白い世界で
「ああ、なんということでしょう」
無機質な声が白い花畑に吸い込まれる。声の主は美しい黄金色の眉を寄せ、その白い世界を静かに歩んでいく。ぴちゃりと小さく水音が立ち、彼女のブーツが赤く染まる。赤い血が、白い花畑の中心に溜まっている。
女はその細く美しい腕を、血だまりの中心に立つ者に伸ばした。女の腕の先に居たのは、見上げるほどの巨躯の蟷螂だった。鮮血に染まる漆黒の躰が白い世界に浮かび上がる。
「貴女様でも、果たすことはできなかったのですね」
彼女の言葉には抑揚がなく、人らしき感情は感じ取れなかった。陶器の様に白い肌も、硝子玉のように澄んだ瞳も黄金色の毛髪も、人の温もりはない。人間が持っている穢れのようなものが欠落した、人形にも似た冷たい美しさだった。
しかし、彼女は人形ではない。
肌は陶器ではなく肉と皮で出来ている。瞳も硝子の美しさを持ってはいるが人のものと変わりは無い。彼女は人形ではなく、そして人間でもなかった。
「私は……」
人ならぬ『それ』は小さく呟くと、蟷螂の頭を引き寄せ血に濡れた頭を優しく抱いた。まるで赤子を抱きかかえるように、彼女は哀れな人間の『死』を悼んだ。
蟷螂は静かに頭を離すと、漆黒の羽を広げて飛び去った。その姿を見上げた後、女は眼を閉じてがくりと膝を折った。女の履物が膝から徐々に血が滲み込み、朱色に染まっていく。
冷たい美を湛えた瞳からゆっくりと光が消え、彼女の美しい顔からはひとかけらの感情も読み取れなかった。女はしばし虚ろな瞳を揺らしていたが、やがて静かに立ち上がると、表情の無いままいずこかへ歩き始めた。
女は今、全てを失ってしまった。
だが、それでも彼女は歩み続けるしかなかった。