夏がきて
僕たちの学校にエリーゼが転校してきて、数週間が経ち――――
季節は、照りつける日光が暑い夏になっていた。
*
「優介~……暑いのだ~、水を……」
今は学校も夏休み期間に入っている。
エリーゼが僕の家に来た当初はひどくどたばたしたけど、大分落ち着いたものだ。
数週間前の出来事が懐かしく感じられる。
エリーゼ、吸血姫の命を狙う吸血鬼との戦い。
死と隣り合わせだったあの緊張感は、今でも忘れられない。
「おーい、聞いておるのか~……?」
自分に起こった変化も改めて思い出す。
あの時の戦いで、僕はエリーゼの血を飲むと一時的に吸血姫化してしまう体質になってしまった。
要するに、力を得る代わりに女の子になってしまうのだ。望む望まざるとに関わらず。
まあ、滅多に血を飲んでしまうことなんてないんだけど。
「ゆ・う・す・け~!」
「えっ、あいたたたたた~!?」
突然エリーゼが僕の頬を引っ張ってきた。
そのせいで変な顔になってしまう。
「な、なにふんのは~!」
「我の話を聞かぬからであろう? ボーっとするでない!」
「ご、ごめん……」
何とか手を放してもらい謝った。まだぷんすかしているようだ。
「全く……せっかく今日は家に二人きりというのに、おぬしは……」
そうだった。夏休み中両親は二人で久々の旅行に行っている。しばらく帰ってこない予定だ。
今日は紗織も受験生ということで友達の家に勉強しに行ってるし。
ラウラさんも、リーゼンフェルト家の集会に行きます、と言って出かけている。
今家にいるのは僕とエリーゼの二人だけなのだ。
「ごめんってばぁ……水持ってくるから」
「アイスじゃないと許さないのだっ。ふんっ!」
「はいはい」
リビングでぐったりとしているエリーゼを置いて僕はキッチンに向かう。
あったあった、ちょうど残り二つだった。
「はい、アイス」
「うわーいっ! やったのだーっ!」
標準的なバニラアイスバー。円柱型の細いやつだ。
エリーゼは袋を開けて早速嬉しそうにアイスをペロペロと舐めだす。
うん、やっぱり小動物のようで可愛い。
僕も溶ける前に封を開けた。
「なぁ~ゆうふけ~」
「なにー?」
アイスを口にくわえたままなのでもごもごとしか話せないようだ。
ソファに座ってこちらを見つめている。
僕は彼女の第一声を待った。
「――――我のこと、好きか?」
「……え、」
蝉が鳴いている。
うだる様な暑さの中、急に音が遠ざかった。
蝉の鳴き声だけしか聞こえないようだった。
頭が真っ白になっていく気がした。
「我は、好きだぞ。その、おぬしのこと……」
エリーゼの頬が赤いのは、暑さのせいだけではないのかもしれない。
アイスを食べたばかりだというのにもう喉が渇いてきた。
今は二人きりだという事実が、僕の脳裏によぎる。
「エ、エリーゼ。それって」
「我は、いつでも待っておるのだぞ……優介」
「う、うん」
喉が鳴る。
僕は決心して、自分の思いを伝える覚悟を決めた。
「僕は……エリーゼのことが……!」
「……ぅむ……」
エリーゼの顔に近づく。
彼女は眼を静かに閉じて、僕を待っている。
小さな唇が輝いて見える。僕の鼓動は頂点に達した。
「たっだいま~! ……あっつ~!」
…………。
……。
妹の紗織が家に帰ってきた。
すごい勢いでリビングの扉を開く。
僕とエリーゼはお互いそっぽを向いて顔を隠していた。
「あれ、どうしたの二人とも。喧嘩でもしてた~?」
「い、いやぁ、別にっ。ねっ、エリーゼ? あははは……」
「う、うむっ。何もないぞ妹君よ! くっくっく……」
「?」
紗織が怪しんでいるけど、二人で笑い合って誤魔化した。
誤魔化し切れてなかったと思うけど、どうしようもない。
まだ僕の心臓はバクバクいっていた。
本当、エリーゼにはこんな感じでドキドキさせられっぱなしなのだ。
いつか僕が思いを伝えられる日は来るのだろうか……?
*
「晩御飯、何にする?」
紗織がエプロンを着けてリビングに入ってきた。
僕とエリーゼはぎょっとしてそれを見る。
「いっつもゆう兄とラウラさんが作ってくれてたから、今日はあたしが作るよー」
「……エリーゼ、今日は出前、何取る?」
「……わ、我はピザがいいぞ」
僕は急いで出前のチラシを引っ張り出す。
手が震えている、禁断症状のようだ。
「あれ、ちょっと聞いてる? 今日はあたしが……」
いかん、敵が接近を仕掛けてきた! 総員、退避ー!!
