元公爵令嬢な私は一夜を共にした伝説の傭兵とダンジョンでゴブリン娘を育てます【二話目】
私はアンナ。クロイツ国の名門にして。公爵の爵位を戴くラヴェンゲル家の長女。特徴的な赤毛かと分厚い眼鏡を掛けていることから婚約者には野暮ったいにんじん娘と揶揄されている。たぶん本当なら悪役令嬢になる筈だった女だ。
そんな私は訳あって公爵令嬢を辞めて冒険者をしている。
前世は日本人。まあまあ社畜。サブカル全般を好み。友人に勧められたことが切っ掛けでMMORPGの不屈の名作『暁のトロイメライ』に嵌まっていた新人冒険者。もといプレイヤーだった。
このMMORPG『暁のトロイメライ』に良く似た世界に自作アバターの姿と設定で転生したのが今の私アンナ・ラヴェンゲルである。この世界には無数の迷宮。ダンジョンがある。ダンジョンは千年前に滅んだとされる魔族の遺構だ。
ダンジョンに潜り。住み着いた魔物を倒しダンジョンのなかに眠る古代の遺物を発見し調査する冒険者は憧れの職業。
ラヴェンゲル家は公爵という高い地位の貴族であるけれども。各世代に必ず冒険者を輩出してきた経緯があった。ようは貴族らしからぬはみ出し者が各世代に一人は居るような家だった。
私、アンナも冒険者になることに猛烈な反対はされなかった。
まあ、反対出来ないように先回りして。色々手を打っていたせいだろうけれども。
私には婚約者が居た。『暁のトロイメライ』にあってはNPCとしてゲームに登場していた羊の獣人で私が暮らすクロイツ国の王子のシャーフ殿下。眉目秀麗。
柔らかな物腰でまさに貴公子なシャーフ殿下は前世では女性プレイヤーに高い人気を誇っていた。そんなシャーフ殿下は重篤な女好き。
十代半ばで流した浮き名は数知れず。とんでもない浮気性と来ていた。その癖私が身内であっても男性と一緒に居ると不機嫌になり鍛え上げた御貴族言葉で嫌味の嵐。
それでも幼少期からの付き合いだ。嫌味を聞き流すのには慣れていたからシャーフ殿下の婚約者として品行方正に過ごし。
侯爵令嬢。そして未来の国母として相応しくあろうと振る舞って来た。
けれども前世のゲーム知識によるとシャーフ王子は異世界から来たという設定のNPC。聖女のスミレと婚約していた。スミレはゲームでは教会に居てプレイヤーの状態異常や負傷を“光の神の恩寵”という御技を用いて癒してくれる存在だった。
私とシャーフ殿下が婚約した時点でスミレは居ない。でも前世のゲーム知識のお陰でスミレの容姿を知る私は分かっていたのだ。シャーフ殿下の好みど真中な可憐な女の子だと。
シャーフ殿下の好みは守ってあげたくなるような。儚くて繊細な。それでいて胸が豊満で安産型のお尻の持ち主だった。生憎と私はシャーフ王子の好みから外れている。
チビでツルペタ。繊細さは皆無というか図太く逞しかった。
疫病が流行ったことで異世界から聖女としてスミレが召喚され。同時期にクロイツ国の城下町では誰が流行らせたか。庶民出身の少女が王子と恋に落ちる異世界版のシンデレラストーリーを描いた物語が持て囃されるようになった。
物語の中で王子には貴族の高慢な婚約者が居るのだが。その婚約者は不思議なことに私に似た容姿で。
最終的に王子に婚約を破棄されて泣きすがって懇願した果てに修道院行きとなる。私はこの物語のようにシャーフ殿下が私を捨てスミレに乗り換える光景が描けた。
だから、もし。聖女スミレに惹かれてもシャーフ殿下が婚約を破棄しなければ私は大人しく冒険者として生きていくという夢を捨て。王妃として国と民に。夫であるシャーフ殿下に奉仕しよう。
でもシャーフ殿下が私の予測通りスミレに乗り換え。婚約を破棄したならば公爵令嬢を辞めて一介の冒険者として生きていくと決めた。
その許可は両親からもぎ取ったし。やはり冒険者をしている伯父が一人前になるまで面倒を見てくれると約束してくれた。
そして通う学園の卒業式当日。全生徒が集まるプロムの場でシャーフ殿下は着飾ったスミレを伴って姿を見せ。私に婚約破棄を言い渡した。
ラヴェンゲル家の子女として。ひそひそと嘲笑する一部の生徒。シャーフ殿下とスミレの取り巻きの悪意の凝った視線を受け止めて。
何事もないようにそれはシャーフ殿下御自身の意志かと訊ねた。シャーフ殿下はスミレの肩を抱き。
本当に申し訳無いと思っていると私を見ることなく告げた。
(そんなところも城下町で流行りの物語のままなのね。あの物語の通りに婚約破棄を拒めと───?)
