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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第22章 真実という名の絶望

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第53話 地下からの呼び声


 ハルキは、地球中枢指令ブロックの奥へ走っていた。


 通路は、もうセレーネの施設とは呼べなかった。


 壁面の白い管制灯は途切れ、床の下からは、旧い脈のような振動が返ってくる。月側の規格ではない。ユグドラシル・コアの内部へ沈んでいくための、もっと古い搬送路だった。


《局所保守搬送路:開放》

《認証対象:未照合》

《アクセス保持:ハルキ端末》

《経路:地球中枢指令ブロック → ユグドラシル・コア内縁》


 端末はそう表示している。


 だが、ハルキは画面だけを見ていたわけではなかった。


 端末が拾う前に、胸の奥が反応している。


 信号ではない。

 警告でもない。


 呼吸に近い。


 搬送路が低く震えるたび、ハルキの中で何かが先に応える。知らないはずの方向へ、身体が向く。


 自分は信号を探っていたのではない。


 呼ばれていた。


 その理解が、息より先に落ちてきた。


     *


 月側管制層では、戦術盤が白く欠けていた。


「通信、落ちた」


 マルコが言った。


「どこまで」


 ユイの声も短い。


「全部だ。音も、位置も、生命反応も。ユグドラシル・コアの内側で切られてる」


 マルコの指が復旧経路を叩く。


 返答はない。


 ユイは戦術盤を見たまま、何も返せなかった。


 地球にいるゼノだけが、別の表示を見ていた。


《アラミタマ残存兵力:再配置》

《ユグドラシル・コア周辺:防衛密度上昇》


 内部は見えない。


 だが、外側の戦場だけは動いていた。


     *


 リディアは《タケミカヅチ》を構えたまま、膝をついた黒い人型を見ていた。


 《オハバリ》は沈黙していない。


 黒い外装の亀裂から、青白い光が細く漏れている。声はない。打撃もない。だが、停止ではなかった。


《オハバリ:防衛位相低下》

《戦闘続行:不能》

《駆動反応:微弱維持》

《中枢系リンク:残存》

《再起動予測:不明》


 本来なら、追撃確認。

 本来なら、敵性反応の完全停止まで確認。

 本来なら、任務対象の安全化を優先する。


 だが、ここは通常の排除任務ではない。


 ユグドラシル・コアの目的は破壊ではない。ケルベロス・ネットを掌握するために、中枢システムを稼働状態で制圧する必要がある。


 オハバリは中枢系リンクを残している。


 いま断てば、経路ごと落ちる可能性がある。


 外部通信はない。


 判断は、ここで下すしかない。


 リディアは刃を下ろさなかった。


 振り下ろしもしなかった。


 その横で、別の反応が落ちる。


《エリス:生命反応微弱》

《観測帯域:白化継続》

《音声応答:未復旧》


 消失判定ではない。


 白化した観測帯域の奥で、生命反応が途切れきっていない。


 まだ落ちていない。


 まだ、届く。


 その事実を認識した瞬間、リディアの判断はもう決まっていた。


 視線が、オハバリから外れる。


 一瞬。


 戦術判断としては、遅れだった。


 けれど、リディアはもうオハバリを見ていなかった。


「エリス」


 リディアは駆け寄った。


 ガイウスが、崩れかけた身体を起こす。


「俺が見る」


 彼はオハバリとの間に、薄い防護圏を置いた。


「動けば、止める」


 リディアは答えなかった。


 答えるより先に、エリスの反応を開いていた。


《ネクタル・パッチ:隊長承認待機》


 エリスは死んでいない。


 だが、落ちかけている。


 リディアは一瞬だけ、呼吸を忘れた。


 それは記録にはならなかった。

 命令にもならなかった。


 ただ、反応だけが先に動いた。


「エリスを落とさない」


 リディアは承認を入れた。


《ネクタル・パッチ:隊長承認》

