番外:家を守る者たち
帰宅した夫を出迎えたアリアは、そのあまりの憔悴ぶりに慄かざるをえなかった。
ほんの数日で10年以上の時を超えたかのよう。頬はこけ、落ちくぼんだ眼の下には、濃いクマがベッタリと張り付いている。
明らかに異常な夫の様子。
「お帰りなさいませ」
それでも平静を保ち、ミラと供に笑顔で出迎える。
対する男爵の態度は奇妙なほどぎこちない。
「あ、ああ、留守中、変わりなかったようでよかった。」
アリアやミラを抱きしめることもなく、両手が落ち着かなげに彷徨った。
「なんだか、お加減がわるそうです。伯爵のところで何かあったのですか。」
不吉なものを感じながら、アリアは尋ねる。
男爵は、力なく首を振りながら、妻の言葉を否定した。
「少し、疲れただけだ。すまないが、部屋で休ませてもらうよ。夕食もいらない。」
そう言い残し、男爵は執事のモリヤに付き従われながら、自室へと入って行った。
疲れ果て、追及を拒む背中。
アリアはお付きの侍女であるジルとともに、それを不安げに見送った。
………。
モリヤは先代よりカーマイン男爵家に仕える老執事である。
長年の忠勤により、男爵からの信頼は篤く、豊富な経験に裏打ちされた沈着さは生半なことでは揺るがない。
その彼が、今、言葉をなくしていた。
「旦那様、それは真実でございますか。」
ようやく絞り出した台詞にも、彼の困惑がにじむ。声の震えだけはなんとか抑えられてはいるが。
男爵は革張りの椅子に腰かけ、組み合わせた両手を額に当ててうなだれている。
「俺は一体どうしたらいい。どうしたら、良かったんだ。」
「旦那様」
長年の勤めからきた習性か。老執事は自身も混乱のさなかにあってなお、主人を支えようとする。
「旦那様は、なにも間違ったことはされておりません。」
一際、力強く言い切る。
男爵は顔を上げ、すがるような目でモリヤを見た。
その眼をまっすぐに見つめ返し、さらに言葉を続ける。
「旦那様には、このカーマイン家を守り、領民を導く役目があるのです。私たち使用人はもちろん。旦那様自身や奥方様に至るまで、そのための道具にすぎぬのです。
障害となる物は、どんな手でも使って除かなければなりません。
つらいことですが、よくぞ、ご決断なさいました。」
「そうだ。この家を、カーマイン家を守らねばならない。私にはその責任があるのだ。」
これから犯す罪の免罪符を握りしめるように、男爵はその言葉を口にした。
モリヤはもう一度、深く肯いた。
「後のことは、このモリヤにお任せください。本日の、夜半でよろしいのですね。」
話が計画の詳細に触れ、男爵の顔色が蒼白さを増す。
「そうだ。夜半に伯爵の息のかかった傭兵が屋敷に侵入し、ミラを……、」
言葉に詰まる。
「ミラを、処置する。」
「物盗りの賊の仕業。と、言う訳ですな。」
モリヤの確認。男爵は小さく、ほとんど震えるようにして肯いた。
「賊は北から来る。松明を丸く振るのが合図だ。こちらはカギを開けた窓にろうそくを3本立てることになっている。
引き入れた賊が役目を果たして逃げ出した後、頃合いをみて騒ぎを起こせ。『賊が入った。』と。後の始末はキルミツ伯が取りしきってくださる。」
「かしこまりました。このモリヤにお任せください。万事、つつがなくとり行わせていただきます。」
ゆっくりと、明瞭な言葉で老執事は言った。
対する男爵の声は細い。
「ああ、頼んだ。」
分かち合われたことで、かえって秘密の罪深さは重みを増したようだった。
太陽はすでに中天を過ぎ、ゆっくりと地平線に向けて傾き始めている。
夜が来るのも、そう遠いことではない。




