第43話:逃避行と追跡行
【軽やかなる風の精霊よ。我がもとに立ち寄りて、疾風の加護を与えたまえ。疾風を纏う者】
疾風を纏い、流星の如く、リヨンは空を駆けた。
眼下には、その体を力なく空中に投げ出した愛娘。さらに、その先には今まさに凶刃に倒れようとしているロクの姿が見えた。
急旋回し、背後からミラの身体を掴む。高速下での接触。さらには相手の身体には強力な【硬化】の呪文がかかっている。
「あぐぅっ!!」
予想以上の衝撃に爪の一本が折れ、右の小指が鈍い音をたてる。それでも、決してその身体を離しはしない。
塁壁の上、わずか10メートルほどの距離を隔てて兵士が弓を引き絞っている。
「あああああああああ!!」
声をあげ、全力でその場を離脱する。少しでも速く、少しでも遠くへ。
魔力の消費も体力の消耗も度外視して、リヨンはただただ羽根を動かした。放たれた矢が、リヨンの耳元の空気を切り裂いていく。
ミラの身体からは刻一刻と生命が失われていく。
出来るだけ早く地上に降りて治療を行わなければならない。しかし、砦から出されるであろう追手につかまるわけにはいかない。
相反する状況に追い立てられるように、リヨンはただ限界を超えて飛翔した。
一方、スサノ砦では、騎士たちとライド一行が慌ただしく追跡に移ろうとしていた。
「ライド殿、手負いの獣がもっとも恐ろしいと申します。ゆめゆめ、油断せぬように心がけて参りましょう。」
準備を整えたアガタがライドに言う。口元には、この手の武人が戦いの前に浮かべる力強い笑みがある。
「そうですね。目にしたのはハルピュイアだけですが他に何を潜ませているか分かりませんし。」
勇者はしっかりと肯いた。報告では悪魔山羊と火蜥蜴の仲間が確認されていたはずだ。
「ライド様、アガタ殿。ご武運をお祈りしております。」
そう言って恭しく頭を下げたのは東周公。いや、東周公の衣装をまとった老年の男。
執事のエドガーだ。
大貴族たる東周公フウキ・ハチヨウが直接魔物と相対するなど、ありえない。本物は今頃、本拠ハバロクで禿頭に汗をかきながら政務を執っていることだろう。
「エドガー殿こそ。危ないお役目、御苦労でした。」
「いえ、ライド様のおかげで安心していられました。」
老執事とのやりとりが済むと、ライドはヒラリと鞍に跨った。
用意を整えた騎士と兵が自らの号令を待っている。その中には、ジンカイ、アルビ、コナーズにケイマー。気心知れたパーティーメンバーも混ざっている。
深呼吸を静かに一つ。それからライドは口を開いた。
「ハチヨウ家の誇る精兵諸君。先程、間近に目にした通り、この度の相手は魔物を統べ、魔物を操る魔性の者だ。どうだ、怖いと思う者がいたら遠慮なくいってくれ。」
この問いかけに一座から笑い声が上がる。そんな奴がいるはずはないと言う笑いだ。
実際に、血気盛んな若い騎士が口を開いた。
「我等は東周公、ひいては王国に剣を捧げた騎士なれば。その敵に相対して、剣も歩みも決して鈍ることはありません。」
騎士たちが手にした盾を打ち鳴らし、その言葉に賛意を示す。
「ならば、何も言うことはない。その腕を存分に振るってもらうとしよう。全隊、出発!!」
聖剣を掲げ、号令をかける。騎士たち振り上げた拳と野太い声でそれに応えると追跡を開始した。
砦から続々と出ていく騎士と兵たちを見送ってから、エドガーは居室に戻り衣装を普段のものに着替えた。
それから、砦の中を移動する。廊下からは、中庭で斬り分けられた岩石精の身体を片付けている兵たちの姿が見えた。
足を止めたのは一つの客室の前。扉の前から控えめに声をかけ、入室を許される。
目立たないが、洗練された動作で中へ。
そこは、トギル・カーマイン男爵に割り当てられた部屋であった。
「なにか、用かね。」
そう尋ねる男爵の声には、明らかな遠慮の響きがある。相手は貴族ではないとはいえ、大貴族たる東周公の執事。距離感を測りかねている部分があるのだろう。
「いえ、お疲れのようでしたので、もしよろしければお茶でもと思いお伺いした次第です。」
エドガーの言った通り、男爵はひどく消耗して見えた。もともと、老けていたが、いまは更に10歳は年をとってみえる。
男爵はその提案を断ろうとして、途中で思い直した。
「茶ではなく、酒を貰えるか。」
老執事は畏まって、承った。
そこいるのは、かつて妻と娘を国に売り、今もまた自らの手で娘を刺した男だった。
そのことについて、エドガーは今さら特別な感慨を抱いたりはしない。
領地や家を守るためであっただろうと、推測するだけだ。
砦にある中でも上等で、その分強い酒を運ぶ。
男爵は客室のソファに力なく体をあずけ、対照的に乱暴な手つきで杯に酒を満たした。喉の奥に放り込むように杯を空にすると、一度だけ、歯を食いしばり、眉間に深い皺が刻まれ、瞼が震えた。
「ありがとう。用があればこちらから呼ぶ。夕食も不要だから、放っておいてくれ。」
掻きむしるような調子でそう言うと、再び酒を注ぐ男爵。
エドガーは黙ってその部屋を辞した。
娘が予言された忌み子でさえなければ、案外、幸せな家族になったかもしれない。そう思ったが、それも一瞬。
なぜなら、東周公に忠誠を誓うこの老執事にとって、辺境の弱小貴族の感慨など何の意味もないことだったからだ。
………。
