「こんなにはやく視察団がくるなんて、思わなかったな」
「へっ? なんでまた。烏有さんは、官僚相手の楽士をしていたってぇ、聞いたぜ。それに、ここにゃあ烏有さんのほかに、楽士なんていやしねぇからな。もてなしで笛を吹いたりするもんなんじゃ、ねぇのかい」
「視察はあくまで、公平に冷静な判断を持って、おこなわれるものだからね。不要な接待をすれば、なにかあるんじゃないかと勘繰られてしまうよ」
「そんなら、今夜もいつもどおりってことか」
「そう。上の方々がなにかをなさっていても、下々には関係のないことさ」
「ははっ。違ぇねぇ。俺らは、偉い人が決めたことを聞かされて、従うしかねぇもんな。そんじゃあ、烏有さん。また今夜」
男と別れの笑みを交わし、烏有は喉につかえた息を吐き出した。視察団のなかに、烏有を見知っている人物がいる可能性もある。だから烏有は、同席を勧める蕪雑に断りを入れた。事情を知っている玄晶と剛袁が、烏有の不在を受け入れたので、蕪雑は渋々と納得をするしかなかった。
袁燕も出席を断り、それなら俺もと蕪雑が言うのは、止められた。土地の豪族として、実質的な統治をおこなう男が、列席をしないなどありえない。それなら発案者である烏有と、尽力してきた袁燕もいなきゃならないと蕪雑は主張し、ひと悶着の末、烏有と袁燕の欠席が決定した。
手の中の熱が、ほどよく冷めているのに気づき、烏有は蜜のたっぷりかかった菓子に、かぶりついた。サクリとした表面の奥に、蜜の染みたやわらかな生地がある。ささくれだった気持ちを、なだめてくれる甘味に救いを求めるように食べ尽くした。
立ち止まり、領主屋敷の方角を見やる。
「こんなにはやく視察団がくるなんて、思わなかったな」
ひとりごちた烏有は、玄晶の手腕に感心しつつ、自分の無力を受け止めた。前々から湧き上がっていた、負の感情が確定的な現実となって、目の前に突き出された気分になる。
明江はまだ、国として完成をしていない。活気はあるが、建設中の区画もある。蕪雑や寧叡、警兵官たちが住むこととなる豪族屋敷も未完成で、彼等は領主屋敷の空き部屋や宿、知人の家などで生活をしている。そんな状態でも視察団が来たということは、玄晶が密に中枢の官僚とやりとりをし、こちらの現状や今後の展望、申皇に送る税の内容などを、具体的に提示してきたからだ。
「僕にはそんなこと、できやしない」
剛袁とともに、玄晶から外交術などを教わっている程度でしかない自分の、計画の甘さを思い知らされているような気にもなり、烏有はくやしさと無力感に包まれた。
ここにはもう、僕の居場所はないのかもしれない。
よぎった考えが、烏有の胸にわだかまっている。