エピローグ
「島崎さ、卒業したら何する?」
「卒業したら〜?…んーそうだなぁ…………就職?」
「あれ、進学しないの?」
「んー…うん。勉強したくねぇし。多分俺働く方が楽しいし。」
「ふーん。」
校舎4階、1年A組の教室。その窓際の2つの席で、私たちは話していた。
時間は夕時。溶けかけの太陽の灯りは絵の具のように教室を侵食していき、私たちをオレンジ色に染めていく。
「鮎川は?やっぱ大学?」
「…どうだろうね。今だけでも割とギリギリだから、私も就職かもね。稼げるなら早めに稼いでお父さんとお姉ちゃん助けたいし。」
「ほえー色々考えてんだなぁ。」
「そりゃ色々考えるよ。頑張らないと。」
「え、鮎川さぁ、なんかやりたい事とかねえの?」
「…あるよ。」
「お、何やりたいの?聞いていい?」
……何なのこいつ。やけにグイグイ聞いてくるんだけど。いやこの話題振ったの私からだけどまさかこんなに食いついてくるとは思わなかったし、ほぼ暇潰しの延長みたいな話だと思ったし、咄嗟に言っちゃったけどやりたいことだって…………無いわけじゃないけど…
「…誰にも言わないでよ。」
「おぉ言わねえ言わねえ。」
「…………服飾系。」
「服飾系?と言うと何?」
……察しが悪すぎる。
「簡単に言うと…ファッションデザイナーとかそういうの。」
「あぁ!ファッションショーとかのあれ!?マジで!?」
「そう、簡単に言うとね。」
「えぇーすげー服作るのか鮎川は。はー。」
……こいつ相手なら別に言うの渋る必要も無かったか。あまり興味無さそうだし。
「えっ、それってさ、何の知識も無く出来るもんなの?」
「…はぁ?何言ってんの…出来るわけないじゃん。凄い人は1からできる人もいるんだろうけど、私みたいなのはちゃんとそういう専門の大学とか行って…」
「でも鮎川大学行く気ねえんだろ?どうやって勉強すんの?」
「…っ………それは……。」
「…別に…服飾系は……夢で……絶対やりたいとか…そういうのじゃ……ない…。」
「え?どゆこと?夢ならやりたい事じゃねえの?てかお前さっきやりたい事って言ってたじゃん。俺の聞き間違い?」
「だから、…やりたいけど私じゃ無理なの。家の事とかお金のこととかいっぱいあるし、私だけわがまま言う訳にもいかないし。」
「なんで鮎川だけわがまま言っちゃダメなの?鮎川はやりたい事やっちゃダメって誰かに言われたの?父ちゃん?母ちゃん?」
「っ……お母さんは………………いや…誰にも……言われてない…」
「じゃあやりゃいいじゃん。そこで悩む意味が分からん。」
なんなのこいつ。
何も知らないくせに。うちの事情とか、お金のこととか、何も分かってないくせに。こういう奴が1番嫌いだ。すぐ人の事に口出しして言いたいだけ言って満足する奴が。
「っだから、お父さんもお姉ちゃんも私の為に頑張ってくれてるんだから、私だけやりたいことやっていいわけないでしょ。少しでも早く恩を返さないと。」
「だからー、その恩は別に高校卒業してすぐ返せって言われてるわけじゃねえんだろ?自分のやりたい事やって、そこで余裕が出来たら少しずつ返してけばいいじゃん。焦りすぎなんだよお前。」
その時、私の頭の中で何か、ギチギチに溜まっていた袋のようなものが炸裂した。
「………さい」
「あ?」
「うるさい!!!!!!」
「いっ!」
「うるっさいんだよあんたさっきから!ズケズケズケズケ人が迷ってる事を簡単なことみたいに言って!それが出来ないから悩んでるんでしょ!正論だけ言えばいいと思ってる人ほんとに嫌い!」
「だっておかしいじゃん!!誰に言われたでも無いのに自分のやりたい事我慢して自分のこと縛るとか!そんなのバカのすることだろ!」
「バカ!?バカ!?あんた今私にバカって言った!?高校入って1番最初の数学のテストで8点だったあんたが!?」
「それで言うバカとはベクトルとかそういうのが違うでしょうが!とにかくお前バカなんだよ!良い意味でも悪い意味でもバカバカ!大体そんな曖昧な気持ちでやりたい事我慢して父ちゃんと姉ちゃんに恩返ししたとして、それでその人達が喜ぶって本気で思ってんのか!?」
っ!
