40:下手な紳士
カランコロンと音を立てて扉が開いた。アイリーンは集中を削がれたことに眉を寄せながら顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
その顔には、愛想笑いというものは欠片も存在していない。よくもまあこの店の店主ドロシアも、彼女を店番に立たせたものだと、ドレッサムに訪れる者は皆そう思う。知らないのはアイリーン本人と、自身もそんなに愛想を振るまえないドロシアだけだ。
「あー、いらっしゃいませー」
奥からデニスが顔を出す。引っ込んだかと思うと、すぐにお茶を持って来てお客に出した。
「はあ……落ち着きますね、ありがとう」
「いえいえ!」
可愛らしく笑うと、デニスは再度引っ込んだ。奥で集中して作業をやるためだ。そのためにアイリーンが店番をやっていると言っても過言ではない。本来ならば今のお茶出しも彼女の仕事なのだが、デニスの方が身についているというか、アイリーンにそんな気遣いはないというか。
「あなたは新しいお弟子さん、ですか?」
「はい、まあそうですね」
素直に頷くのは憚られ、曖昧に肯定した。
「何のご用でしょうか」
「いやいや、頼んだものは捗っているのかと思いましてね」
「ご覧のとおり、ドロシアは今外出中です。進捗状況は……そうですね」
立ち上がると、カウンター内へ入っていく。幾列も連なる田なの二番目、書類が乱雑に入れられている引き出しを開けた。
「モリス様ですよね?」
「はい」
「ええ……っと、二か月後のご注文ですよね。今のところは順調にいっています。一か月後には仮縫いが終わるんですけれど、その辺り体に合わせて少し直したいので、ドレスを着用する方たちにこちらに来ていただくことになりますが」
「ああ、はい。それはもちろん」
「では、その時はこちらからご連絡させていただきます」
「はい」
羊皮紙を引き出しに戻すと、アイリーンは再び作業に戻った。モリスは未だそわそわした様子だったが、なかなか何も言いださないので、放っておいても大丈夫だと判断した結果だった。しばらく無言の時間が続く。
「あと……その、できれば、なんですが」
ようやくモリスが口火を切った。一旦作業の手を止め、彼に顔を向ける。
「何でしょう」
「うちの劇員に一名、厄介な人がいましてね。彼女が実際の衣装を着てからじゃないと、練習したくないと言い出すんです」
「その衣装を急いで仕上げてほしい、ということですか?」
「いやあ、話が早くて助かります。できそうですか?」
「どの衣装でしょう」
「ああ、そうですね。えっと、真っ白い純白のドレスに、所々に花の飾りがついている……」
「ああ、それですか。今ちょうど私が縫っているものですね」
アイリーンはちょっと席を立って白いドレスを見せた。モリスは目を輝かせた。
「あ、でももちろん私がやっているのは仮縫いですよ? まだ店主には止められてますから」
「あの、どのくらいで仕上がるのでしょうか……?」
「急ぐよう伝えておきます。おそらく近日中には仕上がると思いますよ。でもその前に一度このドレスを着る人の体に合わせたいので、一度こちらに来ていただきたいと……」
「はい、それはもちろん、大丈夫です! 連絡をいただければすぐにでも伺います!」
勢い込んでモリスは言う。しばし圧倒されながらもアイリーンも頷いた。
「ではまた後日ご連絡します」
「はい」
モリスは安心したように再び椅子に腰を下ろした。しかしその顔にはまだ冷や汗が流れている。
「あの……ですね、大変言い難いのですが」
「はい」
面倒なので一度に全部言ってくれませんか、という文句を堪えながらアイリーンは顔を上げる。もしも相手が顧客でなければ、生き生きとしてその台詞を浴びせていたことだろう。
「その、できれば小物も……」
「小物? 扇子、ですか?」
「はい、あと髪飾りも……」
「えっと……」