「さ、紗織。今日は勉強三昧で疲れたでしょ。ゆっくり休みなよ」
「そ、そうであるぞ妹君。出前を取ろうぞ!」
「……そ、そう? じゃあしょうがないわね」
僕とエリーゼは胸を撫で下ろした。
本人には悪いが、紗織の料理は料理であって料理ではない。
例えるなら、兵器に等しい。
昔、僕は紗織の作った卵焼きを食べたことがある。
そのときは救急車を呼ぶ事態には及ばなかったが、軽く死に掛けたのだ。
今でもあれはトラウマものである。
「それじゃ、どこのピザにする? ドムノ、ピザホット、それともピザ~ル?」
「安いとこのにしよう」
「ならこの千五百円ピザはどう? Mサイズだけど」
「それでは足りないのではないか? 二枚頼むならまだしも……」
「じゃあLサイズ一枚にしようよ、それでいい? ゆう兄、エリーゼさん?」
「おっけー」
ぐだぐだな感じで晩御飯が決定した。
これはある意味紗織のためを思ってでもある。
妹が頑張って作った料理を残すようなことはあまりしたくないのだ。
紗織は出前を取るために電話をかけている。
「……優介、なんとか消し炭を食べることは阻止できたの」
「それを言っちゃ駄目だよエリーゼ……」
ぶっちゃけ安堵してたのは言うまでもなかった。
*
しばらく待ってやっとピザの宅配がやってきた。
「う~ん、美味すぎ~!」
子供のようにはしゃぎながら紗織がピザを頬張っている。
チーズが伸びて橋を渡しているように見える。
「むぅ、これはこれは。濃厚なチーズの香りと、絶妙に配置された具の味が口の中で混ざり合う。実にすばらしいのだっ!」
誰がグルメリポーターのような説明を頼んだというのか。
エリーゼはなんか格好つけながら食べていた。
「僕も食べようかな、いただきまーす」
ピザを一枚手にとって、口へと運ぶ。
食欲をそそるいい匂いだ。
「うん、おいし~!」
味も絶品だった。ピザにしたのは正解だったようだ。
「吸血鬼~、あんた全然ダメね~。美味しさが全く伝わってこないわ?」
「な、なんだと?」
あれ、また二人が言い争いを始めてしまった。
「あんたは分かってない。表面的な表現をいくらしたところで、視聴者には大体の予想しか出来ないわ。そんなものあってないようなものでしょう? なら、それは無駄な行為ということよ」
紗織がどこかの専門家みたいに偉そうな感じでエリーゼに説教している。
エリーゼはいまいちよく理解してなさそうだ。
「だったら、どうすればこの感動を視聴者に伝えられるのだ……!? 全世界のお茶の間が料理の感想を知りたがっておるのだぞ!」
視聴者って誰だよ?
「いっひっひ~! 知りたければ、あたしに二度と逆らわないことね!」
「ぐぬぬぬ……!」
紗織がドSの女王と化した。
「あたしが実践して見せるから、よーく見てなさい」
手馴れた手つきでピザを華麗に手に取る。
それをゆっくりと口に運んで、数回咀嚼した。
そして、一言。
「まいう~~~!」
場が一瞬凍った。夏だというのに涼しい風が通り過ぎた。
「……あ、あれ? どうしたの二人とも」
「……紗織、それはいかんでしょ、安直なパクリは。僕がっかりしたよ」
「ゆ、優介。我にはどういう意味かさっぱり分からないのだが……まいう、って何語だ?」
エリーゼはドイツにいたから知らないのか。
ある番組のとある人物が流行らせた業界用語、とでもいうところか。
その一言で全てが片付けられてしまうグルメにとっては禁断の言葉だ。
実際あの人も数口食べたら後はスタッフが美味しく頂くらしい。
「ゆ、ゆう兄……ちょっと辛口すぎだよぅ……」
「あぁごめん紗織、そんな強く言ったつもりじゃないんだ」
「うぅ~……」
しょんぼりしてしまった紗織を慰めながら食事を進めていく。
すると最後の方になってある問題が発生した。
「一枚余った……」
十枚にカットされていたので三人だと余ってしまうのだ。
お互いに見合って、合図を送りあう。
こういう時の決着は、じゃんけんと相場が決まっているのだ。
「「「じゃんけんぽんっ!」」」
勝者はエリーゼだった。
公正な結果だから、後腐れはない。
「むふ~、おいしいのだ~!」
「……誰のお金で食べてると思ってるの」
「――――!!?」
訂正、一人不満な人物がいたようだ。ボソッと言うのはやめて欲しいよ、紗織さん。
「冗談よ冗談」
「ちょ、ちょっと食べる気がなくなったのだ……」
エリーゼ、お気の毒に……
*
ご飯を食べ終わった僕らは、特にすることもなくテレビをつけたままリビングにたむろしていた。
画面には爽やかな青空と人で賑わっている海が映されている。
楽しそうでいいな、とのんびり見ていると、紗織がぽつりと言った。
「海行きたいなぁ~」
誰にともなく出されたその一言は、エリーゼによって拾われた。
「いいのぅ。海、我も行きたいのだ」
「なんだ、二人とも旅行したいの? 紗織だって、今年は受験あるでしょ?」
「うん、でもせっかく長い休みなんだし……最後の息抜きに、ね?」
紗織の気持ちは分からないでもないけど……
この時期、どこも混んでて大変そうなんだよね。
「まずどこの海に行くか決めなきゃね」
「うーん。鎌倉とか、横浜とか? あと沖縄!」
紗織の案はどれもメジャーなところばかりだった。
宿とかも、ほとんど満室に違いないだろう。
それに、沖縄とかはちょっと遠すぎるし。
「むぅ、ここは我に考えがあるぞ」
「なに、エリーゼ?」
「ラウラに頼めば、あっという間に良い案を与えてくれるはずだ。ゆえに、ラウラが帰ってくる明日を待つのがよかろう!」
ラウラさんに頼む、か。確かにあの人なら何とかしてくれそうだ。
僕と紗織は同意して頷いた。
「ラウラさんだって行き先決めたいだろうしね」
「あたしは海ならどこでもいいよ~!」
「よーし!」
エリーゼがすっくと立ち上がって僕らに言った。
「今年の夏は海だ! 我らは海に出かけるぞーっ!」
「「おーっ!」」
紗織にとっては中学最後の夏が。
僕とエリーゼにとっては高校に入って初の夏休みっぽいイベントが、始まろうとしていた。