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Rumor


 巨大なコンクリートの摩天楼が林立し、絶え間なく明滅するネオンが酸性雨の夜を毒々しく彩る、西暦2060年のメガロポリス。

 この鋼鉄と魔術回路の森の片隅に、時代錯誤な赤レンガ造りと重厚な木製扉を構えた一軒の店がある。


『Lunatic Cafe……あそこは、“魔女”がオーナーを務めるって噂だ』

『なんでも、そこでは“人”には言えない悩みを聞いてくれるらしいぜ』


 誰が発信したのかも分からない、根も葉もない噂話。

 ホログラム広告の下で雨宿りをするサイボーグの浮浪者や、路地裏で違法魔力薬を売り捌く小悪党たちの口から口へと、それは夜の街を這い回る。

 ルナティック・カフェに行けば、奇跡が買える。裏社会の揉め事が解決する。


 ……噂だ、噂。

 作り話がひとりでに歩き始めるなんて、この情報過多の都市ではよくある事だろう?


     *


「ふぁあ……」


 カチ、カチと静かに時を刻むアンティーク時計の音だけが響く店内。

 落ち着いたマホガニーのカウンターに、一人の女が突っ伏していた。

 彼女の名前は、スーニャ・”スリーピー”・ホロウ。

 銀色に赤いメッシュの入った短い髪を無造作に散らし、深いバーガンディのカフェエプロンを身につけたまま、気持ちよさそうに舟を漕いでいる。


「……眠い」


 けだるげな赤い瞳を半開きにして、スーニャは小さくあくびをした。

 首元の黒いムーンチョーカーが、彼女の吐息に合わせて微かに揺れる。

 営業中だというのに、店主たる『親父さん』は不在。文字通り店を任された、いや、放置されたアルバイト店員は、真面目に接客する気など毛頭なかった。


 カラン、コロン。


 その時、重厚な木製扉に取り付けられた真鍮のベルが鳴った。

「……」

 スーニャはカウンターに突っ伏したまま、客の方へは視線もくれない。顔の半分を自分の腕に埋めた姿勢で、適当極まりない声を出した。


「客……? 適当に座って、その辺とか」

 彼女の指が、誰もいない木製のテーブル席をテキトーに指し示す。

「注文は決まってる? なければ……」


 面倒くさそうに首を巡らせ、ようやく客の姿を視界に収めた時。

 スーニャの眠たげな赤い瞳が、ほんの少しだけ細められた。

 雨に濡れたコートを着たその客からは、都市の排気ガスの匂いに混じって、明らかな『死臭』と『魔力異常』の気配が漂っていたのだ。普通の人間が抱えるレベルの悩みではない。


「……」

 客が怯えたように、あるいはすがるように周囲を見回す。おそらく、「魔女のオーナー」を探しているのだろう。

 スーニャはゆっくりと身体を起こし、大きなため息をついた。


「“オーナー”は居ないよ」

 彼女はエスプレッソマシンの方へと歩き出し、慣れた手つきでミルクをスチームし始めた。

「“アルバイト”で良ければ、話し相手になろうか?」


 数分後。

 客の目の前にドン、と置かれたのは、致死量の砂糖が投入された極甘のカフェラテだった。

「で? 何に困ってるの」

 スーニャはエスプレッソマシンの横にもたれかかりながら、客の愚痴……もとい、奇妙な相談話に耳を傾けた。


 客の話によれば、都市のはずれにある現在使われていない洋館に、“吸血鬼”が住み着いているらしい。近隣の住民が夜な夜な不可解な貧血で倒れ、首筋には二つの噛み跡が残されているという、古典的すぎる事件だった。


     *


 雨の降りしきる深夜。

 件の廃洋館の前に、一つの影が立っていた。

 白いシャツにバーガンディのエプロン、黒いスラックスにローファー。スーニャは、カフェでのアルバイトの服装そのままで、ろくな武装どころか傘一本すら持たずに現場へやってきていた。