さすがのアイリーンも戸惑ったような声を上げる。ドレスはともかく小物も、とならばドロシアが何を言うか。そんなに簡単に引き受けられることではなかった。
「練習ですよね? なのに本番と同じ様相でやるんですか? 途中で壊れたりとか破れたりとか……」
「それは百も承知なんです! しかしですね、何せその彼女、一度こうと決めたらなかなか自分の考えを変えない子でしてね」
「ドレスはともかく、小物も、ということになると……。一応店主には伝えておきますけど、近日中に仕上がるかは保証しかねますが」
「ああ、大丈夫です、もちろん。心持ち、ほんの少しだけ早めてくだされば本当に……」
あせあせと両手を動かす。アイリーンもそれに渋々頷く。だが、ドロシアがぐちぐちと小言を言う姿が容易に想像でき、内心では憂鬱だった。
「いろいろと無理なことを言ってすみませんでした。今日の所はこれで失礼しますね」
モリスはそう言ってへこへこ頭を下げながら去って行った。決してアイリーンに怯えてそうしたのではない。元来そういう性格なのだろう。
その後しばらくは新しいお客もやって来ることは無く、アイリーンも安心して仕事に励むことができた。悲しいかな、そのこと自体が、この店の顧客の少なさを表していたのだが、深く考えないアイリーンはそのことにまで考えが及ばない。
――と、しばらく心地よい沈黙の中で作業していたのだが、唐突にカランコロンと音が鳴る。
「帰ったよ」
それだけ言うと、ドロシアは乱暴に椅子に腰かけた。重く息を吐き出し、顔だけをアイリーンに向ける。
「調子はどうなんだい」
「丁度仕上がりました」
立ち上がってドレスをドロシアに手渡す。幾分か誇らしげになるのを堪え切れそうにない。何しろ、ドロシアには明日の朝までに仕上げろと言われていたのだから。
今まで数々のドレスを手直してきた経歴を舐めないでほしいとアイリーンの顔は物語っていた。
「そういえば、つい先ほどモリス様がやってきました。そのドレスと、できれば小物も急いで仕上げてほしいとのことです」
デニスがそーっと紅茶を運んできた。もくもくと白い湯気が立っている。邪魔にならないよう彼女はドロシアの脇のテーブルに置いた。
「デニスさん、扇子もできれば急いで仕上げてほしいらしいんですけど大丈夫ですか?」
「はい、刺繍ですね。私の方ももうすぐ終わりそうなので、その後にできるだけ急いでやってみます」
了解したとばかりデニスは拳を作った。それに頷きを返すと、今度はドロシアに視線を戻す。彼女は眠そうな顔でドレスをあちらこちら調べているばかり。一度熱中すると周りの声が聞こえなくなるのは彼女もアイリーンも、似ているのかもしれない。
「ドロシアさん、聞こえてますか?」
「聞こえてるよ。年寄り扱いするんじゃない」
ふんと鼻を鳴らすと、ドロシアはドレスを傍らに置いた。そのまま手を紅茶へと伸ばす。
「あんたね、仮縫いのくせに丁寧にやってんじゃないよ」
「それは褒められているんですか?」
「馬鹿だね、叱責だよ」
む、とアイリーンは口を尖らせる。その様子を嬉しそうにドロシアは見上げた。
「仮縫いに時間をかける馬鹿がいるか。まだまだ仕事は溜まってるんだよ」
「時間内に終わったんだからいいじゃないですか」
「短時間で終わるんならその分他の仕事もできるだろうが。ったく、その辺の機微も分かってない素人めが、一丁前な口を利きおって」
アイリーンはポカンと口を広げた。さすがの彼女も言い返す気力が無い。何という弁舌だろうか。ああ言えばこう言う。彼女には折れるという単語がないらしい。
「アイリーン」
「はい?」
少しながら、不満げな調子が入っているのはご愛嬌ということで。
「あんた、このドレスの花飾り、やってみるかい?」
「え……」
今度は違う意味で絶句した。先ほどアイリーンの仕上がりに文句を言っていたにもかかわらず、どの口が言う?
