第48話:メイサの事情
リヨンとミラの“名もなき村”での生活は当初の心配を裏切って、平穏に過ぎていった。
村唯一の魔法使いであり、結界を管理するローエンの権威が高いせいだろう。彼女に後見される形になった2人を村人は数日のうちに当たり前の存在として受け入れていた。
20軒に満たない小さな村で、魔法使いが貴重だったと言うこともあったかもしれないが。
物腰がよく知る樹木精を彷彿とさせるのか。ミラはローエンに懐き、お婆ちゃんと呼ぶようになった。
ローエンもミラを可愛がって、魔法の講義などをする。
「お前さんの呪文を今さら変える必要はないよ。それよりも魔法陣の意味を覚えたほうがいいね。それで十分、他の魔法具に持ち替えても対応できるようになるし、結界みたいな持続性の魔法も身に着けられる。」
「わたしは緑の神・ククノチを信じてないけど、お婆ちゃんと同じ魔法陣で大丈夫なの?」
「ほとんどは大丈夫さ。ただ、中にはククノチの祝詞が刻まれているものがあるから、そういうものが使えるかは私も知らない。確かめてみるしかないね。」
リヨンもミラも一生懸命働いた。
畑仕事、水汲み、薪割り、料理に針仕事、さらには薬の作成と結界の管理。
それは村の人に受け入れてもらうためでもあったが、なにより、じっとしていると不安に囚われそうになってしまうからだった。
ミラの顔が寂し気に見えるとき、そして自分が不安に負けそうになった時、リヨンは歌を唄った。
隠れ里のことだから、声を張り上げるようなことはしない。結界の外までは届かない、ささやかな歌声。
口ずさむように紡がれるその歌を、時々、聞きに来る人があった。
それは口減らしのために売られそうになり、生家から逃げて来た農民の娘だったり、ひどく暴力を振るう夫の元をとび出して来た女だったりした。
彼女たちは時に声を合わせて歌い、時にはポツリと自分の身の上をこぼしたりした。
メイサとヤズゥはそこに加わることはなかったが、それでも親切なことには間違いなかった。
ヤズゥがローエンの薬を商っていることもあり、2人は普段から頻繁に老婆のもとを訪れる。
自然と、ミラやリヨンとも触れ合う機会は多くなった。
ある日のお茶の時間。ミラは気になっていたことをついに直接本人に尋ねてみた。
リヨンとローエンは裏でまだ作業をしていて、珍しく二人きりだった。
「あの、なんでヤズゥさんと結婚しないっていうんですか。村にいるときは一緒にいるし、嫌いってわけじゃないんですよね。」
聞かれたメイサが困った顔をして、それを見たミラは恐縮する。
「ごめんなさい。こういうこと、聞いちゃダメだってお婆ちゃんにも言われてるんですけど。やっぱり、不思議で」
椅子の上で小さくなる少女の姿に、メイサの表情が少し緩む。
どうしようかな。と、考える表情をした後で、今度はせつなげな笑顔が顔に現れた。
「そうだね。一言で言えば、出来るだけ重荷になりたくないから、かな。」
「重荷に、なりたくない?」
言葉をおうむ返しにするミラに、メイサは肯いた。どうやら、少し話してくれる気になったらしい。
「これが、なにか分かる?」
言いながら、おもむろに左の袖をまくり上げるメイサ。
その下には、青ざめた紋様。まるで腕輪のような刺青が黒々と姿を現した。
答えが分らず、首を傾げるミラにメイサは諭すように言う。
「コレはね、奴隷の証。“服従の呪印”。罪人、敗戦国の捕虜、異端者、それから破産者の家族。そんな理由で人間以下だとされた者の印よ。つまり、私は逃亡奴隷なの。」
イスタ村には奴隷を所有するほど豊かな人間はいなかった。知識だけの存在だったものが目の前に現れてとまどうミラにメイサは続ける。
「商家の娘が、生家の破産と積みあがった借金のせいで奴隷に落ちぶれたのが事の始まり。
買われた先で、悪い主人に手籠めにされそうになったんだけど。なんの気まぐれか、丁稚奉公の小僧に助けられたのよ。
1人は奴隷、もう1人は奉公人。主人に手をあげて無事に済むはずもない。手に手を取って逃げ出したんだけど、そこは子供ね。
逃げ出したもののどうにもならず、数日のうちに行き倒れ。そこを、ローエンに助けられたってわけ。」