「“吸血鬼”ねぇ……」

 雨の中、スーニャは怠そうに首を鳴らした。

「酔っ払いのおふざけか、不審者がいいところだけど……」


 ギーッ、と軋む音を立てて、洋館の扉がひとりでに開いた。

 そこから現れたのは、時代遅れの黒いマントを羽織り、わざとらしいほどに牙を突き出した男だった。男の赤い目が、暗闇の中でらんらんと輝いている。


「ふははは! よくぞ来た、哀れな子羊よ!」

 洋館の階段から見下ろすように、男が芝居がかった声で叫んだ。

「小娘風情が武装もせずに単身で乗り込んでくるとは、我を偉大な吸血鬼と知らぬが故の狼藉と見える!」


 スーニャは、無表情のまま……ただひたすらに面倒くさそうに、その尊大な怪物を見上げた。

「今回は小当たりって所?」

 怪物の存在自体には全く驚く様子もなく、むしろ「ハズレじゃなくて一応本物だった」という程度の低いテンション。

 スーニャはポケットに手を入れたまま、まるで休日の公園を散歩でもするかのように、無防備な足取りでコツコツと階段を上り始めた。


「愚かな……! おとなしく血を捧げれば、見逃してやらないことも……」

「見逃さないのはこっち」


 スーニャの声が、冷たい刃のように男の言葉を遮った。

 二人の距離が、手を伸ばせば触れ合うほどの位置まで縮まった、その瞬間。

 スーニャの右手に、空中の魔力が急速に収束した。輝く魔力光とともに、一本の鋭い“銀の短剣”が瞬時に物質化する。


「なっ……魔導生成!?」

 男が驚愕の声を上げた時には、既に遅かった。


 スパンッ!


 何の予備動作もなく、無造作に。スーニャの腕が閃き、銀の短剣が男の胸を正確に貫き、突き立てられていた。

「吸血鬼退治は、これが一番効く」

「貴様……!?」


 断末魔の叫びを上げる間もなく、銀の浄化作用を受けた吸血鬼の肉体はパサパサと崩れ回り、ただの灰の山となって床に降り積もった。本当に、ただの一撃である。


 スーニャは手元に残った柄をポンと捨てると、足元の灰の山に向かって、全く抑揚のない声で呟いた。


「スーニャ・”スリーピー”・ホロウ」

 風に飛ばされていく灰を見下ろし、彼女は小さく首を傾げる。

「冥土の土産に……ひょっとして、聞こえてない?」


 当然、灰からの返事はなかった。


     *


 場面は変わり、閉店後のルナティック・カフェ。

 暗い店内で、カウンターに座ったスーニャが、手元の通信端末(スマートグラスの通話機能か何か)に向かってボソボソと喋っていた。


「……って事があったんだけど。ひょっとして、眠いの?」


 通話の向こう側からは、静かな呼吸音と、かすかな衣擦れの音が聞こえてくる。

『……寝てる時間に電話されればね』

 呆れたような、しかしどこか品のある女の声だった。


「棺桶の中って電波通じるんだ」

『特注の寝具だもの。それで、収穫は?』


 どうやら、電話の相手は本物の棺桶を寝具にしているらしい。それが意味する種族は一つしかないが、スーニャにとってはどうでもいいことだった。

 尋ねられた「収穫」について、スーニャは心底つまらなそうに鼻を鳴らす。


「灰が少々。小物って言ったでしょ」

『送っておいて、使うから』

「え? 大した物は作れそうにないけど……?」


 スーニャは眉を寄せた。

 純度の高い吸血鬼であれば、死してなお灰にならずに形を残し、稀少な魔術霊薬や強力な道具の材料になることがある。しかし、今日彼女が刺し殺したような野良の吸血鬼が残したただの灰など、魔術的な価値は無に等しいはずだ。


『石鹸を作るんだって、同居人が』


 電話越しの全く予想外の回答に、スーニャは目を丸くした。


「……え?」

灰汁あくを抜くのにちょうどいいらしいわ。それじゃ、おやすみ』


 プツン、と通話が切れる。

 静寂が戻ったカフェのカウンターで、スーニャは手元の通信端末と、回収してきた小袋(吸血鬼の灰入り)を交互に見比べた。


「……石鹸?」

 吸血鬼の灰で作った石鹸。

 どんな顔をしてそれを使えばいいのか、自称デュラハンの末裔たる彼女にも、全く想像がつかなかった。

 窓の外では、メガロポリスの酸性雨が降り続いている。

 スーニャは大きなあくびを一つして、再びマホガニーのカウンターに突っ伏した。


(第1話 了)



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