それがシャーフ殿下の答えだというのならば。
僅かに胸に走る違和感には目を向けず。口許を覆う扇を閉じてにこりと微笑む。
公爵令嬢たるもの。何時如何なる時も指先まで優雅にあらねばならない。
「ええ。その婚約破棄の御下命承りました。本日を以て。私、アンナ・ラヴェンゲルはシャーフ殿下の婚約者という立場から喜んで卒業致しますわーっ!!殿下、二言はございませんわね!?」
「あ、ああ。勿論だ!」
でも喜びが隠しきれなくて思わず拳を天高く突き上げていた。つい素が出た。
シャーフ殿下も周囲もまるで肩透かしを食らったような反応だった。私が婚約破棄は嫌だと物語の悪役令嬢のようにシャーフ殿下に泣いてすがり付き。
みっともなく懇願すると思っていたのだろうか。お生憎さまだが私は図太い。前々から婚約破棄に備えて準備していた私に抜かりはないのである。心のなかでんべっと舌を出し。意気揚々と学園の宿舎に戻り。
男性の平服を着て宿舎の窓から僅かな手荷物だけを持って飛び出し。ダンジョンのある街に向かった。学園在学時からこっそりと冒険者として活動してきた私は馴染みの宿に顔を出し。
部屋を取り。自分の冒険者デビューを祝って。やっぱり馴染みの酒場で祝杯をあげたまではよかったのだけれども。
翌日。頭が重い。あと身体が錆び付いたみたいに動かないなと。頭に疑問符を浮かべながら馴染みの宿のものとは違う柔いベッドで寝返りを打つとなにかにぶつかる。
胸板だった。かなり逞しく硬い胸板にぎこちなく顔を上げ。静かに眠る。とんでもない美形に口から心臓が飛び出るような驚愕に襲われることになる。
精悍な。そして人が思い付くあらゆる美を掻き集めて黄金比で配置したような相貌。
大柄な体躯は鍛え抜かれた鋼のようで。肌は艶かしい褐色。髪は白銀。髪から覗く耳は横長。種族はダークエルフかつ人間との混血児であるハーフエルフだ。
名前はアドラムということを私がどうして知っているのかというと。昨日馴染みの酒場で出逢って酔っていた私がナンパしたっぽいのだ。あ、待って。断片的に甦った記憶で胃痛がするぅ。
私、謹み深く育てられた公爵令嬢な筈なのだけども。キュッと口を引き結んで。着替えを済ませて宿代を残すと私は窓から逃亡した。
忘れよう。これは一夜の過ちだ。アドラムさんがものすごーく好みの美青年だったとしても二度と会わない人なのだからと言い聞かせ。
時々、アドラムさんと過ごした一夜を思い出しては奇声をあげたりしつつ。そこそこ日数が経った頃。私は何時ものようにダンジョンに潜り。
商工会ギルドから出された採取クエストの為に。大型ワームの唾液線から毒を採取する為に戦闘を行ったとき。崩れた壁の向こうにあった未踏の空間で宝箱を見つけることになる。
罠を警戒しつつ。開けた宝箱のなかには白銀の髪に褐色肌の可愛い赤ん坊が居た。前世の自作アバターの設定を引き継いで鑑定スキルがある魔眼持ちだった私は赤ん坊を鑑定し。赤ん坊がコブリンと人間の混血児。ハーフゴブリンであると知る。
MMORPG『暁のトロイメライ』において。ハーフエルフとハーフゴブリンは忌み子で。人間にも同族にも迫害される種族である。ハーフエルフは強靭な肉体を持ち。全種族のなかでトップのHPと攻撃力を持つも。
ゲーム内のフレーバーテキストによるとエルフからも人間からも爪弾きにされている。そのハーフエルフを遥かに凌ぐ忌み子がハーフゴブリンだった。
『暁のトロイメライ』にあって。ゴブリンは澪落した魔族だ。それは此のゲームと良く似た世界でも同じで。僅かな口承と教会が教え伝える話によれば千年前。人類は魔族と大規模な戦いを行い。これに勝ち。
神々に二度と魔族が自分たちの生活を脅かさないようにして欲しいと祈り。神々はそれに応え。魔族の高い知能と魔力を奪った。