「…それは…」
……でも…だって……私は…
「…ここまで言っといてなんだけど、お前ん家の詳しい事情は知らないよ。でもお前の父ちゃんと姉ちゃんはさ、鮎川にやりたい事やって欲しくて今頑張ってるんだろ。それをお前が否定して切り離しちゃったら、全部無駄になっちゃうんじゃねえの。」
…じゃあ…
「……じゃあ………どうすればいいの……私。」
「それこそ話し合わないとだろ。今のお前は誰の事も考えないで、自分の気持ちだけで動いてんだよ。多分だけどそれが1番ダメだと思う。」
「…でも、話し合うだけじゃきっと…」
「やってみないと分かんねーだろ。お前一人の問題じゃないんだから、尚更話し合わねえと。」
私一人の…問題じゃない。
「…それでほんとに……解決するの…かな。」
「分かんね。」
「……適当言ってる。」
「ほんとに分かんねーからしょうがねえじゃん。まあなんというか、あんま考えすぎんなよ。道は1つじゃないと思うし、後ろばっか見ててもつまんねーし。前向いて生きろよ。」
不思議な気分になった。
本当に少し、感覚的な。でも多分確実に、心に余裕が出来た。
箱の中にギチギチ詰めだと思っていて、気付いたら外で風に吹かれていたような感覚。
初めての気持ち。なんだろこれ。高正と話したからこうなったのかな?初めてが過ぎて分からない。
「そっか〜……ファッションデザイナーかーー………」
「っあ、そうだ。」
「なに?」
「鮎川服作るんだろ?じゃあさじゃあさ、一番最初に服作った時さ、それ俺に売ってくれよ。」
「……え、……なんで……。」
「なんでって、欲しいから。あと友達に自慢する。これ鮎川が一番最初に作った服だぜーって。」
ここ数週間、島崎と出会って分かったことがある。
島崎は多分、一つ一つの発言を大して考えずに口から発する。言ってしまえば頭の中で出来た言葉を口からすぐさまアウトプットする、脊髄で会話してるようなもの。何も考えないから時にさっきのような対立を生むし、今みたいな状況を作る。
でもそれは裏を返せば、嘘をつかないということ。嘘をつかず、打算で話さず、常に本心で向き合ってくれる。それがあるからさっきのように解決策をポンと出してくるし、今みたいにこんな事を何も意識せず簡単に言ってくる。
まだ期間は少ないが、島崎と過ごしていているとムカつく事の方が多い。でも私は、島崎のこんな所がす…
すき?
………
……え、好き?
すきスキ隙空き過き漉き鋤透
好き………
好き!?え、……私…島崎のこと………好き…なの?
いやでも……えーー……あーだめだ……代案が一切思い浮かばない…
まさかホントに……こんな奴……マジか……。
えっと…もしかしてさっきのよく分からなかった気持ちって……うわー絶対そういう事だ………なんなのほんと…
「鮎川?」
「へえっ!?」
「うわっ……大丈夫?」
や、やば……動揺して変な声出た……てかやばい変に意識しちゃう…島崎の顔見れない…………
…いや、落ち着け私…まだそうと確定したわけじゃない…から…だから今は…!!
「だ、大丈夫…!大丈夫だから…。えーと…、」
「服服!鮎川が一番最初に作った服俺に売ってくれって話!」
「あーあーそうだねそうだったね。……うん、いいよ…分かった。」
「お、え、え、マジ?急に軽くね?」
「いや別にいいよこれくらい。さっきは急すぎたから面食らっただけだし。」
「おーやったー!」
「材料めっちゃ良いの使って値段超高くするから。」
「うわマジかお前!よっしゃ覚悟しろ今から金貯めとくからな。」
「お買い上げありがとうございます。」
「お、そっか。じゃあ俺が鮎川ブランドの一番最初の購入者だ!」
島崎はそう言い、机に頬杖をつきながら笑った。
いつも見てるその笑顔、でも今の私にはそれがとてもとても、綺麗に光って見えた。
……あ、やばいこれ。今絶対私顔赤い。
顔隠したいけど急に隠したら変に思われる。
な、なにかごまかせるもの………っ!
