第10話 惑わされたセイレーン(下)
アンが来ない。何故? どうしたの? また怪我をしてしまったのかしら。アン聞いて欲しいことがあるのに。私足を作れるようになったのよって、言いたかったの。私はアンの隣で一緒に陸を歩けるの。今日は会える日のはずでしょう?
私は意を決して足に変えて、おぼつかない足取りで森の中を歩いた。
アンが居ない。前落ちた建物に、息絶えた人間達。辛うじて生きている人間、アンの親戚に話を聞いた。アンは連れて行かれてしまったらしい。どこに? 私は会いに行ける?
アンの親戚に、戦えるのかと問われれば私は否としか答えられなかった。
人間の事情なんて私はしらない。女狩りって何よそれ。歩く事に慣れていないし、今の私の見た目は完全に人間だから、陸に残るならここから離れない方がいいと言って、アンの親戚は息絶えた。
私は陸で戦う手段を持っていない。ここで待つしかないの? アンは戻って来れるか分からないのに。もう、アンには会えないの?
私は後ろ髪引かれながら、海に戻った。
「あら、セイミア。どうしたの?」
足の作り方を教えてくれたセイレーンがまた海に戻っている。そういえば最近はずっと海にいるような。もしかして、人間の事情を知っていたからずっと海にいるの?
私は今までの事と、さっき見てきた光景を教えた。
「……そう。正直に言うと、もう会えない可能性の方が高いわ」
「!!……本当に?」
「えぇ……」
貴女がそんな顔をしなくていいのに。申し訳なさそうに顔を歪めた彼女に、私は眉を下げた。静かな海の中、彼女は死んだ人間の埋葬をしようと提案してきた。
埋葬とはと疑問に思っていると、彼女が教えてくれた。この海に面している人間の国では、人間が死んだら土に埋めるらしい。
私は頷いて、明日彼女と一緒に埋葬する事にした。
次の日、彼女と他にも戻ってきていたセイレーン達と協力して人間を埋葬して、建物も綺麗にした。
セイレーンの殆どは人間を食べ物としか見ていないけど、友好的なセイレーンも居る。だから痛みに耐えて足を作り、陸に上がるのだ。
友好的と言っても全ての人間に対してではないので、人間の情報を海に持ち帰って共有したり海に来た人間を狩る事を手伝ったりしている。
時間だけが過ぎていく。数年という月日は、アンと出会うまではあっという間だったのに、今ではとても長く感じられて、それは心を蝕んでいった。
誰も居ないこの場所で。私はアンの帰りを待った。
岩が沢山ある崖に行く。海で泳ぐ。掠れた声で歌を歌う。魚を捕る。料理をする。眠って起きて、服を着る。海で泳いで、歌を歌う。そんな毎日。セイレーンの友達は時々遊びにくるし、陸の上で人間以外の生き物と知り合いになったりもした。
アンが居ない事以外は充実した日々。
私歩く事に慣れたから、もう足を引き摺ったり躓いたり、転んだりしなくなったのよ。
「……アンだけが、いないの……」
岩の上、たった一人で横になる。夜の海を眺めながら。
服を脱いで、畳んで、海に潜る。ただ海面に浮かんで、天の川の下を流れる。体が海に沈む。目を閉じて海底に背をつけた。
遂に幻聴でも聞こえ始めたのか、アンの歌声が聞こえてきた気がして私は目を開けた。上半身を起こして、暗い海の中を見る。耳を澄ませてみれば、確かにアンの声が聞こえた。
「っ!! アン、帰ってきたの!」
私は泳いだ。魚達よりも早く。波よりも早く。あの、アンと会う時のいつもの場所を目指して。
私は知っている。この臭いを。海の中でも分かる。血の匂い。痩せ細ったアンの手に、私は手を重ねた。もう片方のアンの手が私の頬に触れて、離れそうになる。私はその手を捕まえて離さない。
いいのよ。血で頬が濡れても。血は後で洗い流せるでしょう。