その容姿も醜いものに変えられた魔族。その成れの果てがゴブリンだという。
故にゴブリンは神々と人類を憎悪し。人類を。人間を見ると見境なく襲うだけでなく時に凌辱することがある。
その結果産まれてくる人間とゴブリンの混血児。ハーフゴブリンは。人間という他種族の血が混ざることが原因なのか。先祖帰りを起こし。美しい容姿と膨大な魔力を持って生まれてくるというのがゲームの設定であり。
此の世界の常識だと赤ん坊を怖々と抱き上げる。どんな経緯があり。このダンジョンに置いてきぼりにされたのか。詳しい事情はわからないけれども。
パチリと目蓋を開き。柘榴色の円い瞳で。じっと私を見詰め。ふにゃふにゃと笑う赤ん坊に掴まれたのはこの心。
私は駆け出しの冒険者で自分一人で生活していくことさえ。まだまだ難しい。それでも腕のなかで安心しきって笑う赤ん坊を放り出すことなんて出来なかった。
一先ず。ダンジョンを出てから考えよう。赤ん坊に飲ませるミルクだって必要だと考えながら倒した大型ワームから毒をきちんと採取する。これから色々入り用になる訳だし。少しでも稼いでおかなくては。
赤ん坊を抱えてダンジョンを出る。宿屋の女将さんになんて言おう。抱えられ。機嫌よく。あぶあぶと楽しげな赤ん坊の頬を時おり擽りながら。部屋を借りてる宿屋に辿り着き。
宿屋の女将さんとなにかを話し込む。忘れようと努めていたアドラムさんに私は動揺した。アドラムさんの手には私を精緻に描いた似顔絵があった。どう見てもお尋ね者の人相書きのそれ。
あれは一夜の過ちだった筈。なぜ私を探しているのだろうか。
背中に汗が伝う。宿屋の女将さんが私に気付いたことに。あわあわと後ずさって路地に置かれていた木箱にぶつかり。驚いた赤ん坊がふみゃふみゃと泣き。
その泣き声に弾かれたように振り返り。アドラムさんが赤ん坊の瞳と良く似た紅玉色の瞳を見開いた。ほんの一瞬で距離を詰めて私を。そして腕のなかで泣く赤ん坊を見下ろし。喜色を滲ませ私の子供かと問う。
此処でお復習しよう。ダンジョンで見つけたハーフゴブリンの赤ん坊は此の世界では珍しい白銀の髪と褐色肌。そして横長の耳に柘榴色の瞳という特徴的な容姿だ。
目鼻立ちは既に確りしていて。将来美人になること請け負い。一方でアドラムさんも白銀の髪に褐色の肌。精悍で秀麗な相貌。瞳は紅玉色。エルフという種族は全体的に美形。それを差し引いてもアドラムさんは眉目秀麗だ。
客観的に考える。腕のなかでうぷうぷ泣く赤ん坊とアドラムさんは似た系統の容姿だった。完全なる偶然。ちょっとした奇跡が起きていた。
そして一夜の過ちから割りと日数が経っていて。私がアドラムさんの子供を産んでいても。まあ、不思議じゃないという事実に私は目が遠くなる。
どうしよう。否定せねばと思うも。表情自体にあまり変化はないが。私が腕に抱える赤ん坊が自分の子供ではないかと全身から期待と喜びを滲ませるアドラムさんに否定の言葉が喉の奥で絡まって出てこない。嬉しそう。すごく純粋に赤ん坊が自分の子供だと思って喜んでいる。
ふとゲームの知識が頭に過る。『暁のトロイメライ』でも。此の世界でもハーフエルフは孤独な存在だ。人間にもエルフにも排斥され。多くのハーフエルフは定住せず各地を流離うことから。流れ者とも呼ばれて蔑まれる。
ゲームにおいてハーフエルフというのはプレイヤーが自分のアバターのキャラメイクのなかで自由に選択出来る種族ひとつだった。
ゲームのなかでハーフエルフであることで不利益を被ることはなかった。聞くところによればゲームの中でNPCに話し掛けてもハーフエルフだと答えて貰えなかったり。アイテムの売り買いを渋られたりだとかちょっとした困りごとはあったけれども。
