#09
部屋の中が妙に薬臭くなっていく――カタリナが夕食を作っているのだ。
「不安なのは分かるけど……文句とか、言っちゃだめだよぉー?」
他者に振舞う料理は基本的に家長か、家長が見込んで雇った専属の料理人が行う。我々はあなたを最大限もてなしているぞという、意思表示のためだ。それをやたら攻撃的で自信過剰な料理漫画の主人公がやるようにケチをつけるのは、その料理が美味い不味いは関係ない、その家を貶めているに等しい。
美味いか不味いかは関係なく、もてなされればとにかく口をつけなければならない文化であったアレクシアたちは料理に希望を持っていない。日本の文化は食文化などと言われるほど、様々な料理を食べることのできた修だからこそ妙な危機感を抱いていた。
「カタリナ、べつに料理ヘタじゃないし。そんなに心配することないんだけどぉー……」
「知らない土地の、知らない食材を使った、知らない料理を食べるのってすごく勇気がいるとは思わないか?」
「たしかにそーだ」
アレクシアはひとしきりうなづいて、
「でも、あんまり気にしてるよーな感じで食べてなかったよね?」
「パンと、焼いた牛肉だったから」
「……手抜きってワケじゃないんだけど、ウチは料理上手なのいないからねぇー」
貴族たちで料理人以外で料理をするのは基本的に家長と跡継ぎの男児ぐらいであり、料理は男のするものとアレクシアたちは教えられてきた。なので、そもそも料理を作る機会というものに恵まれていなかったのである。
「ま、不安なのはなんとなく分かるよ? ボクも、よくわかんないの食べさせられたしね」
「……そうなのか?」
「うん、山のものとも海のものともしれないヤツ。まっしろで、ぶにぶにしてて、ねっとりからむの」
思い出しただけでもうんざりするのか「うえー」と舌を出しながら顔をしかめた。その顔がなんとなくおかしくて、我慢できずに思わず小さく笑ってしまう。
「わらわないでよ」
「いや、ごめん」
「せーっかく、元気のでるよーなおまじないをしてあげようと思ってたのになっ」
「……おまじない?」
「うん、そー」
魔法は勘弁してくれと、両手で制するようなジェスチャーをする。すかさず、ちがうちがう、とアレクシアは人差し指を左右に振った。
「赤毛は外で、カタリナは料理中で……今はボクとおさむとのふたりっきりだ。ボクとしても、約束は早めに果たしておきたいし、でも人にあんまり見られたくないし……いま、ちょうど、絶好のチャンスってやつだ」
隣に腰掛けていたアレクシアが、ちょいちょい、と修に近づくように指先で指示を出す。
「……えっと?」
「やくそく。おさむのこと、ぎゅってしてあげるぅー」
「…………いつ約束したっけ?」
「赤毛が私闘挑んできたとき」
そんなことも、あったような……つい昼間の出来事だが、発破をかけるための方便だと思っていた修は、その約束をすっかり忘れていた。
「子供が、そんな、はしたない」
「ボクはこれでも成人だぁー!」
なお、この国の法的に成人は十五からなので、正確にはこの国でもアレクシアはまだ未成年者である。
「うちの国では二十歳で成人だから、十四って言われると、どうも……」
「どうも……なに?」
「……年の離れた妹みたいで」
「そのいもーとにしかよくじょーできないカラダにしてやろーかぁー!」
本日二度目の子ども扱い、しかも年の離れた妹みたいだという言葉に思わず絶叫する。
「どう、どう」
「ボクは馬じゃないやいっ」
「言い方が悪かった。俺と年が一回り違うから、そう思っただけだ」
十四を大人と見るか子供と見るか、それは教育や文化の違いである。とはいえ、アレックスの反応を見る限りは、アレクシアはこちらの平均からいって十四歳にしてはいささか成長が遅いようなのもまた事実だ。
「こっちは十八歳未満って、条例で保護されてるから、そういう印象があって」
「変なの」
