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エピローグ 砂漠のオアシス

エピローグ 砂漠のオアシス


 砂漠の夜明けは静かだった。


 東の空がゆっくりと白み始める。冷えた夜気がまだ地表へ残り、朝露を含んだ風が導水路の上を滑っていった。


 エルゼは高台へ立ち、遠くを見つめる。


 そこには、かつて存在しなかった景色が広がっていた。


 緑だった。


 砂漠の真ん中に、巨大な緑地帯が生まれている。


 長く伸びた導水路の周囲には木々が並び、朝日に照らされた葉が金色に輝いていた。


「……ここまで育つなんて」


 エルゼは小さく呟く。


 足元には、小さな草花が咲いていた。


 夜のうちに開いた白い花弁には、まだ露が残っている。


「今年は花が多いな」


 背後から声。


 振り返ると、バドゥルが温かい茶を持って歩いてきた。


「南部区画の地下水が安定したからでしょう」


 エルゼは茶器を受け取る。


 湯気と一緒に、甘い香草の香りが立ち上った。


「ありがとう」


「お前、また徹夜してただろ」


「植物区画の設計を少し」


「少しか?」


 呆れた顔。


 エルゼは視線を逸らす。


 その仕草に、バドゥルは吹き出した。


 朝日が昇る。


 巨大なバオバブの樹が、その光を受けて影を落としていた。


 幹は何人いても抱えきれないほど太い。


 中には大量の水を蓄えている。


 その周囲では、子供たちが遊んでいた。


「エルゼ様ー!」


 少女が駆け寄ってくる。


 頭には色鮮やかな布。


 以前のぼろ布とは違う、防砂加工された軽量スカーフだった。


「見て!」


 彼女が抱えていたのは、小さなサボテンの鉢だった。


 丸い緑色の表面には、小さな白い花が咲いている。


「咲いたの!」


 エルゼは目を細める。


「綺麗ですね」


「夜に急に咲いたんだよ!」


 少女は嬉しそうだった。


 砂漠植物の多くは、昼間ではなく夜に活動する。


 強烈な日差しを避け、夜間に気孔を開き、水分を逃がさない。


 この小さな花もまた、過酷な環境を生き抜くための知恵そのものだった。


「エルゼ様!」


 今度は農業区画の男たちが呼ぶ。


「アガベが育ちました!」


 案内された先には、巨大な多肉植物が並んでいた。


 厚い葉。


 鋭い棘。


 乾いた土地でも力強く根を張っている。


「すごい……」


「ほとんど水いらねえんですよ!」


「荒れ地でも育つ!」


 男たちは興奮気味だった。


 エルゼは葉へ触れる。


 表面には薄いワックス層。


 水分蒸発を防ぐための構造だ。


「ちゃんと環境へ適応してる……」


 思わず微笑む。


 すると近くで老人が笑った。


「砂漠ってのは、死の土地じゃねえんだな」


 エルゼは顔を上げた。


 老人は遠くの緑地帯を見ていた。


「昔は砂しか見えなかった。でも今は違う」


 導水路沿いにはナツメヤシが並び、その木陰では人々が休んでいる。


 市場にはデーツの甘い香り。


 ソルガム畑は風に揺れ、遠くではジャトロファ栽培区画が広がっていた。


 燃料用オイルまで採れるようになったのだ。


「全部、水が流れたからだ」


 老人が言う。


 エルゼは静かに首を振る。


「違います」


「ん?」


「生きようとした人がいたからです」


 風が吹く。


 乾いた砂の匂いではなかった。


 湿った土。


 植物。


 果実。


 生き物の匂い。


 砂漠は、少しずつ変わっていた。


 その時だった。


 遠くで汽笛が鳴る。


 魔法鉄道だった。


 列車が朝日を反射しながら、砂漠を横断していく。


 窓から子供たちが手を振っていた。


「おーい!」


「エルゼ様ー!」


 笑い声が響く。


 色鮮やかな防砂ローブが朝風に翻る。


 赤。


 青。


 金。


 緑。


 まるで砂漠へ花が咲いたみたいだった。


 バドゥルが隣へ立つ。


「……世界変えたな」


 エルゼは少し困ったように笑った。


「まだ途中です」


「またそれか」


「だって、まだやりたいことが沢山あるので」


 彼女は地平線を見る。


 遠く。


 まだ開発されていない砂漠が広がっていた。


 でも、もう怖くなかった。


 水路を伸ばせる。


 植物を育てられる。


 人が暮らせる。


 未来を設計できる。


 エルゼはゆっくり目を細める。


 ルミナスでは、地下にいた。


 誰にも見られず。


 誰にも知られず。


 けれど今は違う。


 朝日が街を照らしている。


 導水路が光っている。


 植物が育っている。


 人々が笑っている。


 その全部が繋がっていた。


 バドゥルがふっと笑う。


「で、次は何作る?」


 エルゼは少し考えてから答えた。


「……もっと大きな温室を」


「やっぱり仕事か」


「あと北部区画の植林計画と、新型防砂布の改良と――」


「止まれ」


 バドゥルが笑いながら額を押さえる。


 エルゼもつられて笑った。


 その笑い声を乗せて、朝の風が砂漠を吹き抜ける。


 かつて死の国と呼ばれた場所には、今、無数の緑が芽吹いていた。


 そしてその中心では、一人の魔導士が今日も未来を設計している。


 砂塵の中で。


 人が生きる、美しい世界を。



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