第16話 宝物の空
最終話になります。
結婚式は、番の契りから一月後に行われた。
ドラヴェールでは、番の契りを結んだ二人が、改めて城の者や領民たちの前で夫婦の誓いを立てるのが習わしなのだという。
その朝、私は自分の部屋で、テアさんに髪を結ってもらっていた。
鏡の中には、淡い金色のドレスを着た自分が映っている。
このドレスは、私が自分で選んだものだった。
城下の仕立て屋が持ってきた何十枚もの見本の中から、ルシエラ様やテアさんに相談しながら、何日もかけて選んだ。
カイゼル様に「どれがいいと思いますか」と尋ねたら、「全部作らせればいい」と言われてしまったので、それ以上は聞かなかった。
「本当に、お美しいですわ、マルグリット様」
テアさんが、目を潤ませながら言った。
「城に来られたばかりのころは、こちらが何か差し上げるたびに、申し訳なさそうなお顔をなさっていたのに」
「……そうでしたね」
私は、少しだけ苦笑した。
あのころの私は、何かを受け取るたびに、どうやって返せばいいのかばかり考えていた。
欲しいものを聞かれても、何ひとつ答えられなかった。
今は、違う。
ドレスの色を選べる。好きな本を、好きなだけ読める。
カイゼル様の隣にいたいと、自分の口で言える。
それに、最近は公爵家の帳簿も、私が見るようになった。
ベルンさんが、困ったように「数字の得意な方がいらっしゃらなくて」とこぼしていたのを聞いて、自分から手伝いを申し出たのだ。
ブランデル家にいたころと同じ仕事なのに、少しも苦しくなかった。
誰かに押しつけられたのではなく、自分で選んだことだったから。
ベルンさんは、私がつけた帳簿を見て、「これほど見事なものは初めて見ました」と目を丸くしていた。
その言葉が、くすぐったくて、嬉しかった。
「お義姉様、準備できた?」
扉が勢いよく開いて、ルシエラ様が顔を出した。
そして、私の姿を見るなり、両手で口を押さえた。
「……兄様、絶対に泣くわ」
「まさか」
「賭けてもいいわよ」
ルシエラ様は、いたずらっぽく笑った。
式は、城の大広間で執り行われた。
広間には、城の者たちや、領地じゅうから集まった竜人たちが、ぎっしりと詰めかけていた。
長老会の竜たちも、最前列に並んでいる。
あの夜会の大広間とは、何もかもが違っていた。
ここには、私を嘲る声も、冷ややかな視線もない。
ただ、温かい拍手と、祝福の歌だけがあった。
広間の奥、祭壇の前で、カイゼル様が待っていた。
紅の礼服に身を包み、まっすぐにこちらを見つめている。
私が一歩ずつ近づいていくと、その金色の瞳が、大きく揺れた。
祭壇の前で、私たちは向かい合った。
「……きれいだ」
小さな声だった。
カイゼル様の目尻が、かすかに光っている。
後ろのほうで、ルシエラ様が「ほらね」とささやく声が聞こえた。
ベルンさんが、誓いの言葉を読み上げた。
形式通りの言葉が終わると、カイゼル様は少しだけ間を置いて、私の両手を取った。
「マルグリット」
「はい」
「あの夜、君は自分のことを、代わりがいくらでもいる人間だと言った」
広間が、しんと静まり返った。
「二百年、世界中を探して分かった。代わりなんて、どこにもいない」
カイゼル様の手が、私の冷たい手を包みこむ。
「君は俺の、たった一つの宝物だ」
涙が、頬を伝って落ちた。
あの山の上で泣いたときとは、まるで違う涙だった。
私は、カイゼル様の手を握り返した。
「カイゼル様。私を見つけてくださって、ありがとうございます」
広間じゅうから、割れるような拍手が湧き起こった。
式のあと、私たちは城の一番高い塔に上った。
そこから見下ろすと、雪をいただいた山々と、どこまでも続く青い空が広がっていた。
「行くか」
「はい」
カイゼル様が紅の光に包まれ、巨大な竜の姿になった。
紅い鱗が、陽の光を受けて燃えるように輝いている。
竜は、私の前で静かに頭を下げた。
私は、その首の付け根に乗った。
あの夜と同じ場所。
けれど、あの夜とは、何もかもが違っていた。
あの夜の私は、ただ運ばれるだけだった。
何が起きているのかも分からず、自分がどこへ行くのかも知らなかった。
今の私は、自分の意思でここにいる。
私は、竜の首に両腕を回して、しっかりと抱きついた。
「カイゼル様」
竜が、低く喉を鳴らした。
「ずっと、離さないでくださいね」
答える代わりに、紅の竜は大きく翼を広げた。
ふわりと体が浮き上がり、塔がみるみる遠ざかっていく。
眼下で、城の者たちが手を振っているのが見えた。
ルシエラ様が、ひときわ大きく両手を振っている。
風が、頬をなでていった。
少しも、寒くなかった。
鱗の温かさと、手首の紅い紋の温かさが、私を包んでくれていたから。
代わりはいくらでもいると言われ続けた、冷たい手の令嬢は、もうどこにもいない。
ここにいるのは、紅の竜に見つけてもらった、たったひとりの番だ。
青い空の真ん中で、私は竜の首にそっと頬を寄せた。
この空も、この温かさも、これから続く長い長い時間も。
すべてが、私の宝物だった。
(完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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