文化や教育の違いで子ども扱いしているんだな、と強引に納得し、
「――はい」
アレクシアは両手を広げた。
「……やるの?」
「誠実は騎士の守るべき誓約だもん」
「やらないっていうのは」
「ないっ」
いっそアレクシアから抱きつきにいけば手っ取り早いだろうが、それははしたないことだと教えられてきた。だから、こうやって誘うのが精一杯だ。
「さっ、がばーっと」
「がばーっと、って……」
さすがに抵抗感があるものの、いつまでもこのままでは話が進まない。諦めたように修は、アレクシアにおそるおそる近づいていく。
「手は回さないで。抱き合うのと、抱きしめるのは意味がちがうから」
「あっ、悪い」
修は、伸ばしていた手を慌てて引っ込めた。
「いいよ、だいじょうぶ。そのまま、ね」
そのまま頭を捕らえられ、ぎゅう、と顔を胸に押し付けられる。
香水の香りはしない。ほんのりと、どこか甘いミルクのような体臭と、汗の臭いが混ざり合った匂いに、そしてアレクシアの心臓の音に紛れて聞こえる頭蓋骨のきしむ音が、修を少しずつ痺れさせていく。
「……あの、痛い」
「ごめんねぇ。ボク、ちっちゃいからさぁ」
抱きしめるというよりはヘッドロックに近いそれに、修は、アレクシアが相当怒っているということを悟った。
「どう、した、のっ!?」
――そこへ、絶叫を悲鳴と勘違いしたカタリナが飛び込んでくる。
右手に、血の付いた肉切り包丁を持って。
「ひゃぁああ!」
今度こそ、アレクシアが悲鳴を上げた。まさか、包丁を持って飛び込んでくるとは予想できず、料理中だったからだろう、その包丁に生々しく血が付着しているとは思ってもみなかったからだ。
「な、なんでもな――」
「どぉおおおおしたぁああああ!?」
「――ひゃぁあああ!?」
数拍遅れて飛び込んできたアレックスに、アレクシアは再度悲鳴を上げた。彼もまた、すわ何事かと鉄の剣を抜き放っていたのだ。
「なんでもないよぉ……!」
腰が抜けたように、修を胸に抱きしめたまま力なく抗議するアレクシア。
「……うむ、敵かと、思ったが……なんだ、修羅場、だったか」
そして血の付いた包丁を持つカタリナとを交互に見ながら、アレックスは世迷いごとを吐いた。
○
深皿によそわれた黒っぽいドロドロとしたスープには、ジャガイモやニンジンらしき野菜と、そして肉がゴロゴロと入っている。まるでカレーやビーフシチューのようにも見えるが、やけに薬臭かった。
「……手、出すなら、場所、選んで?」
「はぁい、反省してまーす」
ちっとも反省していないようすで、アレクシアはなげやりに答えた。
「誤解を招くようなことを言うなよ」
「でも、おさむ、ボクんトコの論客でしょ?」
「立場上は」
「そぉいうこと」
貴族たちは客分という居候制度をうまく利用し、愛人を囲うことがある。アレクシアはそれを示唆したつもりだったが、そもそも客分というものになじみのない修は「どういうことだ……?」と首をかしげた。
「大丈夫か、兄弟」
いつお前の兄弟になったんだと、痛む首を揉み解しながら睨む。
「くっ……もう少し早くに知っていれば、ともすれば避けられたかもしれなかったというのに……!」
どうやら、占いには女難とでも出たらしい。
「でさ、赤毛」
「うむっ、占いの結果だな! 星はしかと導いた、往くべき先をっ!」
ここにきてようやく、カタリナから飲み物や料理を供され、アレックスはややテンション高めに謳いだし、
「修、我が兄弟よ……」
そして次の瞬間、まるで人が変わったかのように突然厳かに修に呼びかける。
「……女難は避けられぬ運命のようだ」
「まるっきり関係のないことを占うな」
「だが、またぞろ首を痛めたくはないだろう? 女難は竜の吐息の如く、災いは口から吐き出される……」
「たしかに、おさむ、ちょーっと注意したほうがいいかもねぇー?」
アレクシアはじとりと睨んだ。
「続いて女難」
「なんで二度女難が来るんだ」
