海の蒼、空の青
「にゃぁぁーっ! 海なのだーっ!」
「エリーゼ、走ると転ぶよー」
「構わぬ、優介も来るのだーっ!」
「うわっ、ちょっとー!」
エリーゼが僕の手を引っ張り、青空の下へと駆け出していく。
すぐに焼けるような日差しが照りつけてくる。
青い海に輝く日光は夏らしくて爽快感に満ち溢れるものだった。
そう、僕達は海に来ていた。しかもこの海は完全なプライベートビーチだ。
というより、無人島だった。
*
エリーゼと優介が走り回っている姿を見つめる三つの人影があった。
エリーゼのメイドのラウラ、幼なじみの大場このは、同じく幼なじみの蛭賀太一である。
「うむ、美少女二人がきゃっきゃうふふしてるのは実に眼福だな」
「ラ、ラウラさん……でしたっけ? その、ゆうすけは男ですよー?」
ラウラの微妙な変態発言にこのはが訂正を入れた。
「知っているよ。私は少年のもう一つの姿を想像していただけさ。なに、すぐに分かる」
「は、はぁ……」
そんな二人の後ろでは、蛭賀がカメラを構えてエリーゼと優介の写真を撮っていた。
パシャパシャとやかましいくらいにシャッター音が響く。
「……太一、あんた取りすぎじゃない?」
「何言ってる! 取っても取っても足りないくらいだぜ、あの二人の魅力を残すためには!」
「あんた、いよいよ変態の鑑になりつつあるよ……」
「ふんっ、安心しろ。お前のだらしなく育った乳なぞ取らん。この巨乳めっ!」
「な、何それ!? 馬鹿にしてんの、褒めてんのっ!?」
二人は訳の分からない言い争いを始めてしまった。
幼なじみのくせして仲が良いのか悪いのかよく分からない二人である。
そんな中、海岸近くに建てられた別荘のテラスで紗織はジュースを飲んでいた。
「……はぁ、ゆう兄を取られちゃった……」
遠くまで行ってしまった二人の後姿を見つめながら呟く。
その横には、今回の旅行を企画した張本人である、ユリアが立っている。
彼女の本名は、ユリアーネ=フランツィスカ=リーゼンフェルト。
吸血姫の中でも名家と名高いリーゼンフェルト家の娘だ。
大きくまとめられたツインテールを優雅に揺らし、ユリアは紗織に歩み寄った。
「楽しんでくれてるかしら、このバカンスは」
「……感謝してるよ~、ゆう兄と二人っきりだったらもっと良かったけど」
「あなたも大変ね。でも、いい年してブラコンは、さすがにどうかと思うわ」
「関係ないでしょ、黙っててくんない?」
「へぇ、この私に向かって、そんな口の利き方するんだ……? 矯正してあげるわ!」
ユリアは紗織の身体をくすぐる。服の上からだったのが、段々と服の中へと手が伸びていく。
「あっひゃっひゃっひゃっ……ちょっ、やめ……ひゃぁぁぁあ!?」
「ほらほらほら~! ごめんなさいは~?」
「ひゃ、ひゃめてぇぇ~! ご、ごめんなさーい~っ!」
くすぐったさよりも恥ずかしさのほうが勝る部位をくすぐられ、紗織は早々にギブアップしてしまった。少しユリアに恐怖心を抱いた紗織であった。
「はぁっ……はぁっ……」
どことなく艶っぽく聞こえるのは気のせいである。
「あらあら。ユリア、あんまり調子に乗るといけませんよ。お仕置きされたいの?」
「ひっ……姉さま……!」
別荘の中から外に出てきたゲルダを見て、ユリアはビクッと怯えた。
ユリアにとってゲルダは尊敬する大好きな姉であるが、それと同時に畏怖の対象でもあるのだ。
ゲルダは首を傾げてもう一度聞いた。
「お仕置き、されたいの?」
ぶんぶんと首をもの凄い勢いで横に振るユリア。
見る間に顔が青ざめていく。
ゲルダの目は氷のように冷たい視線を放っている。
「……お仕置き、執行ですわ(ニヤリ)」
「許してぇお姉ちゃん~~~っ!!」
恐怖のあまり、素に戻り逃げ出してしまうユリアなのであった。
*
今回の旅行は、ユリアとゲルダさんの手助け無しには成り立たないものだった。
今やって来ているこの無人島は、なんと二人の家が所有する島らしいのだ。
とりあえず、うちとは格が違う超お金持ちだということは分かった。
南国の島ゆえの透き通るような海が、暑さで火照っている身体の熱を冷ましてくれる。
「……水、気持ちいいなぁ」
「本当だのぅ~」
エリーゼと一緒に海に足を浸け、広大な蒼を見渡す。
遥か遠くに見える水平線も、海と空の青さのせいで境界が曖昧になっている。
天地の境は消滅し、世界が一体となっているような気がした。
小波が足を洗っていく。
足元に転がっていた貝殻が流され、静かな音と共に消えていく。
上手く言葉に表せないが、自然の神秘のようなものを感じていた。
想像もつかないほど古い時代から、この海は今と同じように、あらゆる生命の揺り籠として世界に存在し続けてきたんだ。時には罪を流すように、幾多の命を飲み込みながら、それでも変わることなく。
「優介、我はおぬしとこんな景色を見れて最高に嬉しいぞっ。実にハッピーなのだ!」
エリーゼの笑顔が陽光に照らされて僕には少し眩しかった。
「僕も、今が一番楽しいよ。エリーゼ」
「むふふ~、まだまだ楽しいことはたくさんあるのだ! 別荘に戻ったら水着に着替えてまた海で遊ぶぞー!」
水着か……。エリーゼはどんな水着を着るんだろうか?