「あ、そうだ鮎川さぁ」
「ゆ、夕日!」
「え?」
「夕日!綺麗だね!見て!」
私は顔を思いっきり横に向け、夕日で顔を覆った。今が夕日時で良かった、なんの違和感も感じない最適解だ。繋げる為に話の流れが不自然だったのは見逃して欲しい。
「夕日?……うぉ、ほんとだ!めちゃくちゃ綺麗!すげー!」
島崎は席を立ち、そのままに窓の手すりに体を乗っけて教室から覗き込むように夕日を眺め始めた。
その後私の方を向き、無邪気に笑う島崎を見て私は
私は、島崎が好きだ。
その笑顔を見て、私はそう確信した。
「ねえ、島崎。」
「んー?」
「別に嫌だったらいいんだけど」
「んー」
「もし良いならさ、名前で呼んでいい?」
「……お、おぉ…どしたん急に。」
「いや別に、なんか、島崎って苗字言いにくいから。」
「お前今の発言で全国の島崎さんを敵に回したぞ。」
「ご、ごめん…。まあ…嫌ならいいよ。私も別に気にしないし…」
「あーいやいいよ全然。呼ばれても減るもんないし。」
!
「…ほ、ほんとに?明日になってやっぱやだとか言わない?」
「言わねーよ俺の事なんだと思ってんだお前は。」
「そ、そう…。……えーと…じゃあ。よろしく、高正。」
「おう、よろしく。」
……マジか。まさかこんなに簡単にOKが出るとは。
いや私が重く捉えてるだけで実はそこまでハードルの高い行為では無いの?でも男子のこと名前で呼んでる女子なんてカップルか仲がめちゃくちゃ良い男女以外で見た事ないし…ダメだ今までそういうのに疎い人生を送ってきたから何一つ分からない。誰か教えて。
「…あ、じゃあ俺も…………いやいいや。」
「え?なに?」
「何でもない。ていうか鮎川帰ろうぜ!この夕日を背に河川敷走りに行こう!」
「ええっ!?いやいや、えっちょ待って待って荷物が!」
窓の向こう側から溢れ出る夕日を背に、私と高正は教室から出て行った。その時感じた背中に当たる夕日の暖かさは、ずっと忘れない。
この日は、私が高正を名前で呼び始めた日。
この日は、私が高正を好きだと知った日。
この日は、私の生涯で1番忘れられない日。
だから、今こうして私は思い出しているのだと思う。
もっと見ていたいと切に願った。
でも夢は水浸しの半紙のように不安定で、流れ星のように儚い。
私がそう思った時には間に合わなくて、気付けば私は病院のベッドに横になっていた。
目から涙が溢れ出ている。
それはきっと、夢の残り香だった。
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「咲耶、何か欲しいものあるか?」
このやり取りは、何回目だろうか。
「大丈夫。もう何も無いよ。」
「本当か?お父さんに遠慮してないか?」
「…あのさぁ……私が起きて3日間、食べ物も本も何もかも欲望のままに要求したんだから、今さら遠慮なんかしてるわけないじゃん。してない上でもう何も無いの。」
「あ、あぁ……そうか…。ならいいんだ…。」
私が目を覚まして、約5日。
お父さんはずっとこの調子で私のベッドの周りを右往左往している。
もう大丈夫だと言っているのに聞かず、仕事も休んでいるらしい。それ自体は嬉しいが、流石に5日もこれだと逆に私が心配になってくる。なんで私がよく分からない理由で心配しないといけないんだ。
目を覚ましたのは5日前、でも入院をしたのは1週間前。