「さらに女難」
「女難以外を視ろよ」
「女難は良縁と共に来るのだぞ? いつの世も女は難しいのだ」
「こんなときにモテ期がきたところで嬉しくねぇよ」
「ふぅーむ、そうか……もったいない……では色仕掛けに注意しろ。墓の下までを奪われるぞ、人生を」
アレックスは残念そうに呟いて、警告をする。カタリナが、意味深にアレクシアに視線を送った。
「あはは。ハニートラップ、こわいもんねぇ」
「そう、ね」
「こわいから、ボクが愛人になってあげよぉー」
「……ちょっと?」
「あはは」
これが恋愛がらみならば嬉しいのだろうが、つまるところは修の知的財産目当てである。修個人としては、あまり歓迎したくないたぐいの告白だった。
「じょーだんでなく、そーしたほうが、牽制ききそうだしね?」
「いらんよ」
「なって、あげ、よぉー」
「いらんから」
「……なら、私が」
「結構です」
「ははは、兄弟は甲斐性があってうらやましいな! ……ところで、続きをいいか?」
「さっさと進めてくれ」
受け入れたところで、日本に帰る邪魔をされるのは目に見えている。アレックスの占いは当たるようだし、アレクシアは一応は協力してくれている立場なので、牽制の意味でなら悪い話ではないというのは分かっている。分かっているのだが、それを差し引いても、日本に帰るための足かせだけは遠慮したかった。
「兄弟には、戦い、争い、儀式の予兆が出ている……おそらくだが、これは教会に関わることだろう」
「あいまいだねぇー」
「おそらくは教会の儀式だろうが、そもそも教会の儀式は結婚式と葬式と安息日のミサぐらいしか知らんのだ」
予知はできても、未知のことについてまでわかるわけではない。いかな占星術師であろうとも、知らないことまではわからないのは当然である。
「……すると、ミサ、かしら?」
「ミサで殴りあうのか?」
「まるで邪教だな……」
「ボクもよくしらないけど、ヘティは知ってるかも? ま、今はよくわかんないけど、よーちゅーい、だねっ」
「騎士って教会に忠誠誓ってるんじゃあないのか?」
教会に忠誠を誓っているのであれば、教会のことを知らないのはおかしいのではないのかと思い、修は訊ねる。
「ボクが忠誠を誓っているのは、神と法と領主であって、教会自体とはちっともかんけーないんだなー」
「そうなのか」
修の持つファンタジー知識には、騎士はすべからく教会に忠誠を誓うイメージがあったが……どうもそうではないらしい。アレクシアが普通とは違うだけなのかもしれないが。
「これから注意すべき点は以上だ、これを頭に置いてもらった上で、本題に入るとしよう」
「ああ」
「では……町に戻り、魔術師を探せ。そこに、兄弟の巻き込まれた原因があるようだ」
それは、修がこちらにきて最初にいた、あの場所のことだろう。原因は意外と近いところにあったらしいことに、修はほっと胸をなでおろす。
映画のように、世界の果てまで旅をさせられるようなことにならず、よかったと。
「――うん? おかしくない?」
それに異を唱えるように声を上げたのは、アレクシアだった。
「町って、ボクの住んでるトコだよね?」
「そうだな」
「町中に呪術師、いないはずだよ?」
魔術師は町の近くに工房を作ることは許されていない。それはカタリナのように住居と工房を同じくしているのであれば、町には魔術師は住んでいないということだ。
「工房が、ないだけ、じゃぁ、ないの?」
カタリナの言うとおり、当然だが、住居と工房が別ならばその限りではない。カタリナのように好んで辺鄙なところに住むつもりがないのであれば、普通ならば町か、もしくは町にごく近い場所に住居を構えていてもおかしくはないのだ。
「んー……ボク、町のどこに誰が住んでるのか、だいたい頭に入ってるけどさ? 町に呪術師がいるなんて、初めて聞いたよ?」
