嬢たちに捕まるアクシデントもあったが、なんとか平静を装って切り抜けられた。女性には何事にも倍で返すべし――そう姉から教育を受けていたこともあり、アランはいつも断るときは何かしらの言葉をかけるようにしていた。そうでなければ陰で何を言われるか、分かったものじゃない。
額の汗を拭うと、視線を感じて振り返る。
メルディは――……いつの間にか年頃の娘達と歓談中である。
いいかげんメルディに接触しなければ、苦手な夜会に何のために来たのか分からなくなる。
よし、今から自分があの輪の中に積極的に入って――
「いけるわけがない」
周りの少女たちが先程からこちらをちらちらと盗み見ながら笑っている。アランが少女達に笑われている。
「……こわい……!」
周りの少女たちが怖くて近づけない。顔は平静を装えても、首から下は嫌な汗が溢れている。
明日……明日から頑張ろう!
レオハントには申し訳ないが、アランは作戦を練り直す必要があると判断し、踵を返して堂々と玄関ホールへと向かった。
玄関ホールではアランと同じように帰り足の男達がいた。彼らの後ろ姿に見覚えがあり、アランはその背に声をかけた。
「やあ、フレッド、キース」
フレッドとキースは同時に肩がびくりと跳ね、驚いた顔でこちらを振り返った。
「ああ、アランか……。久しぶり」
控えめに手を上げて挨拶したフレッド=ニーベルグは、伯爵家の嫡男で、大人しい性格と小柄な体格が特徴の男だ。
「……」
変わって隣の体格のいい仏頂面はキース=レントン。レントン家は爵位こそないが国内でも有名な商家で、次の叙勲ではレントン家が男爵位を賜るのではと専らの噂だ。跡取りの彼はフレッドとは反対に商家らしくしっかり者でやや気が強い男だ。そんな正反対の二人は学生の頃から仲が良く、いつも一緒にいた。
キースはアランに軽く会釈しただけで、不機嫌そうに会場の方へ戻って行った。その横柄な態度に、さすがの温厚なアランの眉間にも皺が寄る。二人はアランと同じ学校に通った仲だったが、それほど親密だったわけではない。しかし先程のキースの態度では、随分と嫌われていると勘違いしそうになる。
「……具合悪そうだな。大丈夫か?」
釈然としないまま暫くキースの背を見送った後、振り返るとフレッドの顔色は真っ青で、アランが心配で声をかける。
「そ、そう? あ、いや、そうなんだ。僕、ちょっと具合が悪くて、もう、帰るね……」
小柄なフレッドは、体を更に縮こませて周囲を警戒しながら歩いていく。目を合わせようともしないフレッドに、アランは従者に馬車の手配を急ぐよう促し、その腕を支えてやった。
「ありがとう……。ごめん、アラン」
尚も真っ青で憔悴した顔のフレッドは、ずっと周囲を見回し警戒していた。
彼がただ具合が悪いだけのようには思えないアランは、フレッドに何か気になる事でもあるのかと聞く。先程のキースの様子も気になった。二人は喧嘩でもしたのだろうか。
フレッドは瞳を左右に揺らし、その蒼白の顔を更に青くさせながら、小さく口を開いた。
「時……の……」
「?」
聞き返そうとしたところへ、馬車の用意が出来たと従者が声をかける。
「……いや、何でもない。それじゃあ……」
フレッドは口を閉ざし、項垂れたまま馬車に乗り込んで行ってしまった。
残されたアランはフレッドの様子が気になり、自分も帰ろうとしていたことを忘れ、暫く佇んでいた。静まり返った玄関ホールの向こうから、楽団の優雅な曲が漏れ聞こえ、ダンスの始まりを知らせた。
「しつこいわ、リック。私は踊らない。踊るなら他の女性を誘って」
突如女性の声が頭上から聞こえ、振り仰ぐ。
「僕は君の付き添いで今夜の夜会に来たんだよ? それではあんまりだ」
「だけど初めから踊らないと伝えていたわ。それを皆の前でダンスの申し込みをするなんて……」
「友達の前なら君も無下に断れないだろう?」
二階のエントランスでは若い男女が言い争っていた。
「君にどんなに嫌われていても、僕の気持ちに嘘はない。分かってほしいんだ」
「きゃ!」
女性の悲鳴を耳にした途端アランの手が階段の手摺にかかる。余計なことかもしれないが、どうにも女性は男に好意的とは思えなかった。無体な事をするようなら止めなければと体が咄嗟に階段を駆けあがる。
「……離して……このっ卑怯者が!!」
ん? 今物凄い低い女性の声がしたような……
「この独りよがりの卑怯者の見栄っ張り! あんたの気持ちなんて知った事じゃない!」
先程と同一人物かと思うほどか細かった女性の口調が急変し、大声での啖呵にアランの足は階段の途中で止まり、驚きで口が大きく開く。
「……君のその言葉遣い、直した方がいいよ」
男は拳を握り、顔を真っ赤にしながら大股で踵を返し去って行った。
ふうと息を吐いてすっきりした顔の女性がこちらを振り向いた瞬間、隠れるのを忘れたアランとばっちり目が合ってしまう。
「……アラン様?」
「……メルディ嬢?」
このなんとも気まずい出会いが、アランとメルディの長い付き合いの始まりであった。