第七十二話 嵐の前の③
『あなたッ!!』
反射的に私は「幻宗さん」を握って飛び出し、目を見開いて私を見つめる女に向かって構えた。
一歩踏み込めば間合いは十分……でも駄目!
私には幻宗さんみたいな抜刀なんてできない!
幻宗さん、どうすれば……って、え?
反応が、ない?
動けるのは、私だけ?
先生、渡瀬さん、それに横道さん本間さんまでいる今ここで! 向こうから仕掛けられたら打つ手なんてないッ!!
なんとか隙を作って……いや! きっとこの女、時間を操っているんだもの。そもそもこの女に「隙」なんて存在しない!!
『何をしに来たの?! リンっ!!』
唸った私に彼女は一瞬、目を大きく見開いた。
『そう……アイツ、名前言っちゃったのね……いいわ。
ええ、私はリン。
あなたは、後代、縁ね?』
知ってても当然……なんでしょうね。くそ。
『私に何ができるか、もうわかったでしょう? 縁。』
慣れ慣れしい……って、そっか、私も呼び捨てにしたっけ。悔しくて唇を噛む私に、前髪を右手で上げながら、またあの薄ら笑いをリンは浮かべる。
『人が瞬きをする間に、私は自由に動ける。
その気になればいつでも……。』
『皆を殺せる……それは、余裕という上から目線?』
『ついさっきまでは、ね……今はそれほど自惚れてはいないわ。』
『どういうこと?!』
私の問いかけには応えもせず、リンは、ふっと笑って見せた。あの薄ら笑いではなく、気持ち悪いくらいに明るく。
『……ねえ、縁。
私のもとへ来ない?
その男を殺そうとしたことを怒っているのなら、謝るわ。
もう二度と、手を出さない。』
『誰が先生をこんな目に遭わせた奴と!
それに子どものフリした奴が「闇」に飲まれてもケロッとしてたじゃない!
同志とか呼んどいてあっさり見放すようなあなたを、信じられると思う?』
『……そんなの、同じ目的を持っていたからこそ、じゃない?』
『その目的って、この世界を変えようってことなんでしょう?
それで世界の指導者の魂を、同志と入れ替えたんでしょう?』
急にリンは冷めた表情を見せ、小さく吐き捨てるように呟いた。
『変えられようなんて、なかったわ。
この二千年あまり、何をしても、無駄だったもの。』
『に、二千年ですって?!』
我が耳を疑ってしまった。リンは目を細め、私から逸らせ、再び呟く。
『いつも日本人とは限らないけど、何度も何度も、転生を繰り返して、ね。
最初は神への生贄として、首を刎ねられ。
帝に犯され、四肢を断たれ。
祖父に犯され、沈められ
父に犯され、焼かれ。
兄に犯され、喰われ。
友に犯され、絞められ。
……最後に教師に犯さ
『やめてっ!!』
おぞましさに身の毛がよだち、耳を抑えて叫んでしまった。リンは顔を上げ、私を真正面から見つめている。
『まだ、ほんの百分の一も話していないのに……いいわ。
ただ、いつもいつも……いつも。
私は私が敬い愛した人に、犯され、そして殺された。』
『転生しても……そんな前世の記憶を持ってるものなの?!』
『私の場合はね。
なぜかいつも死ぬ一月前に、
それまでの前世の記憶が全て重なり合って蘇える。
……呪いかしらね。』
『呪い?』
『最初に生贄になった時、もっと生きたいと、神に願ってしまったから。』
そんなの、にわかに信じられないよ。でも、繰り返しそんな惨い目に遭うって、もし本当だとしたら……どんな地獄なの?
『ねえ、リン!
さっき、何をしても無駄だったと言ったけど。
そんな地獄から抜け出したいって思ったはずでしょう?』
リンは微動だにもせず、静かに目を閉じて答えた。
『……何度も経験していれば、別に死は、怖くはないわ。』
『でも。次の転生のために今からでも何か考えられるんじゃ?』
『へえ……そう考えるのね。』
え? 私、今何か変なこと言ったのかな? 目は閉じたまま、なぜかリンは、くすっと笑って小さく言う。
『残り一月で、死ぬとわかっていて、どうしたらいいか。
何度も必死になっていたら、今のように時間を引き延ばす力を身につけた。
それもきっと、呪いなんでしょうけど。』
引き延ばす? もしかして……時間を完全に止めてるわけじゃないってこと?