「……セイミア。……わ、たし……」
なんて言いたいの? ゆっくりでいいよ。アンの願いなら私はなんだって叶えてあげる。アンが幸せになれるなら、なんだって。アンが笑ってくれるなら、何でもするわ。
だから、泣かないで。アン。
「……一緒に歌おう。掠れた声でもいいの。セイミアの歌声を聞かせて」
私は笑顔を浮かべる。きっと言いたい事はそれではない。言葉を飲み込んだアンの、別の願いを私は叶えよう。
アンはまだ話してくれる。だから、私はアンの言葉を待った。
「来世が、あるなら……またセイミアと出会いたい。来世、絶対にセイミアを見つけてみせるから、私を待っていて。私、セイミアと一緒に歌いたい。……来世でも一緒に歌ってくれる?」
ゆっくりと紡がれた言葉を、私は忘れないだろう。嬉しかった。アンが死にかけなのに、アンが未来の話をしてくれる事が。どれだけ待つ事になっても、アンが私と一緒にいる未来を考えてくれている事に、私の頬が熱を持つ感覚がした。
私はアンの言葉に頷いた。私、ずっと待ってるから。いいよ。アンが居ない期間はとても寂しいと思うの。でも寂しくても必ず未来でアンに会えるなら、私待ってるから。
アンを抱きしめる。冷たくて力が入っていない体は重い筈なのに、とても軽かった。暖かい。アンの血が抱きしめた私の体を濡らす。
二つの掠れた声が夜の森に響く。小さくなって途切れ始めるアンの声に、アンと別れたくなくて強く抱きしめた。
嫌だ。止まらないで。やっと会えたのに。まだ一緒に居たいのよ。アン。死なないで。今がいい。本当は今の人生で一緒にいたかったの。私の寿命は長いから、きっとまた会える。約束だってしたんだから、会えるわ。でもね、私はアンに生きていて欲しいの。もっとずっと生きて私アンについて行きたかった。一緒に居て。
腕の中、もう歌声は聞こえてこない。もう二度とアンは私の隣で歌ってくれない。一緒に歌えない。
頬を濡らす涙のせいでアンが見えにくい。喉が締まるせいで戻ってきた歌声が震える。言葉が途切れる。
アンの為に私は歌う。深呼吸しなさい、セイミア。アンの次の生で最後まで幸せでいられるように、笑っていられるように。祈りを込めて私は歌う。この場にいる誰よりもアンを想って。
ガサガサと草を揺らし現れた人間の男達が、海に落ちていく。私は許さない。アンを害し死なせた事を。私は絶対に、許さない。
たった一人、一番遠くにいた人間が私に背を向けて走る姿を眺めながら、私は歌い続ける。
おいで。他の者達を連れておいで。全員海の底に沈めてあげる。
私は笑う。怒りと殺意を滲ませて。
私は歌う。アンを失った悲しみを紛らわす為に。
私は歌う。愚かな人間を殺すために。
「初めまして。お嬢さん」
アンと同じ海のような髪。目の色はアンの祖父と同じ木の色。アンに見せてもらった家族写真にいた、アンの長兄が目の前に居た。
膝をついて、私と目を合わせてくる。長兄は言う、アンを埋葬したいと。その願いを私は頭で分かっていても、私の腕はアンを離さない。
長兄は微笑んで私の頭を撫でた。
「こんなにも想ってくれる友を持って、アンは幸せ者だな。……アンが好いたお嬢さんの歌声を聞かせてくほしい」
長兄の穏やかな眼差しに、私は外に向けていた怒りを収めた。魔力を乗せないように、初めてアンと一緒に歌ったあの歌を、私は歌って聞かせた。
歌い終わった後私はアンを長兄に渡した。長兄はアンを抱きしめて、感謝の言葉を言う。
「俺の家族を埋葬してくれたのは、お嬢さんだろう? ……ありがとう。ここに来るまで時間がかかってしまった。私はここに移り住むことにしたんだ。だから、これからよろしく頼むよ」
「そう……魚とかなら、とってきてあげるわ……」
