蕪雑は岩と化したまま、耳をそばだてた。
「俺は、ある豪族の使用人をしていました。そしてそこの娘に、どういうわけか気に入られてしまった。しかし、それを受けるわけにもいきませんからね。気づかぬふりをしていたら、娘が癇癪を起こして、俺がむりやりに迫ってきたと、親に訴えたんです。そうすれば慌てた親が俺の身分を引き立てて、自分のものにできるとでも考えたのでしょう。そうなるわけが、ないというのに」
烏有は剛袁の苦笑に、返答をしなかった。
「結果は、想像できるでしょう。俺は牢に入れられた。そして弟たちの手引きによって、蕪雑兄ぃの元へ身を寄せたんです」
剛袁が口をつぐむと、水音を含んだ夜風がふたりの間を通りぬけた。川の音が沈黙を深くして、夜の闇に横たわっている。
ふたりは無言のまま、流れる水の上で、変わらぬ場所にまたたいている星を見ていた。どちらかが沈黙に耐えかねるのを待っているふうに、身じろぎすらもしない。満天の星が、さわがしいと感じるほどに、ふたりは岩の一部のように沈黙していた。
ややあって。
「僕はもともと、岐に住んでいたんだ」
細い声で烏有が言った。鳥が逃げてしまうのを恐れる者のように、舞い降りた言葉が飛んで消えぬよう、蕪雑は岩と化したまま、耳をそばだてた。
「中枢の方々の宴に出ていたという、証拠もあるよ」
烏有は横笛を取り出して、剛袁に見せた。
「口元の細工を見てごらん。梅と鳥の図があるだろう。それを見せれば、郵亭の2階に上がることができる。……豪族の使用人をしていたのなら、その意味はわかるよね」
剛袁は星明かりに浮かぶ、烏有の示した模様を見た。それは星の明かりを含んで、淡く輝いている。
「螺鈿ですか」
「ああ」
図の意味よりも、細工の妙に剛袁は感心した。こんなものを並の楽士が持てるはずもない。
「ここに来る前、岐に文を書いたんだ。もうそろそろ、相手の手元に届いているだろう。相手がすぐに動いてくれたなら、山に戻ったあたりで、返書が郵亭に届く計算になる。そうでなくとも、返書は必ず来る」
確信を持った声に、剛袁は片目をすがめた。
「それほどの信頼を得ている相手が、いるというのですか。……そんな相手がいるというのに、こんなところで豪族や官僚から見れば底辺と言われる身分の者のため、真剣に行動をしようと? 酔狂としか言いようがありませんよ」