1週間前、マンションの下の茂みで倒れている私を通行人が発見、救急車で搬送され入院。そこから2日間、私はずっと眠っていたらしい。見ていた夢の短さ的にも2日寝ていた感覚は一切ないが、スマホの画面に移る日時表記はしっかりとそれを表している。
9階から落ちた私はと言うと、四捨五入して言うならほぼ無傷だ。何も言わないで欲しい。私が1番びっくりしてる。
警察の人が言うには、落ちた際に私が葉と枝が多く密集した街路樹に突っ込んだおかげで落下速度が減速され、それでほぼ軽傷で済んだらしい。おまけに落下した場所の茂みと土が柔らかかったのがクッションの役割と果たしていたのもまた大きいと言う。まあ、100%たまたまだろうけど。それで済んだのなら儲けだ。
ほぼ無傷と言ったのも、軽傷はあるにはあるがほとんどが街路樹の葉と枝に当たった時の切り傷や落下した際の打撲程度というものだからだ。改めてまとめると軽傷とは言い難いかもしれないが、重傷と呼ぶほどでもないので四捨五入して無傷、という事にした。
「安心しろ。お父さん、もうお前から離れないからな。」
「いやもういい加減仕事行ってよ。」
「でも身の回りの世話とか…」
「看護師さんがやってくれるし、あともう私も歩けるからぶっちゃけ1人でも大丈夫だし。ありがとうお父さん、お仕事行ってらっしゃい。」
この5日間をもって、お父さんはとても過保護になった。思春期の娘を気にして普段は干渉をあまりしてこなかった性格が反転して一気に、心配性になってしまった。色々やってくれるのは嬉しいが、正直さすがに鬱陶しくも感じてしまう。
お父さん、私もうほんとに大丈夫だから。
「…そ、そうか……じゃあお父さん…午後から仕事行ってくる…。」
「うん、頑張ってね。」
「………あ、そうだ。咲耶。」
「うん?なに?」
「引越し、もう全部終わったから、退院したら新しい家に直行だぞ。」
「…!………分かった。本当にごめん、私の分まで。」
「気にするな。あんまり大変じゃなかったし、ちゃんと咲耶の部屋は美那にまとめさせたから。」
「うん…。えっと…新しい家の場所って確か…」
「咲耶の高校の最寄り駅まで、電車で30分くらいの所だ。前の家は学校に近かったから少し不便だと思うが、慣れればどうってことないよ。」
「分かってる、そんな事で文句言わない。本当にありがとう、お父さん。」
「…ゆっくり休め。学校側にも納得してもらってるし、今は普通に体を休めろ。」
「……うん。」
5日間の間に色々教えてもらったが、どうやら私がここにいる間に私の杞憂していた事は全て解決したらしい。引越し、引越し先、マンション。
その中でもひとつ、マンションにもう行かなくて良い、、、というたった一つの事実は私の心を救った。比喩ではなく本当に。乾いた心に水を注ぐような気分だ。
まあ…テストに関しては………べ、勉強してたし…抜けてなければ大丈夫…な……はず……。
唯一。杞憂では無い。これは、複雑な心境。
高正のことが気になる。
高正はあの夜以降、見つかっていない。
高正のお母さん、おばさんがあの後警察に捜索願を出し現在も捜索は続いているらしいが、進展はないとの事。
あの夜9階で起き、この目で見た出来事。
あの空間、あの黒い人、全ては現実だった。紛れもない、事実で真実だ。だからこそ解釈に困る。
なぜ高正?4年も居た私ではなく、なぜ高正が?あの黒い人は一体何なのか?なぜあんな空間が?
