第七十一話 嵐の前の②
「渡瀬さん、彼に……ここにかけてもらってくれないかな。」
「流石! 伊達に何度も大怪我してるってわけじゃ、ないようだねぇ。」
不敵に笑う横道さんに、先生は渡瀬さんが座ってた椅子を目で勧めた。
「ええッ? こんな人に? もう! さあどうぞッ!!」
ムスッとした渡瀬さんの後ろを、ひょこひょこと腰を落としたまま回る横道さん。椅子に座ろうとちらっと隣の私を……私の後ろに立つ刀を見て、急におびえた裏返った声を上げた。
「そっ、その刀を持ったおっさんはっ?!」
『誰がおっさんか?!』
刀が ふわっ と横道さんに傾いて幻宗さんが怒る。
「うわあああっ!!」
横道さんは、のけぞって座りかけたパイプ椅子から転がり落ちた。
『あ。幻宗さんなら、今はこの刀にその魂が入ってます。』
「りょ、りょーかい。
そのおっさ……もとい、
幻宗さんのせいで僕も幽霊見えちゃうようになったんだけどね~ぇ。」
そう言って腰をさすりながら、またパイプ椅子に深く座りなおす。真面目なのかなんなのか。なんだかチャラ松さんよりチャラいかなぁ?
でも横道さんなりに真剣な目で、顎の無精髭を撫でながら話し始めた。
最初のうちは幽霊が見えることが怖くて閉じこもっていたけど、家の中も平然と通り抜けてく幽霊もいるし、ある時観念して話かけてみたらしい。
「そしたら案外、話し好きの人が多いんだねぇ。」
横道さんも興味本位で聞いてるうちに、幽霊が思い残したことをその家族にどう伝えればいいかって、だんだん一緒になって考えたりし始めたみたい。
「なによちょっと? いい人ぶってるつもり?」
渡瀬さんはまだ腕組みを解かず、横目で横道さんを睨んでいる。
「失敬な! これでも僕は心理学者だよ?
人の悩みを聞いて、それを解決してあげられないかなぁなんて……。
純粋な動機を持ってた学生時代だってあったんだよ。」
『初心に帰ってるんですね?』
「うん、まあね。そんな感じ。君、やさしいねw
で、そのうち家と研究室がお悩み相談室のようになっちゃったんだけどね。」
それはそれで充実してたんだけど、なんて呟いて。横道さんはいきなり前かがみになると声のトーンを一段低く落とした。
「……なんだかきな臭い話を数人の若い幽霊から聞いたんだ。」
『きな臭い話?』
顎を引いたまま、横道さんは緊張した面持ちで私を上目で見つめる。
「生前、全然関係もなかったある特定の人間に、
『憑依』することを持ち掛けてくる女の幽霊がいるってね。」
あの女のことだ!
横道さんは私の表情を見てニヤリと頷いた。
「ま、幽霊さん達に言わせると、
成仏しても生まれ変われるのなんて何時になるかわからないじゃん?
手っ取り早く誰かに『憑依』したほうが楽だって、
ついつい考えちゃうんだってさ。」
「死んでまでもお手軽にって……このご時世のせいかしら?」
ムッとした様子で渡瀬さんは横道さんを見る。
「そうかもねぇ……で、その女。
条件として『地獄に堕ちる覚悟があるか』って聞くんだって。
そんなの幽霊の人だってビビるじゃない?
憑依してせっかく生き直しても地獄に堕ちるなんて聞かされたらさぁ。」
「それであなたに話してくれた幽霊は当然断った……。」
横道さんの顔を覗き込んだ渡瀬さんに無言で深く頷くと、彼は私達をぐるっと見渡しながら続ける。
「するとその女、来世で逢いましょうって笑って消えたんだって。
それがすんげえ怖いんだって。
だから生まれ変わるのも怖くって、
成仏もできずにまだ彷徨ってるんだってさ。」
あの女に、間違いない!!
『その女、憑依させて何をさせるつもりだったんですか?』
「それそれ!
君、いいとこ突いてきてくれるねッ!!