《対象:エリス》

《生体修復ナノ流体:高活性化》

《観測帯域:再接続中》


 エリスの身体が、小さく震える。


 生命反応が細く戻った。


 それでも、穏やかな反応ではない。


 指先が痙攣する。肩が跳ねる。呼吸に似た周期が乱れる。


「っ……ぁ……」


 エリスの喉から、掠れた声が漏れた。


 閉じたままの瞼が震える。


 苦痛から逃れようとするように眉が寄り、噛み締めた唇の端から浅い息が零れた。


 身体が小さく反り返る。


 意識は戻っていない。


 それでも、痛みだけは届いているのだと分かった。


《ネクタル・パッチ:高活性化》

《神経負荷:上昇》

《観測帯域:再接続中》


 ナノ流体が、身体を無理やり引き戻している。


 リディアは、つい先ほど自分が受けた痛みを思い出した。


 焼けるような痛み。

 身体の内側を削られるような違和感。


 戦うために押し込めていた感覚が、エリスを見ることで急に輪郭を持つ。


「……大丈夫」


 声は小さかった。


 届いているかも分からない。


「もう少しだから」


 震える手を押さえるように、リディアはエリスの肩へ触れた。


 エリスは答えない。


 ただ、生命反応だけがかすかに持ち直す。


 リディアはそこで初めて、息を吸った。


 背後で、ガイウスが低く言う。


「まだ動かない」


「見ていて」


「ああ」


 オハバリは沈黙していない。

 それでも今、リディアが最初に選んだのは


 エリスを残すことだった。


     *


 搬送路の終端が開いた。


 ハルキは床へ降りる。


 空気が重い。


 月の施設の匂いではない。地下に沈んだ古い熱と、壊れた記録のような静けさだけがある。


 通路の奥に、リディアたちがいた。


 倒れたエリス。

 防護圏を張るガイウス。

 膝をつく黒い人型。


 ハルキが一歩踏み出した瞬間、ガイウスの右手が動いた。


 携行火器のグリップへ。


 リディアが振り向く。


「ガイウス」


「ハルキ。戦闘領域への立ち入りは許可されていない」


 ガイウスの声は低かった。


 任務中の声だった。


 ハルキは足を止めた。


 責める気にはならなかった。


 ガイウスの判断は間違っていない。


「ゼノ司令の許可はある。戦闘目的じゃない」


 ハルキは端末を上げる。


《月側指揮承認:ゼノ》

《行動目的:局所保守アクセス維持》

《交戦許可:なし》


 ガイウスは数秒だけ表示を見た。


 それから、火器から手を離す。


「一時保留する」


 信用した声ではなかった。


 ハルキは端末を開いた。


 通路の奥から、白い応答が返る。


《ユグドラシル・コア中枢:接続要求》

《防衛基軸個体認証:要求》

《AR-AXIS-01:応答微弱》

《認証経路:維持中》


 ハルキは表示を見た。


 それから、オハバリを見る。


「壊さないでくれ」


 ハルキの声が、通路に落ちた。


 リディアは刃を下ろさない。


「理由は」


「中枢に入るには、オハバリの認証が要る」


 ハルキは端末を握り直した。


「完全に壊したら、経路ごと閉じる」


《完全破壊時:中枢接続断絶》

《ケルベロス・ネット掌握:失敗予測》


 リディアは答えなかった。


 ガイウスがハルキを見る。


 なぜ、それが分かる。


 問いは声にならなかった。


 だが、防護圏の位置だけが、わずかに変わった。


 ハルキはその視線を受けたまま、奥を見る。


 呼ばれていた場所は、まだ閉じている。


 その鍵が、さっきまで敵だったものの中に残っていた。


 誰も、すぐには動けなかった。


ここから第22章です。


《オハバリ》との戦闘は終わりましたが、ユグドラシル・コアは破壊して終わる場所ではありません。

そしてリディアは、追撃より先にエリスへ駆け寄りました。


戦場の判断と、人としての反応。

その境目が少しずつ変わってきています。


読んでいただき、ありがとうございます。


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