第5話 熱砂の舞踏会
第5話 熱砂の舞踏会
夜のシャハラトは、昼とは別の国みたいだった。
昼間は焼けるような熱を放っていた石畳が、夜風に冷やされて淡く白く光っている。導水路を流れる水は月明かりを映し、街路の両脇へ設置された小さな灯火が、水面へ金色の揺らぎを落としていた。
噴水の水音。
香辛料を焼く匂い。
どこかで鳴る弦楽器の音色。
人々の笑い声。
ほんの数ヶ月前まで、死にかけていた街とは思えなかった。
「信じられねえ……」
ラクダから降りた商人が呆然と呟く。
「ここ、本当にあのシャハラトか?」
「砂しかない国だったはずだぞ」
交易使節たちは次々と城門をくぐり、驚きの表情で街を見渡していた。
導水路には澄んだ水が流れている。
市場には色鮮やかな布が並び、熱砂用のローブを纏った人々が軽やかに歩いていた。
女たちの服は以前のぼろ布ではない。
防砂布と通気術式を組み込んだ機能服が夜風に揺れている。
「おい見ろ、あの布」
「砂が付いてない……」
「それに涼しいぞ、この風」
街全体が変わっていた。
バドゥルは城のバルコニーから、その様子を眺めていた。
「上手くいったな」
隣に立つエルゼは、小さく頷く。
「……まだ途中です」
「欲張りだな」
「排水設備も増設しないと。市場人口が増えれば衛生問題が――」
「そういう話じゃねえ」
バドゥルは笑った。
「街を見ろ」
エルゼは視線を向ける。
そこには笑っている人々がいた。
水を運ぶ女たち。
夜店ではしゃぐ子供たち。
噴水の前で語り合う若者。
街に灯りがある。
活気がある。
生きている。
エルゼは少しだけ目を細めた。
「……綺麗ですね」
「お前が作ったんだ」
その言葉に、胸の奥が静かに熱くなる。
その時、侍女が慌てた様子で駆け込んできた。
「エ、エルゼ様! 準備を!」
「準備?」
「夜会のお時間です!」
エルゼは固まった。
「……忘れてました」
「忘れるな!」
バドゥルが吹き出す。
「主役の一人だぞ!」
今夜は交易再開を祝う舞踏会だった。
各国の商人、使節、貴族たちが集まる。
シャハラト復活を世界へ示す重要な夜。
だがエルゼは完全に失念していた。
「作業区画の確認をしていて……」
「お前なぁ……」
侍女たちは半泣きだった。
「早くお着替えを!」
半ば引きずられるように、エルゼは部屋へ連れて行かれる。
部屋の中央には、一着のドレスが置かれていた。
エルゼは息を呑む。
深い夜色の布地。
細かな銀刺繍。
裾へ向かうほど透明感が増し、まるで星空そのものを閉じ込めたようだった。
「……完成してたんだ」
思わず呟く。
夜な夜な工房で縫っていたドレス。
導水路工事や防砂服開発の合間に、少しずつ仕上げていた。
祖母から教わった技術。
シャハラトで見た夜空。
水面に映る星。
その全部を縫い込んだ。
「綺麗……」
侍女たちがうっとりと見つめる。
「本当に星みたい」
エルゼは静かにドレスへ触れた。
布はさらりと指を滑る。
魔法繊維特有の冷たさ。
そして微かな魔力の鼓動。
「温度調整術式、問題なし……」
「まずそこ確認するんですか!?」
侍女が叫ぶ。
やがて着替えを終えたエルゼが鏡の前へ立つ。
銀髪が夜色のドレスへ溶け込み、裾には小さな光粒が揺れていた。
まるで星空を纏っているみたいだった。
だがエルゼ自身は落ち着かない。
「やっぱり変じゃ……」
「変なわけあるか」
いつの間にか部屋の入口に立っていたバドゥルが言った。
その金色の瞳が、一瞬だけ見開かれる。
「……すげえな」
エルゼは困ったように視線を逸らした。
「歩きにくくないように軽量化してあります」
「そういう感想じゃねえ」
バドゥルは苦笑する。
その顔を見て、エルゼは少しだけ頬を熱くした。
夜会場は眩しかった。
巨大なシャンデリア。
水路を利用した冷却噴水。
香木の香り。
音楽。
使節たちの話し声。
エルゼが会場へ姿を現した瞬間、空気が止まる。
「……あれが」
「シャハラトの魔導士?」
「なんてドレスだ……」
ざわめきが広がった。
エルゼが歩くたび、裾の魔法刺繍が淡く光る。
夜空の星々が水面へ映るように。
だが。
使節たちが本当に驚いていたのは、ドレスだけではなかった。
「信じられん……」
老商人が呟く。
「この国、臭わない」
別の男が導水路を見る。
「排水が整ってる……」
「砂漠国家なのに、水が循環してるぞ」
貴族の女が目を見張る。
「街路が綺麗……砂が積もってないわ」
「住民の服も機能的だ」
「どうやったんだ、この短期間で……」
シャハラトは変わった。
見せかけの豪華さではない。
水が流れ、人が暮らし、街が機能している。
その美しさだった。
バドゥルは杯を掲げる。
「ようこそ、シャハラトへ」
低く響く声。
「我々は砂漠国家だ。だが、もう滅びを待つだけの国ではない」
歓声が上がる。
エルゼはその光景を見つめていた。
すると、一人の女性使節が近づいてくる。
「あなたがエルゼ様?」
「はい」
「素晴らしいドレスですわ」
エルゼは少し迷ってから答える。
「ありがとうございます」
「その刺繍、見たことがありません」
「防砂術式です」
「……え?」
「こちらは温度調整。裾部分は湿度循環制御を」
女性使節は呆然とした。
「ドレスに……?」
「はい」
エルゼは首を傾げる。
「服は人を守るものなので」
しばし沈黙。
そして女性は、ふっと笑った。
「……面白い方」
その時だった。
夜風が吹き抜ける。
噴水の水面が揺れ、光が広場へ反射した。
星空。
水。
灯り。
笑う人々。
全部が繋がって見えた。
エルゼは静かに息を吐く。
ルミナスでは、誰も見なかった。
地下水路も。
縫製も。
生活を支える魔法も。
けれど、この国では違う。
バドゥルが隣へ並ぶ。
「どうだ」
「……はい?」
「お前の作った街だ」
エルゼは少しだけ目を伏せる。
胸の奥が熱かった。
嬉しいのに、少し泣きそうだった。
「まだ途中です」
そう答えると、バドゥルは笑った。
「なら、もっとすげえ国になるな」
夜空の星が、水面の中で静かに揺れていた。