うん、凄い興味が湧いてきた。
確かに、「今が一番」だなんて、それはまだ早い台詞かもしれないな。
「我の水着姿に期待するがいい。優介を鼻血まみれにしてくれようぞ~!」
「楽しみにしてるよ、エリーゼの水着姿」
「はぅっ!? ……そ、そうか! なら今すぐ着替えてくるのだ~!」
エリーゼはそう言って猛スピードで駆けていってしまった。
顔が赤くなっていたのは暑さのせいだろう。
しばらくそのままで海に浸かっていると、背後から声を掛けられた。
「ゆうすけ~、私たちを呼んでくれてありがとね~。海、最っ高だよぉ!」
そこには、このはと蛭賀くんが立っていた。
二人とも星のようにキラキラと目を輝かせている。
「ほんとエンジョイしてるぜ、特にお前らの写真……ぐぇっ!?」
「あーはいはい、変態は海の藻屑になりましょうね~」
このはにボディブローを決められ、蛭賀くんが沈んだ。
……よし、何も見なかったことにしよう。
「このはも大分強くなったよね、ホントいつの間にか」
「まあ、私も大人しいままじゃいられないってことだね~」
一人ぶくぶくと海に沈んでいる蛭賀くんが何だか哀れだった。
いつまで経っても起き上がる気配がない。
もしかして、気絶してる……!? 一応助けたほうがいいのかな。
「蛭賀くん、大丈夫?」
手を貸して、何とか立ち上がらせる。
蛭賀くんはゆっくりとこちらに顔を向けた。
気を失っていたわけではないようだ。
だけど気のせいか、どことなく熱っぽい視線を浴びせられているような気がする。
「優介、俺に優しくしてくれるのはお前だけだ……」
「そ、そんなことはないと思うよ」
どう返答すればいいんだ、と思ったが口には出さない。
手を放そうとするが、蛭賀くんは手が離れないようにさらに強く握り締めてきた。
「ひ、蛭賀くん……?」
逆光で彼の顔がよく見えない。
「俺……俺はなぁ……お前に惚れちまったんだよぉぉぉぉ!!」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえっ!?」
何そのいきなりの爆弾発言! びっくりして目玉が飛び出るかと思ったよ!
あたふたしていると、横から出てきたこのはの拳が、光の速さで蛭賀くんの顎へと……
「げふぇーーーーっ!!」
「あんたは流星にでもなりなさいーーーーっ!!」
このはの見事なアッパーが決まり、蛭賀くんは空に消えていった。
この二人、漫才コンビでもやったらいいんじゃないかな。
「ふぅ……。さ、ゆうすけ、私たちも水着に着替えに戻ろ?」
手で汗を拭って、このはが僕の手を引っ張って行く。
あれだけ攻撃されて蛭賀くんは平気なんだろうか。
「行こうぜ、優介」
何事もなかったかのように後ろに立っていた。凄い生命力だ……台所のG並みの。
そんな僕たちを遠くから見つめるラウラさんが、ぼそりと呟いた。
「実に絵になるね。……さて、そろそろサプライズといこうか」
彼女の怪しげな企みの内容を、このときの僕はまだ、知らない。