カーマイン男爵が最初の一杯を干したころ、勇者たち一行は先行隊との合流を目指して歩を進めていた。
人頭鳥が逃走を図った直後から、即座に追跡を開始していた数名の騎士。それが先行隊である。
彼らと合流すれば、一層の情報が手に入る。
相手の人頭鳥は人一人を運んでいるとは思えないスピードだったから、そう長くは追跡出来てはいないだろう。しかし、逆に言えばそんなスピードが長続きするわけもない。
見失った先を丹念に捜索すれば、発見することは十分に可能。そう、ライドたちは考えていた。
不安材料と言えば、捜索の人数がそれほど多くない事。それに既に午後も遅く、あと数時間で日没を迎えてしまうことだった。
とはいえ、時間を置けば回復されたり、他の魔物を呼ばれる恐れがある。多少無理をしてでも早く決着をつけることが望ましかった。
その一行の中にあって、司祭アルビ・トゥールーの表情は冴えなかった。逃げた魔物たちに対する追跡行である。ピクニックのように浮かれるものでもない。
実際に、騎士や兵たちも緊張感のある顔をしているが、彼女の憂い顔はそれらとは若干趣を異にしていた。
「どうした、何か考えごとか?」
アルビにそう声をかけたのは、コルダを近くに寄せて来たライドだ。号令は発したものの、実際の指揮は騎士団長であるアガタが行っているために、余裕がある。
「…ええ。なぜ、彼らは砦に来たんでしょうか。」
「なぜ、とは?」
「あの人頭鳥です。彼女は仮病で面会を断り、必要最小限の荷物をもって上空に待機していたと思われます。不測の事態に備えていたと言えるでしょう。でも、そこまで警戒していたのなら。何故、彼らは招かれるままに砦へやってきたのでしょうか。」
ライドはしばしの間、考えた。
「魔物の考えは分からないが、褒美に目がくらんだか。自分の力に余程の自信があったんじゃないか。」
仮にも少女の姿をした存在を、躊躇いなく魔物と呼ぶライドにアルビはかすかな違和感を抱いた。
「父親に、会いたかったのでは?」
口調にほんの僅か、縋るように同意を求める感情が混じったが、それに気が付いたのは口にした本人だけだった。
「確かにその可能性もあるが、しかし、魔性の存在たる者がそれほどの情を持つかは疑問だな。やはり、褒美が一番の要素の気がする。人頭鳥は本当に念のための備えだったんじゃないか。」
その答えを聞いたとき。本当にほんの少しだけ、失望している自分をアルビは見つけた。
失望?何に?
ライドに?それとも、彼の答えがそのまま一般的な答えとして通用するこの国に?
みなし子の少女が生き別れの父に会いたいと願い。魔物たちは自分の危険を顧みず、それを叶えてやりたいと願った。
これは、そういう話ではないのか。
これは、そういう話では、ないのだ。
少なくとも、自分以外の者にとっては。
アルビはどこか遠いところから眺める気持ちでそう結論付けた。
自分以外の者にとって、今回の顛末とは。
巫女によって、その出現を予言された忌み子。邪龍をも退散させる力を持つ魔性の者が、下僕の魔物ともども罠にかかった。そういうことなのだ。
それが正解なのだ。と、アルビは自分に繰り返し、言い聞かせた。震えそうになる手に力を込め、ことさらに背筋を伸ばす。
いつも通りの笑みを浮かべるように心がけて、ライドに顔を向ける。
「そうかも、しれませんね。」
ここに立ち続け、役目を全うすると誓ったのだ。こんな葛藤など表に出すわけにはいかなかった。
幸い、ライドはアルビの内心の葛藤には気が付かない様子だった。応じるように笑みを浮かべると別の話題を振って来る。
「そういえば、ゴーレムがしていたあの首輪。何かの魔法具のようだったが、なにか分かったのか?」
「時間がなかったので、ろくに調べられなかったんですが、どうやら魔力に反応して音を出すモノのようです。あのゴーレムが喋っていたのはこれを使っていたからかと。」
アルビがそう答えると、ライドは何か拍子抜けしたような顔をした。
「そうか、何か有効に使えないかと思ったんだが、それじゃあ活用は出来そうにないな。」
「まあ、なにかに使えるかもしれませんが、今は思いつきませんね。それよりも素材がどうやら聖樹の枝の様です。彼らがいたという村の近くに聖樹があるのかもしれません。」
苦笑をうかべながらアルビは言う。心掛けて表情を作っているせいか。笑みが普段よりも大きくなった。
そんな風に話をしているうちに、一行は大きな森の手前で先行していた騎士たちと合流した。
ここからは、数名単位の班に分かれての本格的な捜索になる。
アルビは負傷者が出た時に備えて、後方で控えておくことになっていた。
次々と森の中へと歩を進めていく騎士たちを見送りながら、アルビはどうしようもない息苦しさを感じていた。
なぜなら、自分自身がこの捜索の成功を心から願っていると、どうしても断言できなかったからだ。
既に太陽は山の向こうに隠れ始めている。不意に足元から這い上がってきた寒気に、若い司祭は心細げに体を震わせた。
作中のミラたちに確認する術はありませんが、カーマイン男爵は間違いなくミラの実の父親です。
今回、赤子の頃に始末したはずの忌み子が生きていたことの禊として、自ら手を下すことを命じられたのです。
13年前、ミラが捨てられた時の顛末はいずれ番外で触れようかと考えています。




