30 故郷への手紙
ロズグラシア国王ダグラスが、開戦へ向けて準備を進めているという話は、ルシーナの耳にも入った。
レネートモンドや他国も、この国を我が物にせんと動いているらしい。
先見の力は、相変わらず思ったようには働かなかった。
何か自分にできることは、とルシーナは逡巡した。
そして、レネートモンド王子アレクシスに手紙を書くことを思い付いた。
まだ慣れない拙い字で、ルシーナは思い留まるよう、必死に気持ちを込めて書いた。
ここは、いきなり連れてこられた場所だ。だが、いつしか大切な場所になった。
故郷ロンデニアもそれは変わらない。離れていても、大切な場所なのだ。
先見の力があったなら、ロズグラシア王国はもっとうまく立ち回れたのかもしれない。
そう思うと、胸を締め付けられる。
先見の力が役に立たないのなら、せめてこの王女という立場を利用して、出来ることをするしかないーールシーナはそう思っていた。
ヘイゼルは、宮務省の者に頼み、その手紙を届けるよう手配すると言った。
言葉にはしなくても、ルシーナの胸の内は分かっていたのだろう。いつもなら、アレクシスに手紙を出すなど、ヘイゼルは口やかましく何か言いそうなところだが、今回は何も言わなかった。
だが、ルシーナの願いもむなしく、最後通牒が出された。
ロズグラシア王国もレネートモンド王国も、エピルス地方については譲歩しないーー表向きは、そういうことだった。
話し合いで埒があかないのなら、力の強い方が得るだけだ。
分かりきってはいたことだったが、国中が騒然とした。
「ねえ、家族に手紙を書きたいのだけど、届けてくれるかしら」
ルシーナがヘイゼルに言う。
家族とは、ロンデニアに住むベンソン夫妻のことだ。今は実子のエリックの世話に追われているはずだ。
構いませんよ、とヘイゼルが言う。
いつもなら断られそうなところだが、あっさりと答えが返ってきたことにルシーナは驚いた。
「ロンデニアの友達にも手紙を書きたいの」
これには、さすがにヘイゼルは良いと言わなかった。
「王女の養父に宛てた手紙なら、納得しますとも。しかし、個人的な友達、というものでしたら困ります。特定の者にだけ王女からのお言葉があれば、市井の者にはいらぬ火種となり得ましょう。あなたの言葉は以前とは違います。その一言があるかないか、それだけで火種となりうる…」
久しぶりに長々とヘイゼルが話す。
分かったわよ、とルシーナは心で思った。話し出すと長いのだ。うんざりした顔でそれを聞く。
「なら、お父さんとお母さんへの手紙を書くから、何書いても文句言わないでよ」
「機密は漏らさないでくださいよ。それと、手紙は見せていただきますからね」
はいはい、と答えるルシーナに、はいは一度でいいのです、とヘイゼルが言う。
またも説教を垂れそうなヘイゼルを背中に、そそくさとルシーナは部屋へ戻った。
ルシーナは考えを巡らせた。
ベンソン夫妻は、ルシーナの友達のことも知っている。家は近所だ。
よし、と呟き、彼女はすぐにペンをとった。
ベンソン夫妻の手紙の中に、ロンデニアの友達への伝言を盛り込むのだ。
ロンデニアに思いを馳せながら書く。もしあの街にいたままならーー今頃、どうしていただろう。
仲の良かった、としか形容しようのないライアスのことも思い出した。まさに「いたずら小僧」という感じだったが、懐かしい。今頃どうしているだろうか。
いつも首もとにかけている、赤い石がついたペンダントを指先で触った。
彼女の世話をする女官に、ドレスに合うペンダントをつけた方がいいと言われたこともある。けれど、お守りだからと譲らなかった。
手紙を書き終わり、ヘイゼルに見せた。ベンソン夫妻以外にも、友達に伝言を頼んでいる内容だったので、ヘイゼルの顔が険しくなる。
「殿下、これは…」
「お父さんとお母さんへの手紙だから!」
ヘイゼルの言葉を掻き消すように、ルシーナが言葉を被せる。
伝言といっても、当たり障りのないものばかりだ。体調を気遣うものや、ロンデニアにいた頃のお礼などだ。ライアスには、赤い石のペンダントのお礼も付け加えた。
ヘイゼルも、嫌とは言えない様子でそれを受け取った。
「これは、私が責任を持って、ベンソン夫妻に届くよう手配します」
お願いね、とルシーナが微笑む。
ところで、とヘイゼルがルシーナを見た。
「王子殿下方は戦の支度にかかられました。王女殿下も、神官として戦地に立たれる時が来ます。ダグラス王から、殿下の支度は私がするよう、仰せつかっております。今後どのようになるかは、逐一報告させていただきますから、ご心配なさらぬように」
それと、と彼は付け加えた。
「先程のお手紙ですが、だいぶ文法が正しくなってきましたね。ところどころ、綴りの間違いなどがございますが…これも殿下の成長の証として、このままベンソン夫妻に届けさせていただきます」
えっ、とルシーナが声をあげた。
「綴りの間違いは直させて!っていうか、私、神官の力ないのに行かなきゃいけないの!?そのこと、書いてないんだけど!」
構いません、とヘイゼルが答えた。
「私も拝読しまして、文字の読み書きが出来なかった殿下の成長をひしと感じました。綴りの間違いがあったとて、涙が出るほどに喜ばしいのです。ベンソン夫妻もきっと喜ばれることでしょう。それでは、私は失礼します」
露ほども潤まない赤の瞳で、彼はルシーナを見据えてそう言う。
「あ、ちょっと、綴り間違いは恥ずかしいんだけど!…じゃなくて、私がどこか行かなきゃいけないって書いてなかったのよ!ヘイゼル!」
足早にそこを去るヘイゼルを追いかけ、ルシーナは駆け出していった。