「ありがとう」
そう言って笑顔を浮かべる長兄は、アンにとても似ていた。
私は長兄が死ぬまで交流を続けた。アンが居ないのは寂しかったけど、いつの間にかアンが死んだ事を受け入れて怒りを内に留められるようになると、私はこの地を離れた。セイレーンの友達には惜しまれたけど、私の意思は硬かった。
いろいろな場所に行き、沢山の生き物と知り合いになった。見つけてくれるというアンの言葉を信じて、時間は沢山あるのだからと各地を興味が赴くままに転々とする。
そんなある日、ドラゴンの友達のところでお世話になているとドラゴンの彼女が教えてくれた。
「東洋にセイレーンに似て異なる人魚という種族が居る」
「……人魚?」
「なんでも人魚の血肉を喰らえば不老不死になるらしい」
「へぇ……人魚って凄いのね」
「真実かは分からないけどな。これから人魚が住まう海の近くの国に旅行へ行く。着いてくるだろう?」
「えぇ。そうするわ」
ドラゴンの彼女は人型をやめて、青い鱗が美しい大きなドラゴンに変身した。その背に乗って、空を飛ぶ。空は冷たいけれど、海の中と変わらない。青い空に青いドラゴンに乗って青い海を眺める。なんだか可笑しくて私は笑う。
国に到着したら、ドラゴンの魔法で男に見える幻覚魔法をかけてもらってから、観光をした。ドラゴンの彼女は気が済んだら帰っていったけれど、私は人魚が見てみたくてそのままこの国に残った。
妖怪と呼ばれる者達には人間と違って女性が多くて、その中に混ざって生きていれば何も問題が無かった。人間が減り、獣人が作られて増えていく。いつの間にか女性が増えて、人間も増えていく。
他国だから全てが目新しくて、気が付いたら1000年以上この国に居てしまった。人魚を見るつもりで残ったのに、定住したみたいになってしまった。
日本語を覚える為に声に出して練習すると、それ聞いただけで人間が惑わされた時は驚いた。妖怪達には私の生まれ育った国の人間以外の生き物同様に、セイレーンの力が効きにくいみたいだったから、妖怪達に言葉を教わった。でも歌では惑わされてしまったから、これも気を付けないといけない。
「原点回帰といきましょう」
家の中から飛び出して外に出た私は意気込み、勢いで海まで来た。私は人魚の住処を知らない。海の中に潜れば見つかるかもしれないけれど、服を置いておくのは盗まれたら嫌だから出来ない。
でも海の中には服を着たまま入りたくない。海水を吸って重くなるし、服に海水に付けたくない。悩む私の影の隣に影が増えた。
気付いた私が隣を見ると、人間では無い気配をした者が居た。この気配は、妖怪。ニコニコと笑う妖怪の女性が、私をじっと見ていた。
何、怖い。私は一歩下がると、妖怪の彼女も一歩私に近付いた。私よりも背が高く、私を見下ろす影になって光が届かなくなった目に、青空の下で赤色の髪が風に揺れていた。
「あ、あの……」
私が声を出すと、妖怪の彼女は口を開いた。
「貴女、セイレーンでしょう? 知り合いの妖怪から聞いたのよ。外の国から人魚に似たセイレーンと言う海の生き物が来ていると。一目見てみたくてずっと探していたのだけれど、中々見つからなくて。やっと会えて嬉しいわ」
「……あ、はい。……私も、その。人魚を見てみたいなと思って……日本に、き、来ました……」
「あらぁ、同じねぇ! 私は人魚なのよ。よかったらお友達になりましょう? あと急で悪いんだけど、私ね、妖怪向けの商品を取り扱っている店を経営しているの。働いてくれないかしら?」
ニッコリと笑った人魚の彼女。彼女は私よりも強い。強いものには巻かれろという言葉を日本に来て覚えたので、私は実践しようと思う。