それを話してくれた人が現れたんだ。
生きてた時はジャーナリストだった人。」
「また胡散臭そうなのとッ!」
「彼を三流週刊誌の記者と一緒にするなっ!!」
渡瀬さんの嫌味に、横道さんは立ち上がって叫んだ。でもすぐバツが悪そうに頭をぺこぺこさせて椅子に腰を下ろす。
「ごめんねぇ、病院で大声出したりなんかして。
でも彼は真面目な、尊敬に値する人なんだ。
僕なんかと違って!」
そう言っておもむろにカバンから、片手で握れるくらいの太い棒状の物体を掴み出した。
あ……エピペンに似てる。アレルギーがあった友達が携帯してたっけ。って思った途端! 横道さんは親指に触れた部分を カチッ と強く押し、反対側を思い切り自分の太腿に突き立てた!!
『な、なにするんですかッ?!』
「ん? ああ、これ?
即効性の麻酔薬だよ。出所は言えないけど。
今、代わるからね。」
ニコッと私に笑ったかと思うと、そのまま黒目がだんだん上へと向かっていって、腰を軸にして上半身をゆっくり回転させながら、やがてパタッと背もたれに崩れるように横道さんは意識を失ってしまった。
「『え? え? ええええっ?!』」
突然のことに驚いてしまって渡瀬さんと声がシンクロする。すると目を閉じ、ぐたっとしたままの横道さんの口元が、ゆっくりと動き出した。
「……驚かせて……申し訳……ありません。
横道さんのお力を借りないと……
あなた方に……会えないと、思いまして。」
「『口調が、変わった!』」
またも同時に目を丸くする渡瀬さんと私! 先生も目を見開いた。
「入れ替わった!
もしやと思ったが、今まで完全に意識を眠らせていたとは……。
それほどの強い意志でここまで……あなたは誰なんですか?」
憑依しながら意識を眠らせていたなんて、横道さんに信頼を寄せてないとできっこない。横道さんだって、こんなことするほど憑依した人を尊敬してるってこと?!
まだ喋りづらいのか、顎を何度も左右に揺らしてる。やがて、はっきりとした声で中の人が話しだした。
「私は本間と申します。
あなた方が巻き込まれた先日の事件を知り、あの女が動いたと確信しました。
すみません、カバンの中のものを出していただけますか?」
渡瀬さんは横道さんのカバンからタブレットを取り出した。それ自体は横道さんのっぽい。
「まずフォルダを開いてください。
画像が三枚あります。
それぞれ開いてみてください。」
本間さんの指示に、渡瀬さんは頷いて指をなぞらせる。
「なにこれ? なにかの就任演説かしら?」
渡瀬さんは先生にも見えるようにタブレットを傾けて見せた。
ホントだ。国主とか大統領のそれっぽい人が。国はそれぞれ違うけど、どこかの国のそれっぽい写真。
「それぞれ私が現地で撮ったものをクラウドに残していたデータです。
あなたには、お分かりになるのでは?」
タブレットに手を伸ばし、触れた瞬間、先生は小さく唸った。
「これは!……どの画像にもあの女が!」
「え? どこに?!」
渡瀬さんも食い入るように見つめる。
私にも分かった。
群衆に紛れて、あの女がいる!!
本間さんは淡々と続ける。
「生前、人には言えませんでしたが私には霊感がありまして。
そこに撮った首脳は皆、就任後、
政策はもちろん、側近からは人が変わったようになったと言われています。
強硬というか、弱者を容赦なく切り捨てる政治を進めています。」
『つまり、魂を入れ替えられた……あの女の言う同志と!』
思わず叫んでしまった。
「ええ。そう考えて間違いないかと。」
落ち着いた声だけど、もしかして本間さんはそれに気がついて殺された?
「そんな! それって大変なことなんじゃないの?!」
驚いた渡瀬さんの手から、タブレットが滑り落ちる。
「まさか自分達の思 い通り の世 界 に し よ
どうしたの?
渡瀬さんの言葉が、途切れ途切れに……違う!
滑り落ちたはずのタブレットが、床に届く前に、スローモーションのように!
はっと気がつくと、閉めれた個室のドアの前に、あの女……リンが立っていた。