決闘や私闘を裁判の一形態として採用するその国で、アレクシアは代理人として立つことを収入の一つとしている、いわば弁護士のような存在だ。
「ボク、町のみんなとけっこー仲良しでね? どこにどんな人が住んでるとか、そーいうの、よく知ってるんだ」
それは武力で持って解決をするものではあるが、裁判には違いない。どんな人々の間で、どのような事件があり、どういった裁判が起こったか……その程度の情報を、アレクシアが知らないわけがなかった。
「ふぅーむ……しかし星はそう導いたぞ?」
「でも、町の中に、住みながら、研究、できない」
「引退した呪術師かな? でも、そんな人いたっけかなー……?」
アレクシアが首をかしげる。カタリナは交流が広くないため、思い当たる人間が一人もいないらしく、悩むアレクシアをじっと見つめ続けていた。
「占いがまちがってたとか?」
「このアレクサンドロス・バクスター、名誉にかけて、それはないと誓おう!」
「いやほら、うっかり、とかさ?」
「ない、と、誓おう!」
「ごーじょーだなぁ……」
あまりの強情さにアレクシアは呆れつつも、それ以外にはないのになぁ、と言いたげに修へと視線を送る。
「おさむ、おさむ」
「なんだよ?」
「かがくチートでみつけるんだっ」
「なんでそうなるんだよっ」
――それはつまるところ、アレクシアたちにとっての神頼みであった。
「第一、なんでみんな旅行とかそういう発想にたどり着かないんだ?」
「……あっ」
「おおっ!」
「さす、が」
「えぇー……?」
なんでこの程度の発言で褒められなければならないんだと、呆れたように声を上げた。
アレクシアたちが、町にいるという条件と町には住んでいないという条件、この二つを満たす実に簡単な結論になかなかたどり着けなかったのには理由がある。
「なかなか、旅行、いかないから……忘れてたわ」
カタリナの言うとおり、単純に言えば旅行という興行は一般的ではなかったのだ。
もちろん、興味がないというわけではない。しかし、一般的な庶民にとって金銭的な問題ばかりはいかんともしがたいのである。
「探すの、意外と簡単かもねぇー」
だからこそ、旅行者の層はかなり大きく限られてくるし、規模もそれほど大きくはならない。仕事での視察や行商を除けば、あとは貴族や吟遊詩人の漫遊か、敬虔な信者の巡礼ぐらいだ。
その中で、魔術師の存在を探す、これほど楽なことがあるだろうか?
「今すぐ帰らなきゃいけない感じ?」
「そのような卦は一つもなかったぞ。さすがに、のんびりしすぎるのは問題だが」
「じゃあー今日は泊まってってだいじょーぶだねっ」
「暗い、から、危ないもの、ね」
危ないも何も、ここはほぼ月明かりだけの、木々のよく生い茂った森の中である。ともすれば方角を見失って、遭難する恐れすらある。仮に緊急性があたっとしても、きっとアレクシアは夜間であることを理由に一泊していただろう。
「よかったねぇー、おさむ。てがかり、はやく見つかりそうで」
「まったくだな」
途中で、あからさまにこちらに永住させようとする思惑さえなければ、修はもっと素直に感謝のセリフを言えただろう。修は、責めるようにじとりとした視線を送った。
「あはは……いーじゃーん、ちょっとくらいさ?」
「いなくなって大事件になるほど重要人物じゃないけど、事件になる程度には一般人なんだからな? 俺は」
「い、一般人……?」
私闘であっというまに投げ飛ばされ、締め落とされそうになったアレックスが「兄弟は何を言っているんだ?」と首をかしげた。
「ふつうの、ひと、じゃ、ない、の?」
「一般人です!」
「そういうことにしておいて?」
「……そう」
「そう、じゃないですよ!?」
修は必死に否定するが、
「だいじょーぶ、ボクはちゃんと分かってるよぉー?」
話を聞かないというのはこのことを言うのだろう。その必死の否定を「ないしょにしたいことだもんねぇ」と勝手に自己解釈しながら、アレクシアは生暖かく微笑んだ。




