優奈誕生
――――数分前。
何だかよく分からないままに吸血姫化してしまった僕は、言わずもがな、もの凄く焦っていた。
そりゃそうですよ。だって僕のこの状態を知ってるのって、エリーゼと紗織とラウラさんだけだもの。
誰なの、とかいつの間に、とか色々質問されるのは当然のことで……
なんて説明すればいいんですか、僕は?
そうラウラさんに訊ねると、予想外の答えが返ってきた。
「……いっそのこと、別人という設定にすれば面白いよ、少ね……いや、今は少女だったか」
「面白いという条件を前提に考えるのやめてもらえませんか!」
「うーむ、しかしな……他に案など思い浮かばないのだが」
「ああもう、ラウラさんじゃ駄目だ! 二人とも、何か知恵を貸して!」
エリーゼと紗織にも聞いてみたけど、未だに二人は本調子じゃないようだった。
どこかそわそわと目線が漂って安定しない。
それに僕の身体をちらちらと見てなにやらぶつぶつと呟いている。
「……まさか、女の子Verのゆう兄に胸が負けるなんて……」
「妹君よ、我も泣いていい?」
「な、何言ってんの二人とも。とりあえず落ち着いて?」
「「それはこっちの台詞(なのだっ)だよっ!!」」
い、いきなり大声出されてびっくりだよ!
シンクロして怒鳴るのは勘弁して欲しい、全く……
「ゆ、ゆう兄……ごめん、だからそんな可愛い涙目やめて……胸が痛いよ」
「わ、我も怒鳴って悪かったのだ……すまぬ」
「大丈夫だよ、僕は男なんだから」
「「いや、今は女の子だから」」
二人そろって否定されると中々のショックでした、はい。
「しかしな、優介。我はおぬしに言わなければならない。でないとおぬしに害が及ぶからだ」
「え、一体どうしたのさエリーゼ。急に畏まって」
「おぬし……いま半裸だぞ」
「え」
僕は目線を下に泳がした。
そこに展開されるは、おのれの肥大化してしまった胸であり、柔らかそうな脂肪であり、つまり胸だった。
僕はあまりに焦りすぎて、自分が男のときに穿いていた海パン一丁でいたことを失念していたのだ。
それはつまり事情を知らない仲間たちが見たら、ただの痴女にしか見えないわけで……
「や、やぁぁぁっ!? やばいよ、どうしよう! でも女の子の水着なんて持ってるわけないよ!?」
「もう、さっきから自慢するみたいにぷるんぷるん揺れるんだもん……気になって仕方なかったよ~」
紗織、何故鼻血を垂らしているんだ……? 兄として先行きが不安だよ。
エリーゼもエリーゼで、鼻を手で押さえて、くっ、とか言っちゃってるし。
「ぬわっ、我慢の限界……!」
あ、鼻血が噴水のように。エリーゼは……忘れかけてたけど一応百合っ子だしね。仕方ない。
うむ……こんな死に際も、悪くない……。そう言ってエリーゼはバタンと砂に埋まってしまった。
「大げさだなぁ……でもほんとにどうしよう、困った……」
「少年、これを着るといい。姫が持っている水着の中で一番せくしーなものだ」
ラウラさんがそう言ってどこからか取り出したのは、黒のセパレート水着だった。
しかもご丁寧に下の布はひもで縛る、いわゆる紐水着という奴じゃないか!
こ、これを僕に身に着けろというのか。何故にセクシーさを追求した!?
というか、エリーゼのってことは……
「エリーゼってこんな大胆な水着着るんだ、かなり意外だよ」
「なっ? ラ、ラウラ! 我の黒歴史を晒すでない!」
砂から起き上がったエリーゼはラウラさんから水着を奪おうとする。
でもすんでのところで水着は僕にパスされてエリーゼは悔しそうな顔をした。
「ねえ、なにが黒歴史なの?」
紗織がエリーゼに訊ねる。でも、黒歴史なんだから本人は言うわけないよね。
エリーゼはむすっと黙り込んでしまった。
代わりにラウラさんが口を開く。
「要は、姫の一部分がその水着の幅に足りてなくて着れなかったのさ。でもいつかは成長するからって」
「…………何が悪い?」
エリーゼは不機嫌そうだ。若干涙目になっている。
それにしても、どうして着れない水着を買ったんだろう。すぐには必要ないはずなのに。
「なら交換してもらえばよかったんじゃ……」
「そこは察してくれとしか言いようがないな。ここら辺は乙女的事情だ」
ラウラさんはいつも僕に全てを教えてはくれない。
「さては吸血鬼、これでゆう兄を悩殺しようと……むぐっ!?」
「妹君よ、ちょっとおぬしの血が吸いたくなってきたのぉ~!」
黒い顔をしたエリーゼが紗織に襲い掛かっている。
まあいつも通りの光景だから放っておこう。
とりあえずいつ元の身体に戻れるか分からない今、この場をしのぐ為にこの水着を借りておくしかないか。ちょっと露出が激しくて恥ずかしいけど、裸よりはましだよね。
僕はひとまず上から着けることにしたのだが。
「……あれ、胸が。背中、手が届かない……」
「随分と体が硬いようだな、少女よ。私が手を貸してやろう」
「あ、ありがとうございます」
ラウラさんが後ろから水着の紐を縛るのを手伝ってくれた。
おかげでスムーズに身に着けることが出来た。
と、思ったら。今度は海パンを脱がされそうになり、僕は抵抗する。
「そ、そっちは自分でやるんで! 物陰で!」
「大丈夫、私にかかれば一瞬だ。誰の目にも裸は映らないさ」
「そ、そういう意味じゃ……ひゃぁぁぁぁぁ~~~~っ!?」
光の速さでパンツを脱がされ、気付いたときには既にエリーゼの黒水着を穿いていた。
身体にぴったりとフィットする感触が少し変に感じる。
本当に誰の目にも留まらないスピードで着替えさせられてしまった。
ラウラさん、あなた本当に何者なんですか。ただのメイドじゃないですよね、そもそもメイド服着てるところ見た覚えないし。
どんどんと謎多き人になっていくなぁ……
そんなことをぼんやりと思っていると、海から声が聞こえてきた。
やばい、この声は蛭賀くんだ! ばれたら絶対とんでもないことになるに違いない、だって相手はTHE変態の蛭賀くんだから、別人の振りしないと!
