前日譚「天使の涙」
「何か欲しい物はあるか?」
珍しく、父上がそう問いかけてきた。
「お前の誕生日が近い。何でもいいから言ってみなさい」
珍しい上に破格の申し出だった。思うに、母上とうまくいっていない僕への父上なりの気遣いなのだろう。
欲しい物、か……。王都からも距離のある子爵領だ。何を言われてもいいよう、準備期間が必要なのだろう。
誕生日が近いと言われても、まだ三ヶ月は先の話だ。そもそも生まれた日を祝う習慣なんて、貴族の中でも珍しい。皆、新年祭の日に一つ歳を重ねるのだから。
ただ、この父上からの申し出はとてもうれしかった。
だからだろうか。普段は言わない、わがままを少しだけ言ってしまったのは。
「父上、僕は兄弟がほしいです。出来れば弟がいいです」
なぜ、弟がほしいと言ったのかは僕自身にもその時は分からなかった。「何でも」と言った父上にその時はこう願い出た。
子爵家といえども一人っ子は将来的にまずいだろうとは思っていた。そういった打算は抜きにしても、浮かんだ言葉が弟だったんだ。
言った後にこれはあっさりと断られるだろうと思ったけれど、父上は難しい顔をして
「……健闘はする」
と言って、立ち去っていったから僕はそれをポカンと見つめていたのだった。
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「リシアン!ちょっと手伝ってくんない?」
母さんの高い声が響く。最近やっと花屋の店番に復帰した母さんは、こうやって俺を呼びつけておいて自分はお喋りに夢中だ。
「……はぁーい」
呼ばれたからにはいくけどさぁ。お店の椅子はまだ高くて、座るのも難しい。
もたもたしていたら
「ほら、これで座れたか?」
ひょいと持ち上げて、椅子に座らせてくれたのは最近よく来るお兄さん。他所からきた行商人?なんだって。
「ありがと」
背が高くて、大人な……母さんの、たぶん恋人。
「リシアンもまだ小さいのにえらいな!お姉さんの手伝い、頑張ってな」
よく笑う、とても気のいい人。だけど、俺はあんまり好きになれない。
この人が来ると「母さん」じゃなくて「姉さん」と呼ばないといけないから。……間違えちゃ、いけないから。
俺の父さんは「領主様」なんだって。そんな作り話みたいなことあるかよ、と思っていたけどガチかもしんない。
実際、父親の姿なんて見たことねぇし……母さんが店番に復帰するまで何年もかかったし。
じいちゃんは腫れ物のように扱っていたっけな。宙ぶらりんになった足を揺らしながら、ぼんやりと母さんたちを眺める。
「リシアンはまだ小さいのにホント、落ち着いててえらいなぁ」
「そぉ?なーんか歳の割に可愛げがないんだけどねぇー」
俺だって好きでこんなんじゃないっての。もうじき6歳だからまだ小学校にも……いや、小学校って何だっけ?
白くておっきな建物も……見たことないけど、何か知ってる。最近、けっこうこんな感じのことがあるんだよね。
ちょっとだけこのような事を母さんに話したら「やめてよ、変なこと言い出すの」と言われたからもう言わねぇけど。
あ、売り物の花に精霊がちょっかいかけてる。椅子から飛び降りて
「売り物で遊ばないでー」
と声を掛けたら楽しげに笑っている。……もう、仕方ないな。
木箱にまとめられた廃棄にする予定の少し萎れた花を持っていき、こっちで遊ぼうと誘ってみる。練習に花冠でも作ろうかな。これの作り方だけは覚えさせられたんだよね。
完成した花冠に、精霊たちがポンポン小さな光を飛ばすからこれは魔法!
さっきまで萎れていた花がまた瑞々しさを取り戻した。
「わぁ、すっごい!」
思わず楽しくなって笑う。
「リシアン、何をして……これはすごいな」
「ちょっと、売り物で遊んじゃダメでしょ?」
2人同時に言うから、困る。
「売り物じゃないもん。あっちの、捨てるやつの方の花をね……精霊が魔法で」
説明していると花冠は取り上げられた。ねぇ、その高さは俺だと届かないんだけど?
