蟲狩
アダンは『蟲』の頭蓋を握り潰した。
続けて突き出された巨大な蚊の口吻をかわすと、口吻は石造りの壁に容易く貫いた。アダンは突き刺さったその口吻を掴み、握った右拳に力を込めた。すると緑色の粉末がアダンの拳から散布され、そのきらめく粉末の霧に引きずり込むように蟲の首をもぎ取った。千切れた首の付け根から吹き出す体液は空中の粉末と混ざり、凝固し、粘液へと変質した。アダンが左手をかざすと、彼の腕にその粘液がずるりと吸いこまれた。
「……もう少しか」
呟くアダンの横顔に蟲の棘の生えた腕が振り下ろされる。アダンが再び最小限の動きでかわすと、蟲の腕は石畳を砕き、ただの石片に変えた。アダンはもう一度右腕に力を込め、緑の煙を散布し、握りしめた拳でそのまま蟲を叩き潰した。絶命した蟲からあふれ出る体液も、再び左手に吸収された。
「十分か……?」
気がつけば、アダンの周囲には夥しい数の蟲たちが群がっていた。同胞を殺されたことに怒りでも覚えているのか、はたまた体液の匂いにあてられたのか、二、三〇体ほどの巨大な蟲が耳障りな羽音を、寒気のするような甲殻が擦り合う音を発しながら、アダンを取り囲んでいた。
「おい、大丈夫か」
「……」
蟲の輪の中心にいるのは、アダンだけではなかった。彼の後ろに一人の女が座り込んでいた。女はアダンの問いかけに答えず、感情のない硝子玉のような美しい目でアダンの背中だけを見ていた。
二人を囲む蟲の輪が徐々に狭まってくる。しかし、アダンは少しも動揺することなく息を整えると、今度は左腕に力を込めた。何かが作動する音と共に左腕から蟲の体液が逆流し、掌から噴き出した。アダンが右腕から粉末を飛散させると、粉末により凝固した体液は更に固められ歪な剣を練成した。
「来いよ……」
アダンの挑発に乗ったかのように数匹の蟲が飛びかかってきた。アダンは歪な剣を振るい飛びかかる蟲を両断し、地を這い迫る蟲に切っ先を突きたてた。蟲達は同胞の体液の剣で切裂かれ、自らの体液で更に剣を大きく鋭く変貌させていく。
大きく膨らみ、歪んだ禍々しい剣をアダンは二つに裂き、両手に構えた。ますます激しくなる蟲の攻勢の中、アダンは表情も変えずに蟲たちを次々に葬っていく。
しかし、一人で対処するには、蟲はあまりにも膨大な数に膨れ上がっていた。飛びかかってきた蟲を切り裂いたとき、アダンの両手の剣は根元から折れてしまった。
「さすがに無理か」
「……」
女は切り裂かれた蟲の体液を体中に浴びてなお、表情を崩さなかった。女が顔にかかった体液をぬぐうと同時に、彼女の腕をアダンが掴んだ。そうして「走れ」と少しの動揺も感じられない声で言うと、蟲たちに向けて走り出した。女は逆らうこともせず、ただ手を引く男に従い駆け出した。
「……邪魔だ」
アダンは前方待ち受ける蟲たちに向かって開いた手をかざした。アダンが手に力を込めると、棘のようなものが射出され、何体かの蟲がまとめて串刺しになった。そのわずかな隙間を、二人は駆け抜けた。
死んだように静まり返った大路を抜け、砂と埃の臭いしかしない石畳の道を二人は駆けた。アダンの脚力は相当のもので、蟲たちもなかなか追いつけず、女もついていくので精一杯だった。だが、速度を誇る数匹の蟲が徐々にアダンたちとの距離をつめてくる。既に走る二人の耳には蟲の羽音がはっきりと聞こえ始めていた。アダンの背中を切り裂こうと、蟲が歪なかぎ爪を振り上げた。
「―———ッ!」
それと同時にアダンは背後の女と位置を入れ替えるように身をひるがえした。追いつこうとしていた数匹の蟲は、かぎ爪を振り上げた姿勢のまま地面へと突っ込んだ。地面に落ちた蟲たちの体は両断され、アダンの手にはいつの間にか剣が握られていた。薄く碧色に光る、禍々しい赤錆色の刀剣。
「温存しておいてよかったな」
アダンが刀剣を握った手に力を籠めると、刀剣は形を失い、彼の左腕へと吸収された。そのまま地面に広がる両断された蟲たちの赤錆色の体液の海にアダンが両手を付けると、地面に広がった体液もずるりと彼の手に吸い込まれた。
先ほどから蟲の体液を吸収したり碧色の粉末を散布しているものの正体は、彼の腕ではなく、彼の両腕に装着されている奇妙な籠手のようなものだった。肘のあたりまで覆うそれは赤錆色の体液が溜まり、その上を手の骨格に沿うように緑色の筋が輝いていた。
「それは……?」
「まだ来るか」
女の言葉は蟲たちの羽音で遮られた。アダンは追いすがる蟲たちに視線を向けると、再び女の腕をつかんで駆け出した。瓦礫の山を越え、廃墟の立ち並ぶ広場へと駆けていく。
アダンは広場の中心、水の枯れた噴水に飛び込むと同時に「頼む!」と叫んだ。
その声と同時に周囲の廃墟から人影が飛び出した。その者たちもまた、アダンのものとは違った奇妙な武器を手にしていた。ある者は緑に輝く刀剣で、ある者は穂先に銃が仕込まれた槍で、ある者は拳で、蟲たちを瞬く間に排除していった。
アダンとともに噴水の陰に飛び込んだ女は、その統率の取れた狩りを眺めていた。無機質な瞳に、ほんのわずかだが光が差したように見えた。女は蟲たちが排除されていくのをしばし眺め、隣に座っているアダンへ顔を向けた。
むに、と彼女の両頬がアダンの指で持ち上げられた。
無理やり口角を引き上げられ、彼女は無機質な顔のまま眼を瞬かせた。
アダンは先ほどまでと同じように、落ち着き払った顔のままつぶやいた。
「助かったんだ、笑え」
「……ふぁい?」
これがアダンと女の――コーラカルの出会いだった。