私は高正に助けられたのだろうか?高正はあの時、「バイバイ」と言った。それも満面の笑みで。あれに高正の意思はあったのだろうか。
高正が私を逃がしてくれたから私は助かったのか、高正を私の代わりに「アレ」が私を逃がしたのか、あれから考えたがどうしても結論に至らない。判断材料が少なすぎるのもあるが、それでも分からない。
きっとこれから私がいくら考えようと何も分からないし、何も変わらないのだろう。これから私がどう生きようが、何をやろうが、何も変化しない。ただ1つ、私の代わりに高正が連れていかれたという事実がそこにある。
この事実を、私はどう受け止めるべきなのか。
おばさんにそのまま言っても、100%信じてもらえない。そもそも人に言うべきではないだろう。
何も分からない。どうすればいいのか、どうしなければいけないのか、全て。皆目見当もつかない。
自分でも不甲斐ないと思う。あれを体験したのは唯一私のみ。誰に何を言おうと、あの出来事を真実と断言できるのは私だけなんだ。それでも、私にはどうすればいいのか、分からなかった。分からなくなってしまった。
高正はきっと戻ってこない。
この5日間で考えに考えつくし、疑問と考察を張り巡らし、頭の中で何度も思考し続けた結果生まれた、確信に近い結論。
薄情と言うのなら言えばいい。私だって考えたくない。でもそれでも、この結論は私の中でゆっくりと、違和感なく定着し始めていた。
ーーー
カリカリと、シャーペンで文字を書く音が聞こえる。それ以外には時計の秒針と、時折廊下から誰か先生の声。
これが最後の教科。これで……
「……はい、終了。鮎川。」
「…っはい。」
シャーペンを置き、前の席に座っている先生に紙を手渡す。
……この時間がとても胃にキリキリくる。多分名前とかそういうのの確認をしてるんだろうけど、その間にあの問題はどうだったとかああ書けば良かったとか考えてしまうから精神的にもくるものがある。
うぅ〜…早く終わって欲しい…
「……名前もOK。よし、これで全教科終了。お疲れ様、帰っていいよ。」
この言葉を先生の口から聞いた時、安堵の印に長い息が私の口から溢れ出た。
これで臨時で受けさせて貰えたテストは終了、あとは採点を待つだけだ。あの分なら………多分、、大丈夫だとは思いたい。
「もう日も沈んでくるし、早く帰りなよ。」
「はーい。」
先生が教室から出ていったあと、私は1人机に座っていた。
何をするでもない。ただそうしたかったからだ。
ただ、ここの空気を、空間を、場所を、体全体で感じたかった。
あの出来事以降こうしてボーッとする事が増えた。
4年も張りつめていた気が今になって4年分緩んだ故なのかもしれない。もう私の気は伸びきったラーメンのようにふにゃふにゃなんだろう。まあそれでも、今の方が心地よいが。
ふと窓を見た。
そこからは夕日の灯りが見えた。丁度日が沈む時間帯か。
そろそろ帰ろうかと、私は荷物をまとめて教室を後にした。
足が進んだ先は1階の正面玄関ではなく、4階だった。
さっき夕日を目の当たりにした時、もっと近くで見たいと思った。それと同時に思い出した。私がマンションから落ちたあとに見ていた、あの日の夢。記憶と呼ぶべきだろうか。
多分気のせいに過ぎない。でもなんだか今日の夕日は、あの日の夕日に似ていた気がした。
とある教室の扉に手をかけ、開ける。
ガララッと乾いた音が鳴り、教室の空気が外に漏れだした。
1年A組。ここは私と高正が出会い、1年間一緒に過ごした場所。
「ここに来るのは……まるまる1年ぶりか。」
入った瞬間、1年の頃の思い出が砂のように私の頭の中を満たした。
ここの席は、あのロッカーは、あそこの柱は、上の扇風機は。
思い出せばキリがない。当時まともに話してた友達は高正くらいしかいなかったが、それでも楽しかった。
「あの日の記憶だと確か…………あ、ここだ。」
あの日、高正と話していた席を見つけ、座る。
棚に手を入れると、奥に筆箱やらプリントやらが入ってるのが分かった。ここに座っている生徒の物だろう。
どこにでもある普通の席だ。
椅子も机もこの学校は統一しているから違いなどあるはずがない。せいぜい年季程度。
それでも、私にはこの席がとても特別な場所に感じた。いや、きっとそうなのだ。私だけが分かる、私だけの特別な席。
また窓を見る。
夕日はさっきよりも色濃く、この教室を飲み込んできていた。
ますますあの日と重なる。
何か、何かあるんだ。
私の心と頭の中は、その気持ちで満たされた。
なに?まだ何かあるの?