リンはいきなり眼を開け、私をまっすぐ見つめた。
『私が愛した男に、同じ過ちをさせないために苦しんだ私の気持ち、
縁には、わかる?』
『そ、それってどういう……。』
リンは自分が殺される結果を回避するより、自分を殺そうとする人に罪を犯させないように考えたってこと?
『まだ、わかってはもらえないか……。
私が出逢った男達に、共通していたことが、一つだけある。
私を殺した男達は、いつも人を導く立場にいたわ。』
帝って、国の……祖父や父って、一家の……そうか、ほんとだ。 兄や友は、たまたまそうだったのかな……?
だけど、教師も……。
『でも!
悪いのはあなたを殺した人達でしょう?
そんな立場にふさわしくなかった人だったってことでしょう?!』
リンは怒りを表すでもなく、静かに、淡々と続ける。
『違うわ、縁。
その人が私を求め、犯し、殺すほど。
苦しみ、追い詰められてしまったことが間違いなのよ。
そうさせたのは、この世界そのもの。』
リン、あなた、何を言ってるの? よ
『さっき私達がこの世界を、思い通りに変えようとしてるのかと聞いたわね?
違うわ、縁。
変えたいんじゃ、ないの。』
『え?』
『こんな世界、いらないじゃない?
真治が自殺したように、いじめが消えない世界なんて。
ジョンが殺されたように、戦争が絶えない世界なんて。
そっちが消えてしまえばいいと、思わない?』
『世界を……消す?
それで世界の主導者の魂をまず消したの?』
リンは頷きもせず、瞬きもせず続ける。
『二千年を経て、今が好機なの。
今、人の世は、それぞれの国が、自分の国のことだけに精一杯。
資源……兵器……。
自滅しないように、バランスをとろうと、互いに知恵を絞っているけれど、
……そこに石を投げたら、どうなるかしら?』
『そんな!
そんな中二病みたいな考えで?
うまくいきっこないじゃない!!』
人はそんなに愚かじゃない! け 決して!!
『実際、手応えをつかんでいるから、進めているの。
同志は今も、増殖している……世界中に。
だから縁、あなたも私と来ない?
新たな未来に。
だって、あなたとその男のしてきたことも、私と同じでしょう?』
思いがけない言葉に、愕然としてしまった。
『いきなり何を言うの?』
『あなたが守っているその男。
……雨守終輔。
もともとは亡者の願いを叶え、生者を裁いていたはずでしょう?
それは私と、少しも変わらないわ。』
一歩一歩、リンは私に近づいてそんなことを訴える。
『違う! 雨守先生はそんなんじゃない!!』
私の顔の正面に、自分の顔を寄せ訴える。
『そう?
でもこの世界に毒された生者を一人二人痛めつけたところで、何が変わった?
そんなこと、いつまで続けるつもり?』
て
『無論! 先生といつまでもっ!!』
叫びながら私はその場でくるっとターンした。私の背後に迫っていた先生のドッヂボール大の『闇』が、リンの目の前に!
リンと向き合うさなか、先生は私に呼び掛けていた。
断片的に聞こえていたけど、「よ け て」って。
あれから私にも、先生の声が聞こえるんだもの! 弾丸ほどの速さじゃないにしても、あのゲーム並みのスピードはあった!
『アウトよっ!!』
私はリンを睨みつけて叫んだ。
『そうね。
こんな遊び……懐かしいわ。』
フッと『闇』とともに、何故か穏やかに微笑んでいたリンの姿は消えた。でも『闇』に吸い込まれたわけじゃない!!
次の瞬間、ゆっくり床に落ちていったはずのタブレットのカタカタ響く音が。
「縁ッ!」
後ろで先生の声だ。と同時に、リンの声が病室に響く。
『次は、私の番ね。
それまで、続けていられるといいわね、あなたとその男のやり方で。
また遊びましょう……縁。』
雨守の「よ け て」、ところどころ散らばってます。