「なぁ、これ売ってくれないか?精霊様の魔法の花冠、今日の目玉になる」
「えぇー?」
「今度、ご馳走するからさ?お願い!」
この人が頼むと、母さんは断れないんだ。
「もう……じゃあお店の指定はするからね?」
ほらな。母さんは喜んでるけど、やっぱ俺はこの人のことは好きになれないまま。
店番?もう無視だ、無視。ふて寝してやるんだ。
だって俺はまだ子どもだし。
不思議な夢を見たのは、中途半端な時間に眠ったのがよくなかったのかもしれない。
淡い、緑色の目をした天使が泣いていた。
「どうしたの?」
と聞くと、柔らかいクリーム色の髪が揺れた。
「全部、全部僕は思い出したから……」
そう言って、声もあげずにはらはらと泣いている。
俺よりも背が高い天使はまだ10歳?いや、もうちょっと年上かもしれない。
女の子かなと思ったけど、僕って言ってるし男の子なんだ。
「何を、思い出したの?」
「……弟が、僕は医者だったのに!あの子の最後の電話……」
よく、分からないけれどとてもつらそうだ。天使が泣き止むまで、ずっと横にしゃがみ込んでいた。
天使が泣くと雨が降るんだっけ。いや、この世界には精霊はいるけど天使はいない。なんてとりとめのないことを考えながら、ずっと待ってた。
ようやく、涙が止まった天使がやっとはっきり俺を見た。まだ濡れた目で、それでもやさしく微笑んでくれた。
「やさしい子だね、ありがとう」
そう言って、頭を撫でてくれる。
「うん、僕はもう大丈夫。やるべき事は決まったよ。僕はもう一度、医者になるんだ。あの子も……どこかにいるかもしれない。今度こそ守らないと」
淡い緑に強い決意が色付いた。それを見て守られるあの子は、いいなぁと思った。
今まで押し殺していた「さみしい」が湧き上がってきた。
ぽとり、と落ちた涙に天使が慌てている。慰めるように伸ばした手は――……ここで目が覚めた。
頬が濡れている。何か、嫌な夢を見たのかもしれない。
ごしごしと拭ってから、居眠りなんてしてませんよという顔で店番を続ける。
本当に……嫌な夢、だったんだっけ?
起きた瞬間に泡のように消えた記憶をいつまでも追いかけていた。
俺が、ヴァルディリア子爵家に引き取られるまで後3か月。淡い緑色の目に、クリーム色の髪の兄が出来る前のこと。
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「弟が来る。市井で育ったが間違いなく私の子だ。仲良くするように」
父上からそう告げられた時、僕は非常に戸惑った。弟がほしいとは言った……言ったけれど、市井で育った父上の子?庶子、異母弟ということなのだろうか。
最近、僕は前世の記憶を思い出した。酷く魘されて数日、寝込んだことは記憶に新しい。
相当な負荷がかかったんだと思う。遠い、日本で医師として働いていた一人の生涯の記憶はそれほどまでに重かった。妻と子もいて、毎日が忙しくてそんな中……僕は、弟の異変を見落としてしまったんだ。
最後に電話をした時、僕は彼に何て声を掛けたのかを覚えていない。喘息特有の乾いた咳をする弟に「病院は行ってるの?」と確認はしたと思う。「大丈夫だって!フツーに仕事も行ってるし……うん、問題ないよ」と明るく言う弟の声よりも、あの咳の音が忘れられない。
なぜあの時、気が付かなかったんだろう。普段は電話なんてしてこないタイプだったのに。何で僕は……ずっと抜けない棘のように残った記憶。
これをはっきり思い出してから、僕は今世でも医師となる決意をしたんだ。
願わくば、弟もこの異世界に生まれ落ちていますように……もし会えなくても今度は何も見落とさなくて済むようにと。
「リシアン様を連れて参りました」
家令の声がして、父上の執務室の扉が開く。まだ5つか6つだろうか。父上によく似たタレ目に釣り上がった眉をした幼子。
緊張しているのか強張った顔――……前世と顔立ちこそ違うけれど、彼は僕の弟だ。
理由はないが、それは確信だった。
リシアンはというと、臆することなく父上からじっと目を逸らさない。父上は……おそらくどう接すればいいのか分からないだけだろう。
「君がリシアンくん?今日から僕が君の兄上だよ。レオナリスというんだ。よろしくね」
野生の生き物みたいに、警戒しながら相手の様子を窺うリシアンにそっと声を掛ける。笑いかけるとリシアンからほんの少しだけ、肩の力が抜けたのが分かった。
「リシアンくん?やっぱり緊張するよねぇ。とりあえず、座って?僕とお茶とお菓子を食べようね?」
まだ緊張は解けないリシアンにゆっくりと近付き、手を握る。記憶にある冷たくて固い大きな手ではなく、僕よりずっと小さく温かな手。
「はい……ありがとう、ございます」
どうしていいのか分からない、という風に目が泳いでいるリシアンがかわいくで僕はにっこりと微笑む。
「固くならなくていいよ?僕らはずっと前から兄弟なんだからね」
ずっと、前からの僕の弟。今度はお兄ちゃんが、絶対に君を守ってみせる。約束するよ。