もううんざりだ。考えたくない。
仮にあるとしても、どうせろくな事じゃない。
高正が居なくなって、もうどうすれば良いかも分からなくなった。考えても結論は出ず、何も終わらない。そもそも始まりもしない。あの出来事以来、私は私が嫌いになった。過程はどうあれ助かった命、それなのに私はのうのうと何もせず生きてる。私の代わりに高正が連れていかれ、それに涙すら流さない。なぜ私が見逃されたの?高正じゃなく、私が連れてかれるべきだった。高正じゃなく、私が死ぬべきだったんだ。私が……
荷物を持ち、私は席から走り出した。
ここにずっと居ると、変な気持ちになる気がしたからだ。
【鮎川。】
後ろから聞こえた。
言うまでもない、
高正の声だ。
すぐさま後ろを振り向くが、誰も居ない。
「……どういう…事…今…たしかに、高正…の…」
【ほえーー色々考えてんだなぁ。】
「っ!」
また聞こえた。間違いない。
教室中を見渡すが、どこにも高正は居ない。
「なんで…?高正…!どこ!?どこなの、高正!!!」
声は聞こえるのに、何も見えない。姿を感じない。
【鮎川さぁ】
聞こえた方向が分かった。
あの、席だ。
あの日、私と高正が話していた、あの席。
私は居ない。でもそこには、夕日に照らされて、じんわりと輪郭が浮かび上がった誰かが居た。
それは。
また……?何か……変わったの…?
…っいや………違う……これは…
「……記憶だ…。あの日の……私の……記憶…あの日見た……夢……あの日の……」
「高…正……」
現実と記憶が混濁しているんだ。
とうとう頭がおかしくなったのかもしれない。でも私は、これに縋るしか無かった。気付けば目からは涙が零れ、床に膝から崩れ落ちていた。
【なんかやりたい事とかねえの?】
「あるよ………でも……高正が……居なくなったから…私…」
【やりゃいいじゃん。悩む意味が分からん。】
「…違う…違うの…もう………何もやりたくなくて…夢も……高正が居なくなってからどうすればいいのかも…」
【お前さっきやりたい事って言ってたじゃん。】
「…それは……1年前の…私で…」
【焦りすぎなんだよお前。】
「焦って……焦ってない……よ…」
【とにかくお前バカなんだよ!良い意味でも悪い意味でもバカバカ!】
【鮎川にやりたい事やって欲しくて今頑張ってるんだろ。それをお前が否定して切り離しちゃったら、全部無駄になるんじゃねえの。】
全て、あの日聞いた言葉。
何もかも違うのに、どこか重なる。言葉が繋がり、まるでそこにいるかのような気さえする。
でも……
「それでも…やだよ………私、…高正を置いて行きたくないよ……忘れたくない…高正を………」
「高正と……一緒に…」
【鮎川。】
顔を上げたら、そこに高正が居た。
しゃがみこんで、私と同じ目線で、そこに居た。
【前向いて生きろよ。】
いつも私に見せていた笑顔で、高正はそう言った。
そしてそれを最後に、高正は私の目の前から消えた。
その時高正の背中に見えた夕日は、まるであの日のように淡く明く、私たちを照らしていた。
その温度を、その光を。私はずっと忘れなかった。
それが高正と私の、最後の繋がりのような気がしたから。
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「咲耶ー、しっかり作業やれてる?」
「いーや全然。課題多すぎて無理。」
「もうほんとそれ!もっと減らしてほしいよね。」
「嶺香もまだやれてない感じ?」
「全く。手もつけれてない。しかも授業も出ないと単位落とすから出ないとだし。」
「1年の頃は大変だったもんねー。」
「ね、……あー思い出したら頭おかしくなりそう…。」
あれから3年。
私は服飾系の大学に入学し、現在2年生。課題と作業と単位に身を追われながら何とか過ごしている。
文字通り身を削りながらギリギリの生活を送っているが、案外楽しいもので。新しい友達も複数人出来たし、人生初の合コンにも参加したし、何より好きな事を並行して出来るというのは何事にも変え難く、楽しく、嬉しかった。
卒業してもしばらくは奨学金を返していく人生だろうが、そんな事はどうでも良かった。自分の夢に1歩1歩、近づいて行ってる。その実感と確かな感触は、私をさらに没頭させた。
「ねね、それよりさ咲耶。」