「すごい」
ため息まじりにそんな感想を漏らすミラ。対してメイサは苦笑しながらお茶を一口。
「すごかないよ。馬鹿だっただけ。」
なんで?と首を傾げるミラにメイサは微笑む。
「だって、そうでしょう。ヤズゥは折角の奉公先をフイにしちゃうし、なにより、二人そろって野垂れ死にするところだったのよ。」
冗談めかして語るメイサの目の奥に、かつての情景が浮かび上がってくる。
普通に手籠めにされるだけならば、上手く立ち回って奴隷から解放され、妾の座に収まるという可能性もあっただろう。
当時は、おぼこ過ぎてそんなことに気が付きもしなかったが。
しかし、あの時連れて行かれそうになったあの部屋。寝室というよりは地下牢のような、昏さ。そして臭気。あれは、
そこまで振り返って、自分に注がれる視線に我に返る。
あわてて浮かべた微笑みに、忌まわしい過去のシミは付いていないだろうか。
「ヤズゥに感謝しているのは本当。でも、アイツはここじゃなくても生きていける人間よ。だから、私なんか放っておいて、よその街で店でも開いてくれればいいと思うの。連れだした責任を感じて、いつまでも私に縛り付けられていることはないわ。」
メイサの語ったのは、まだ10代前半のミラには少し難しい機微だったかも知れない。
それでも、少女はニッコリと嬉しそうに肯いた。
「やっぱり、メイサさんはヤズゥさんの事が大好きなんですね。」
飾らない、ストレートな物言いにメイサが思わず赤くなる。
「んな、べ、別にそういうんじゃないわよ。ただ単に、十分に助けてもらったから、もう自由になって欲しいと思っているだけ。」
言わずもがなの弁解をするメイサ。
ミラは笑顔でそれを聞いた後、一転して遠慮がちな調子で口を開いた。
「私みたいな子供が、分かったようなことを言うとおかしいかもしれません。でも、メイサさんはヤズゥさんと目一杯仲良くした方がいいと思います。」
年不相応な大人びた口調に、メイサは思わず相手の顔を見つめた。
ミラはその視線を受け止めながら、言葉を続ける。
「私も、ちょっと似てる気がするから、そう思います。」
「似てる?」
聞き返されて、ミラは肯く。
「知ってるかもしれませんが、私は拾われ子で、人頭鳥の母と岩石精の父に育てられました。」
一度、言葉を区切るミラ。
内心をこうして言葉にするのは初めてだからだろうか。内容を吟味するように視線を手元へ彷徨わせている。
「2人のことは大好きです。ずっと一緒にいてほしい。そう思ってました。でも、少し前から素直にそう言えなくなっちゃったんです。」
「それは、どうして?」
「分かってきちゃったから。2人が私をどんなに大事にしてくれているか。2人にとって、私がどれほど重荷になっているか。少しずつ、分かってきちゃったんです。
分かっちゃったら、わがまま言えなくなっちゃいました。もっと、ずっと、なんて。
だって、わがまま言わない良い子でいれば、その分だけ好きでいてもらえるもの。」
少女の表情。そして言葉。メイサは胸を突かれるような気持になった。
「でも、それは間違いだったかも、って今は思ってるんです。」
「間違いなんて、そんな」
そんな風には言い切れない。という言葉が半ば反射的に口をつきそうになる。
しかし、それはミラの言葉に遮られた。
「どれだけ私が我慢しても、どれだけ良い子でいようとしても、そんなこと関係なく離ればなれになっちゃうことはあるんです。
その時、すごく後悔しました。もっと甘えて、もっと一緒にいて、もっと好きだって伝えていればよかったって。」
誰のことを言っているのかは明白だった。
語っているうちに気持ちが高ぶったのか。涙が1つ。
メイサは目の前の少女の頭を優しくなでた。ひどく小さな体だった。
そうしながら、我が身を振り返る。
生家が破産し、家族は離散。失い続ける日々の中で、いつしか手に入れること自体を恐れるようになっていただろうか、と。
「ありがとね。私たちの事、心配してくれたのね。」
そう声をかけると、撫でられるがままになっていたミラが目を上げた。
まだ、濡れたままの少女の瞳に向かって、メイサは笑って見せた。