それはあくまでもゲームを彩る一要素にしか過ぎなかったし。優れたステータスからプレイヤーの間では人気種族ですらあった。
けれども此の『暁のトロイメライ』に良く似た世界にあってハーフエルフはゲーム以上に過酷な立場にあった。ただエルフと人間の間に生まれたというだけで同族に排斥される。疎まれる。
私なら耐えられるだろうかと考え。きっと耐えられないだろうと目を伏せる。なにかと図太い私ではあるけれども。生まれた瞬間から周囲に厭われ。
蔑まれては人が人として当たり前に持つ善性を失わずには済まないし。孤独であることをきっと嘆くだろう。
ともすればそんな自分に寄り添い。孤独を埋めてくれる人間が現れたら是が非でも手放しはしないとも。
アドラムさんは私の腕のなかで泣く赤ん坊を優しく抜き取り。不器用にあやす。
目線が高くなったのが面白かったのか泣き止んできゃらきゃらと笑う赤ん坊にアドラムさんは仄かに微笑んだあと居ずまいを直す。
順序が逆になってしまったが貴女を妻にしたいと私に告げたアドラムさんの誤解を解く為に口を開くより早く。シャーフ殿下が聖女スミレに向けたものより熱を帯びた眼差しで射抜かれる。
艶やかな林檎の果皮のような紅玉の瞳に確かな恋慕を宿らせてアドラムさんは言うのだ。
「貴女だけを愛し抜くと誓おう。どうか私の伴侶になると頷いてはくれないか───?」
私が答えるよりも早くいつの間にか周囲に溢れかえっていた人々が歓声を上げる。私はアドラムさんとその腕に抱える赤ん坊を見比べ。
意を決してこの子を一緒に育ててくれるならばと答えた。私の決死の形相になにか察するものがあったのだろう。場所を移そうとアドラムさんは促した。
馴染みの宿の。間借りした部屋。念には念を入れて防音の魔術を張り。一先ず。窓際の机から椅子を引っ張り。アドラムさんに座って貰い。
私は赤ん坊を抱え。ベッドに腰掛けて。アドラムさんにこの子はダンジョンで拾った子供で。アドラムさんとは血が繋がっていないこと。まして私とも血の繋がりはないと話した。
「ダンジョンに赤子が捨てられていた···?」
「捨てられていたというにはちょっと不可解な状況でした。捨てられたというよりも隠されていたというべきか。その原因はきっとこの子がハーフゴブリンだからかもしれません。」
「その出生故にこの子は片親のいずれかによってダンジョンに隠されていたと見ているのだな?」
「ええ、恐らくは。どうしてダンジョンに隠したのか。そこが分からないのですが。」
「···それはこの子がハーフゴブリンだからだろうな。君はゴブリンという種族が魔族の澪落した姿であると知っているか?」
「はい。人間とゴブリンの混血児。ハーフゴブリンは先祖返りで優れた容姿と膨大な魔力を持って生まれてくるということも一応知っています。」
「このことを知る人間は最早一握りぐらいだが魔族は魔力を糧として成長する。両親から魔力を与えられて大きくなるという。もしなんらかの理由で親から魔力を与えられなかった場合は周囲に漂う魔力を吸って糧とするそうだ。」
ダンジョンは魔族が遺した遺構だが。いずれも自然由来の魔力に満ちた場所だ。
「先祖返りであるが故に魔族と同様の育ち方をするというハーフゴブリンの赤子を隠すにはダンジョン以上に最適なところはないだろう。」
「つまり明確な意図があり。この子はダンジョンに置き去りにされた。」
「そう見るのが自然だろうな。だが例え糧となる魔力に満ちていようとも赤子が誰かの助けも無しにダンジョンで成長することなど不可能だ。君がこの子を拾ったことは正しいことだった。なにも悔いることはないさ。」
