第30話
私は、椅子に座っていた。
気づかないうちに、ギターをスタンドに立てかけて。
鏡に映る自分が、ひどい顔をしている。前髪が額に張りついて、肩が小さく上下していた。
アンプのパワーランプだけが、赤く点いたままだった。
肩が重い。力の抜き方を忘れている。
胃の底にあった泥を吐き出したみたいな、生理的な嫌悪感が喉を掻きむしる。
私――何をしてたんだっけ?
「アヤ。飲みなよ」
手渡されたペットボトル飲料は、スタジオの熱気にそぐわない冷たさだった。
顔を上げる。
お姉さんが私を見ていた。
ああ、そうだった。この人と、スタジオに入ったんだった。
「目……」
「目?」
咄嗟にまぶたに手を当てた。
目玉がチカチカする。頭が爆発した気がする。何が見えてたんだろう。
覚えていない。
指先が震えていて、錆びた鉄を舐めたみたいな味が、口に残っている。
ひとつあるとすれば、彼女の音がとてつもなく怖かったこと。整った響きが胸の奥に渦巻いていて、それがただただ恐ろしかった。
なのに今、終わったことを受け入れると、漠然とした寂しさが込み上げてきている。
矛盾した感情を、どう言えばいいのかわからない。
「最後の、よかったよ」
「最後……?」
「アヤは獣だね。ライオンが叫んでるみたいだった」
その言葉の意味を、私は測りかねた。
頑張って追いつこうとした。苦しくて叫んだ。それは、確かだった。
「いいよ、思ってた通りだ。結構好きだよ、アヤのこと」
「え……えっ!?」
思いがけず立ち上がる。
お姉さんは笑わなかった。私の反応を面白がるでもなく、ただ黒いギターをケースに収めていた。
その手つきが丁寧で迷いがなくて、見ていたら胸が痛んだ。
「やろうよ、バンド」
ケースの金具をパチン、と閉じながら、こっちを見ないまま。
「……え?」
「今のアヤが一番いい。私はそういうのを探してた」
ついにこちらに向き直った彼女は、ふっと微笑んでそう言った。
「これからは私とやろう」
目の前に差し出された手を見る。白く、鋭い。
この人が何を言っているのか、わからなかった。
「で、でも……私、下手くそですから……お姉さんは、私なんかとは――」
「いいよ、それで。プロの技術は求めてない。私は、私を壊してくれる人がいればいい」
「それは――」
どういうことですか? とは聞けない。
まだ飲み込めていないから。
まるでそれは――
……駄目だ。その先が浮かんでこない。
やろうよ、バンド。
その言葉が胸の中で転がるたび、別の声が混ざった。
スバルちゃんが「行こ」と言った暗がり。イブキ先輩が頷いてくれた気配。
あの人たちとの音は、まだここにある。ぐしゃぐしゃのまま、消えていない。
だけど、私はこの人の前に立っている。
「あの……」
「何?」
「私……まだ名前を伺ってないです……」
「ああ、そうだっけ?」
彼女が手を引っ込めて、顎に指を当てた。
「私は――」
トクン、と鳴った。それが何色かは、まだわからない。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
『Sugarless SugarLady』第一部は、これで完結です。
アヤが音楽に出会い、ギターを抱え、はじめてステージに立つまでの物語でした。
静かな作品ですが、最後まで追いかけてくださった方がいたことを、本当に嬉しく思っています。
第二部は鋭意執筆中です。初稿が完了し、推敲と校正作業に入っております。
なるべく早く続きをお届けできるよう、努力してまいりますので、何卒よろしくお願いいたします。
ここまでお読みいただき、まことにありがとうございました。