人間の彼女について行って、そのまま店で住み込みで働いて千数百年。雪男と結婚した人魚の彼女は彼女と同じ赤毛の赤ちゃんを産んだ。
「わぁ……可愛い」
「ふふ。この子の名前はね、『よな』にするわ」
「よな。漢字は何ですか?」
「これから決めるわ。一応候補があってね--」
冷んやりと、空気が冷たくなった。人間の彼女が話を止めて、冷気の発生源である赤ちゃんを見る。私も赤ちゃんを見た。
「雪が……」
「人魚かと思ったけど、ハイブリッドになったのね……」
部屋の上に雪雲が発生して、雪を振らせている。それを唖然と見つめる私達と、呑気に眠る赤ちゃん。将来有望ね。
赤ちゃんだったヨナが言葉を話して、泳ぎ歩けるようになって、いつしか私の背を追い越して二十歳を過ぎた。人間で言ったら大人だけれど、長寿の妖怪であるヨナは見た目が大きだけの、子供。どれだけ知識を得て賢く物事を考えられても、守るべき子供だから、ジン達はヨナを守る為に仕事を手伝う。
シュノも半妖だから少し大人判定が怪しいけれど、時々垣間見える精神の幼さは人間にいても可笑しくないし、普段はとても大人びている。
悟空なんて子供だからこそ逆にヨナにスパルタで、他が飴ならば鞭を用意しなければならないとか言っているの。
今日は店番はせずに、朝からまさかの痴話喧嘩の仲裁の依頼。なんでも屋ではないのだけれど、なんなのよこの依頼は。思知り合い時間がかかって、報酬とお礼のお菓子を貰って店へ帰る。
店のドアを開けると、今日の店番ではないヨナが店に降りてきていた。
どうしたのかと首を傾げれば、ヨナがさっきまでいたらしい客、ヨナの友達について教えてくれた。
昨日一緒にカラオケに言って、私の話題が出たから興味を持った友達が遊びに来たらしい。その子は魔法使いで、歌が好きで、空色の髪にラピスラズリ色の目をしているそう。
空色ね、そう。そうなのね。
きっと、私が見たら海のような色に、見えるのでしょうね。
ヨナの話を聞いて、私は店を飛び出した。
「ちょっ! セイミア!?」
驚き声を上げたヨナの声が聞こえたけれど、ごめんねさいねヨナ。私の足は今、止められないの。
どこ、何処にいるの。アン。私はここに居るわよ。
アンを探す私の耳に歌が届いた。鼻歌だったけれど、間違いない。この歌を私は知っている。何度もアンと一緒に歌ったから。
声の方へ私は走った。見えて来た背に、私は足を止められずにそのままぶつかった。
アンが立ち止まり、振り向く。私は離れて私より高い位置にあるアンの顔を見上げる。同じね。髪の長さしか変わらない。同じ顔がそこにあった。
ねぇアン、ずっと待ってたのよ。今世の名前は何かしら。今世は楽しい、幸せを感じられているの。アン、沢山話したい事が聞きたい事があるのよ。
覚えてないないのは残念だけれど、またお友達になってほしいわ。
初対面として挨拶するアンを見ながら、私の心は忙しなく動く。
「……セイ、ミア?」
何も考えられなかった。私は気が付いたらアンに抱き着いていて、そんな私をアンは抱きしめるの。
「アン……」
耳元でアンが言う。今世の名前はラミューズだと。そうね。貴女の名前はラミューズ。ラズと呼ばれている魔法使いの女の子。
私を抱きしめる事をやめたラズは、一歩下がって私の手を取った。懐かしさに目を細めて微笑むラズの前と同じ私を見つめる視線に、私は火傷しそうになってしまいそうで、でもその熱が心地よくてラズを見つめ返す。
ラズは言う。
「セイミア、私と一緒に歌を歌ってくほしい。時が私達を別つまで、ずっと隣で」
私はラズの言葉に、満面の笑みを浮かべて答えた。
「えぇ。一緒に歌いましょう! 前のように。もう……貴女を一人で死なせないんだからね!」
「……あぁ。死ぬ時は、一緒だよ。セイミア」