「おーい、お前ら休んでるのかよー、折角の海だぞーっ!」
「あっ、蛭賀さんだ」
「妹君よ、間違っておるぞ。あれは"変態"というのだ」
「ひどい言い草ですね姫」
三人娘の容赦ない言葉にも、蛭賀くんはめげていない。凄いスルー力だ……
パラソルの下にやってきて、彼はラウラさんに尋ねた。
「すんません、なんかジュースとかないっすか? あの子らに頼まれたんで」
「ラムネならあるよ。ひとまず君も飲んで落ち着くといい」
「あ、ありがたいっす!」
どうぞ、とラウラさんはラムネ瓶を蛭賀くんに手渡した。
片手を腰に当てラムネ瓶に口をつけ、一気にあおっている。
温泉などで牛乳を飲む様子を想像してもらえると近いだろう。
「ん、全然飲めないぞ?」
「蛭賀さん、ビー玉で詰まってるんじゃないですか」
「え? ああ、さっすが紗織ちゃん。優介の妹だけあって鋭いな」
「むしろ気付かないほうが大丈夫? というか……」
「将来が不安になるレベルだの……」
エリーゼと紗織の可哀想なものを見る目に、蛭賀くんが弁解しようとする。
「わざと、わざとだって! これはいわゆるジョークという奴で!」
そんな叫びは空しく消えていった。
息を切らしながら、蛭賀くんはちらりと一瞬、だが確実に、僕のほうを見た。
彼と目が合った瞬間、思わず僕は寒気がしてしまった。
この身体だから気付いたのかもしれない、その一瞬の内に、彼は女の子になっている僕の身体を上から下まで舐めるように見通したのだ。……今度から女の子を見るときは視線に気をつけよう。
「なあ、ところでこちらの女の子はどなたで? さっきまでいなかったよな?」
エリーゼ、紗織の二人はぎりぎりとまるで機械の様に僕が立っている方向に首を動かす。
ラウラさんだけは一人ニヤニヤと意地悪そうに笑っていた。
「あ、ああっ。この子は優介の親戚でな、先程島に着いたばかりなのだ。なあ、妹君よ?」
「え? あ、うん。そうなの、いとこのいとこのいとこぐらい? ほんとですから、ほら、自己紹介して!」
二人は焦りながら僕を隠すように前に出た。
その隙間から顔を覗かせ、僕はおどおどと若干怯え気味に挨拶をした。
「は、はい……榊原……ゆ、優奈です……よ、よろしく……」
適当に考えた偽名を口にする。さすがに優子、とかは安直過ぎるし。
「やべ……すんごく可愛いじゃん……俺、惚れちまったかも……!」
その言葉に、その場にいた皆が凍りついた。もちろん、この僕も例外ではない。
だって、その言葉がもろに胸に突き刺さったのは、僕なのだから。
ラウラさんは耐え切れなくなったのか後ろで腹を抱えてげらげらと笑っている。
くっ……この人憎らしい……! 元はと言えばラウラさんのせいじゃないか。
というか、蛭賀くんも蛭賀くんで、惚れ易すぎると思うのだけど。
「よろしく、優奈ちゃん! あ、よかったら俺と一緒に海で遊ぼうぜ!」
蛭賀くんはすっと右手をこちらに差し出してきた。
握ったらきっと連れて行かれるのだろう。あっちのエデンに。
断固として拒否したい僕だったが、如何せんこの身体になって緊張しているのか、上手く声が出ない。
そうしている内に承諾したと思われて、僕は手を握られてしまった。
「ひゃっ……あ、あの……ジュース、いいん……です、か……?」
とっさに思い出したことを口に出して、僕は逃げようとする。
しかし、彼の行動力の前には全く無意味だったようで。
「あ、そうだった。じゃあさ、ついでにジュースも持ってって、あいつらにも紹介しちゃおう! どうせ一緒に泊まる仲間なんだから、挨拶は早い方がいいだろ? な、ラウラさん!」
「ふふ……お盆を貸すから、これに乗せて持って行け。楽しんでくるといい」
無駄な助言とお盆に乗った二本のラムネを渡して、ラウラさんは僕の肩をぽんと叩いた。
頑張ってくるといい、耳元でそう囁いて僕から離れていった。
こうなったら僕が頼れるのはもう二人しかいない!
そう思ってエリーゼと紗織の方を見たら、二人は未だに凍りついたままだった。
あ、死亡フラグ……
「さ、行こうか、優奈ちゃん! デュフフ……」
「ひっ、い、いやぁぁぁぁ~~~~っ!?」
涙を流しながら僕は蛭賀くんに引きずられていくのだった。