アドラムさんの言葉に詰めていた息を吐く。腕のなかでじっと私を見上げる赤ん坊に魔力を糧とするのならばと人差し指を差し出す。身体を巡る魔力を人差し指に集中させて。赤ん坊の口元に持っていくとちうちうと吸い付いた。
あ、魔力。本当に吸われてる。余程お腹が空いていたのか。赤ん坊は人差し指を離さないけれども。くらりと目眩がする。傾いだ身体をアドラムさんが支えてくれて。赤ん坊を腕から抜き取る。
久々になったな。魔力欠乏の症状だと目眩が治まるのを待つ。小さな頃は魔力の扱い方がよく分からず。魔術を行使する度になったもので。赤ん坊にごっそり魔力を持っていかれたことで魔力欠乏を起こしたらしい。
アドラムさんは成長する為に魔力は膨大な量を必要とする。君や私では到底賄えないと言いながら人差し指を赤ん坊の口に宛がい。直ぐに離す。
鑑定スキルでアドラムさんを見てみると。一瞬でMP。魔力が三分の一に減っていた。吸い足りないと。ふみゃあと泣いた赤ん坊にアドラムさんは言う。赤ん坊をダンジョンに連れていくと。
「それは···!!」
「この子を捨てる訳ではない。だから安心してくれ。ダンジョンは常に魔力が満ちていて。この子はダンジョンの中でなら空腹に悩まされることはない。ダンジョンの中でこの子を育てるんだ。」
「わかりました。直ぐにダンジョンに行きましょう。あ、でも長期間ダンジョンに潜る必要があるなら準備をしないと。」
「···君もダンジョンに来るのか。幼い子供を連れてダンジョンに潜るのは手練れの冒険者ですら難しいというのに?」
君はこれからとてつもなく苦労をするだろう。それでも良いのかと静かに問うアドラムさんに臆することなく言い返した。
「それなら尚更です。私はこの子を拾ったときに決めました。この子を守り、育て上げる。この子が本当の親から受け取るべきだった愛情を私が代わりに注ぐと。」
もうこの子は私の子供です。母親が子供から離れるものですか。ダンジョンには私も行きます。第一、貴方に赤ん坊の御世話をした経験はおありで?
「私は弟で赤ん坊の御世話にはなれていますが。一人では御世話しきれるものではない。二親が協力しあう必要があります。」
それに妻請いのときにこの子を一緒に育てるならと言った筈です。私の夫になるということはこの子の父親になるということ。
「貴方こそ良いのですか。貴方からすればこの子は血の繋がりのない子供。この子の父親となり。育てる覚悟はありますか?」
「ある。血の繋がりが全てではない。私はこの子と。そして貴女と家族になりたい。」
アドラムさんは何故か眩しいものを見るような目をして柔らかに笑い。貴女はハーフエルフが父親であることは不幸なことだと思うかと問う。私は不幸なことだとは思わないと林檎の果皮のような紅玉の瞳を見詰めた。
種族がなんであれ。大事なのは。我が子を愛し。慈しめるかです。そう答えた私にアドラムさんは重ねて問う。貴女は私が夫と名乗ることを許してくれるかと。
私は正直まだ戸惑いはあります。私の何が貴方の琴線に触れ。何故、貴方が私を妻にしたいと思ったのか分かりませんしと率直に答え。
でも、私はきっと貴方を好きになります。血の繋がりのないこの子を一緒に育てる覚悟をしてくれた貴方を。
「────私も貴方と同じなんです。はみ出し者同士。これから肩を寄せあいませんか。私は温もりを分けあうように貴方と苦楽を共にしたい。」
アドラムさんは笑う。柔らかに。欲しくて堪らなかったものをようやく与えられたように。私はズルい言い方をした。孤独に苛まれて。苦しむ人に。これからは私が居るから待ち受ける苦難を共にして欲しいと言外に告げた。
その所業は。城下町で流行る物語に出てくる悪役令嬢も真っ青な悪どさだと自負している。
だが腕のなかに収まる小さくて柔くて。可愛いこの子を一緒に育てるならこの人が良いと思ってしまったから。私は改めてアドラムさんに名乗る。
