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お喋りな口紅  作者: はる
19/19

第19話

 夜道を、白いワンピースを着た女が裸足で走っている。


 夕夏だ。


 三上から手に入れた白いワンピースに着替えた夕夏は、トイレの鏡の前に立った。白いワンピースは、自分にとてもよく似合っていた。


 

 これでもう二度と暴言を吐くことはないのだ。



 そう安堵しかけたその時、口紅が剥げかけていることに気づいた。塗り直そうと口紅を探したが、どこにも見当たらなかった。夕夏は焦った。



「ない」



 鞄の中身を全て洗面所にぶちまけ、夕夏は必死で口紅を探した。だが、どこを探しても見つけることは出来なかった。



「ない、ない、ない」



 夕夏の喉から悲鳴のような音が漏れた。



 ――あの口紅がないと生きていけない。



 刑事の目を盗んで、夕夏はトイレから抜け出し、夜道を走った。家にある大量の口紅の元へ、夕夏は必死で走った。


 裸足の足から血が流れていたが、痛みなど感じなかった。




 家に着いた時の夕夏は、汗だくで血塗れで、髪も乱れ、尋常な姿ではなかった。


 やっとの想いで家に辿り着いたが、今度は鍵が見当たらず家の中に入ることが出来なかった。夕夏は鞄の中を漁るように探した。



 早く口紅を塗らなきゃ。



 焦りからなのか、手が滑る。何故鍵を見つけられないのか、夕夏は込み上げてくる苛立ちを抑えられず、鞄の中身を床にぶちまけたくなった。その時、指の先に冷たいものが当たった。



 鍵だ。



 夕夏は鍵を掴むように握り、震える手で鍵穴に差し込んだ。



「狩野夕夏さん?」



 突然背後から名前を呼ばれ、夕夏の身体は大きく飛び跳ねてしまった。恐る恐る後ろを振り返ると、そこには柄の悪そうな男が立っていた。



 誰?



 男は大柄で人相が悪かった。一瞬で夕夏の心に警戒音が鳴り響いた。



「私、山陽金融の者なんですけどね」



 男が低い声で名乗った。


 金融と言われて、夕夏は瞬時に全てを理解した。夕夏が口紅を買う為にお金を借りた会社名が、確か山陽だったような記憶がある。


 そういえば、一円すら返済出来ていなかった。



「借りたものは返してくれないと困るんですよね」



 そう凄みながら、男が夕夏に近づいてきた。


 夕夏は、衝動的に男を突き飛ばした。男が床に倒れた隙に、夕夏は家の中に駆込んだ。ドアを閉めることもせず、脇目も降らず口紅を手に取った。


 夕夏はその場に立ったまま口紅を塗り始めた。


 玄関に男が入ってきたが、夕夏は一心不乱に口紅を塗り続けた。そんな夕夏の姿を見て、男が怯えたように後ずさった。男の足が夕夏の靴に当たり、大きな音をたてた。


 夕夏が振り向き、男を見た。


 真っ赤な唇が動いた。



「殺してやる」



 その言葉を耳にした男が、慌てて逃げだした。


 逃げていった男の背中を目で追いながら、夕夏はフンっと鼻を鳴らし口紅を見つめた。


 

 やっぱり白いワンピースと赤い口紅は最強だ。



 夕夏は自分が強くなった気がした。現にさっきの男も逃げていったではないか。


 足元を見ると、床には督促状が散らばっていた。夕夏は舌打ちをした。



 矢崎に会いに行こう。



 今の自分の姿を見れば、矢崎はまた以前のように優しくしてくれるはずだ。頼れるのは、やはり矢崎しかいない。


 夕夏は矢崎のマンションに向かって、裸足で走り出した。




 矢崎の住んでいるマンションを見上げながら、夕夏は電話をかけた。だが、いくらかけても、矢崎は電話に出なかった。



 何故、電話に出ないのだ。



 背後から人の声が聞こえてきた。聞き慣れた声だった。


 咄嗟に夕夏は、電信柱の影に隠れた。隠れながらこっそり声の主を見ると、やはり矢崎であった。駆け寄ろうとした夕夏の足が止まった。矢崎の隣に、恵がいたからだ。


 二人は仲良さげに、笑っていた。


 夕夏の身体がぐらりと揺れた。立っているのがやっとであった。


 ショックを受けている夕夏の存在に全く気付かず、矢崎と恵はマンションの中に入って行った。


 夕夏はその場に立ち尽くしていた。


 ポツンと雨の雫が、夕夏の頭上に落ちてきた。雨足が強くなってきたが、どうしてもこの場を離れることが出来なかった。夕夏はマンションの入り口を睨みつけていた。




 いつまでその場にいたのだろうか。夜も更け、雨に濡れた身体を冷たく感じ、遂に夕夏はその場を離れた。


 雨の中、足を引きずりながら歩いていると、泣けてきた。



 なんて惨めな姿なんだろう。



 夕夏は立ち止まり、手の中にある口紅を見つめた。



「こんなもの」



 夕夏は、口紅を捨てようとした。


 

 こんなもののせいで、私は全てを失ってしまった。取り返しがつかない。



 その時、どこかからか声が聞こえてきた。



「私を塗ると、あなたもお喋り上手に」



 夕夏は周りを注意深く見たが、人の姿はどこにも見当たらなかった。



 まさか……。



 恐る恐る夕夏は、握りしめていた手を開いた。



「なれるわけないんだよ。お前みたいな奴は、永久に下向いて生きていけばいいんだよ。死ね。死ね。死ね」



 口紅が喋っている。



 夕夏は悲鳴をあげ、口紅を投げ捨てた。


 口紅は、草むらの中に落ちていった。




                    つづく

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