「ーん?なに?」
「この前の合コンさ、めちゃくちゃアタックしてきたやつ居たんでしょ?あの後どうなった??」
「…っあー…うん、丁重にお断りした。」
「えー!また断ったの!?もったいない…」
「ははは……それより気になるのは私より嶺香の事でしょ。彼氏さん、またバスケの大きい大会で優勝したんでしょ?すごいよね。」
「え?ああ、別にいいよあいつは。あんま驚かないし。バカだし。」
「バカって…」
「だってほんとだもーん。」
3年前のあの日、現実と記憶が混濁した時間。
あの時高正が言った言葉のおかげで、私が何をすべきか分かった。
それは、「精一杯生きること」だ。
辛いことも、楽しいことも、やりたいことも、大変なことも、全部経験する。全部経験して、それで精一杯に生きる。
私がいつまでもウジウジしたら色んな人が私のために動いてくれた結果が全て無駄になる気がしたからだ。それも全て、高正が教えてくれた。
高正は私に、「前向いて生きろよ。」と言った。
だから私は、いつかまた高正と出会った日に。
「前を向いて生きたよ。」と。
前を向いて、胸を張って、声高らかに、そう言える為に。
「咲耶ー?行かないのー?遅刻するよー。」
「っ行くよ!早く行こう!」
おこがましいと言われても否定しない。
でも私は、高正の分まで、精一杯生きてみることにしたんだ。
ふと、遠くを見た。
その視線の先には、何の変哲もないマンションが1つある。
今はどうなっているのか分からない、あのマンション。
その9階。そこにいる何か。あの空間。そこで体験した全て。
あれ以来私は、マンションなどの建物から時折強烈な視線を感じるようになった。
あのマンションに住んでいた時ほどではない。でも感じたらそこを見ずにはいられない程度の視線。
多分私は、一生この視線を感じて生きていくんだろう。
それでも構わない。あの4年間に比べれば、どうっことない。それに、今でもやはり許せない自身への贖罪でもある。
マンションの、どこから見られているのかは分からない。
分からないのは、感覚的な問題だと思う。
何階からとか、どこの部屋からとか、そういうのじゃない。
そうだな…………例えるならば。
マンションの隙間から。
すっこ〜しだけ解説をさせていただきますと。
あの日9階の隙間から咲耶が持ち帰った高正のバックパックとその中身ですが、実は咲耶が持っています。
でもそれは咲耶が高正の遺品欲しさにとかそういうのではなく、正式に高正の母親から譲り受けたものです。
「何も知らない私より咲耶ちゃんが持っていて。」
とのこと。
何とかねじ込みたかったですが無理でした。あとは色んな裏設定やらがあるのですが解説がうんこほど下手なのでご想像におまかせします。
ここまで読んでくれた方、まっことありがとうございます。
基本的に単話しか書かないのでこの作品で連載小説を書くことの大変さを知りました。こういうのいっぱい書いてる人凄いんですね。マジで。
この作品の部数間は時間が全く空いていないのですが、実際は1番最初のを作り出してからエピローグ完成に至るまで5ヶ月かかってます。でもそれは100%私の怠慢によるものです。多分ガチれば1ヶ月かからないくらいで行けました。多分。
しかもなんせ5ヶ月空いている訳ですから、5ヶ月前の自分の頭の中で描いたキャラクターと今日書きあげたキャラクターは本当に全く一緒なのかとか、喋り方変わってないかなとか、めちゃくちゃ心配になりました。マジで期間空けたらダメです。そういうのが分からなくなるとモチベも下がります。
じゃあなんでこの作品今終わらせたのって言うと、実はもう頭の中で新しい連載小説の構想が出来上がっているからです。といってもその場しのぎの付け焼き刃みたいなもんで、まだ全然設定とか絶賛盛り出し中です。テスト一日前のガチ暗記みたいなもんです。違うか。
まあ端的に言うと、新しい小説書きたかったのでとっとと終わらせました。ひどいですね。自信の作った作品に愛は無いのでしょうか。
とりあえず某CMのようなアレは控えまして、愛の有無はともかくちゃんと考えて作ったものなのでご安心ください。手は抜いてません。手で抜くのはアソコだけで十分です。
というわけで。ありがとうございました。次のアレにご期待ください。隙間に震えて眠れ。