「私はアンナ・ラヴェンゲル。この子と。そして貴方と家族になりたいです。ということはこれから冒険者でおかあさんになるのか。二足の草鞋ですが。確りと履きこなしてみせましょう!!」
「アンナか。私はアドラム・ラーヴァ。傭兵をしている。我が剣。我が名に誓って君と我が子を愛し。あらゆる厄災から守り抜こう。」
千年、生きてきたが今日ほど幸福を感じた日はなかった。なにせ可愛い妻と子を同時に得ることが出来たのだから。
「····そんな幸福を味わえるとは思ってもいなかった。」
「え。“アドラム・ラーヴァ”?」
ゲーム知識がまたしても頭に過る。『暁のトロイメライ』は千年前に人類と魔族が大規模な戦争を起こしたことで各地にダンジョンが造られたという下地があった。
この千年前の戦争で人類に勝利をもたらしたのが十二人の勇者と一人のハーフエルフの傭兵だ。
ハーフエルフの傭兵はその出自から多大な功績を残しながらもあらゆる記録を抹消されてしまった。
それ故に語られずの英雄と呼称されるその傭兵はゲーム内において剣士というジョブで得られる最高峰の称号『剣聖』を持つ唯一の存在だ。最古参のプレイヤーですら持たないその称号をNPCである傭兵だけが持つ。
けれども存在すること。そして名前だけが知られているだけで最古参のプレイヤーですらゲームのなかでこの伝説の傭兵を見たことがなかった。
その伝説の傭兵の名はアドラム・ラーヴァ。居たんだ。伝説の傭兵は。顔に驚きが滲んでいたのだろう。
アドラムさんは運悪く戦場を生き延び。無駄に生きてきただけの詰まらない男だよと苦笑し。
いや、私は私が思っていたよりも運の良い男だったなと私の頬に手を伸ばして躊躇いがちに触れた。
大きなその手は硬く。けれども温かい。自分から頬を寄せるとアドラムさんは小さく肩を跳ねらせて。おろりとするものだから。夫婦ならこれくらいの触れあいは平気でこなさないと怪しまれますよと指摘すると。
アドラムさんは慣れるまで時間が掛かるやもしれぬと乙女のように恥じらう。伝説の傭兵は案外初心で押されると弱いらしい。
腕のなかでようやく泣き止み。微睡む赤ん坊と顔を見合わせ。貴女のおとうさんは可愛いひとだねと笑うと赤ん坊も愛らしくほにゃほにゃと笑う。
「あ、ダンジョンに潜る前にやらなくちゃいけないことがありました。」
この子の名前を決めないとです。何時までも名無しという訳にはいきませんから。名は体を表すという程に大事なもの。
さて、なんと名付けようかとアドラムさんに目で問うと少し考えこんだあとに言葉を。赤ん坊の名前を優しく紡ぐ。
「“ルカ”。光をもたらす者という意味だ。」
「良い名前。貴女の名前はルカ。きっとその名前の通りに多くの人に光をもたらす子になるわ。」
そう、名前を紡いだ瞬間光芒がルカの額に走って花の形に似た小さな痣が顕れる。
痛みはないか。熱はないかとアドラムさんとわたわたと確認し。
きょとりとしながら。んぷえと笑ったルカにアドラムさんと一緒に安堵して。
額に浮かんだ六つの花弁のような痣を指先でそっと撫でると。ルカはむにょむにょと口を動かしたあと。るーぅ。るぅと喃語を頻りに呟く。アドラムさんはもう名前が言えるようになっていると驚きながら喜ぶ。
このとき私は気付いていなかった。ルカという名前は一般的に男の子に付ける名だと。日本人からするとルカは女の子の名前でも不思議ではなかったから。アドラムさんが男の子だ思ってルカと名付けたけれども。
後にルカは女の子だと知って名前をいまから付け直すべきか悩み。その時にはもう自分の名前はルカだと覚えた愛娘渾身のイヤイヤ攻撃により。二重の意味で撃沈するアドラムさんが居た。