「あんたがドレスを早めに仕上げると約束しちまったんだろうが。それくらいやり遂げな」
ドロシアは突き放すように言った。それに対抗するようにアイリーンもつんと顔を上げる。
「分かりました。明日には仕上げてきます」
「当たり前だよ。造りはそう複雑じゃないからね」
再び険悪な視線が交差される。しかしそれに気づかないデニスがふふふと嬉しそうに声を漏らした。
「お婆ちゃんがドレス、アイリーンさんがコサージュ……。そして私は扇子の刺繍ですね!」
そのまま元気よく拳を突き上げる。
「初めての共同作業……皆で頑張りましょう!」
しかしこの場に愛想よくそれに付き合う人柄の者など一人もいない。ドロシアは茶を飲みながらホッと息を突き、アイリーンはというと、自身が初めて手掛ける作品へと思考を飛ばし、彼女の声など耳に入ってもいなかった。デニスは泣き笑いの表情でそっと拳を下ろした。
*****
夕餉の後、アイリーンは早速コサージュ作りに取り掛かった。ドレスに縫い付けるのは完成した後なので、家でも没頭することができるのが魅力的だった。
いつもなら食後、居間で語り合ったりするものだが、アイリーンは一人自室に閉じこもった。ちょっした服のほつれを直す程度なら居間でやってもいいのだが、何せこれは店の商品。主にウィルドが何かしでかしたりしまわないか不安があったので、大人しく自室でやることにした。
肌触りの良いレースを机に並べる。それらを等分した後、端をぐし縫いし、糸を引っ張て形を整えた。コサージュは、至って簡単な造りをしていて、裁縫が苦手なエミリアに任せたとしても、同じような物を作り上げることができるだろう。しかし、やはりそこは初めて任された作品ということで、アイリーンもやる気に満ちていた。
アイリーンは派手な見た目、性格をしている一方で、その境遇のせいか、何とも地味な仕事を好む傾向があった。そして、一度集中するとなかなか周囲に気が付かない。今も、フィリップが恐る恐るノックし、そーっと扉を開けたがそれに気づく気配はない。彼は適度に冷めた紅茶を盆にのせてやって来ていた。すっと中に身を滑り込ませ、困った様に姉を見やる。――彼女は未だこちらに気付く気配はなかった。
姉が弟に気が付いたのは、それから約十数分後であった。ようやく一息ついたと立ち上がりながら伸びをして初めて気づいた。フィリップは困ったような表情を浮かべていた。すっかり紅茶は冷めていた。
「――え、フィリップ? 紅茶持って来てくれたの?」
「うん。でも冷めちゃったから新しいの持ってくる」
「待って待って! そんな勿体ないこと駄目よ。別にそのままでいいわ。私冷めたものも好きだから。それよりもごめんなさいね、私なかなか気づかなくって」
集中を削ぐのは悪いと思って、フィリップは今まで声をかけなかったのかもしれない。ウィルドとは大違いだと失礼なことを考える。
「それ、新しい仕事の?」
「ええ、ドレスに縫い付けるコサージュ。作り方は簡単なんだけどね」
そのまま流れるように説明に入った。その様は何だか得意げ。
「この飾りね、なんと全部で二十個も作るのよ? それに頭にも同じ飾りがいるらしいの。何でもね、そのドレスを着る役がとっても心優しいっていう設定だから、取りあえず花をあちらこちらに飾るらしいのよ。とんだ花の精になると思わない?」
ふふ、と嬉しそうにアイリーンは笑った。フィリップはそれを眩しげに見上げる。
「母様、何だか生き生きしてるね」
「え?」
フィリップはぽつりと零した。思わず聞き返す。
「新しい仕事、引き受けてよかったね」
「……そうね」
確かに家庭教師の仕事もアイリーンの性格には合っている。が、ものを作るのもそれと同様、自分に合っている気がした。
窓から見える夜空を見上げ、今度はしっかり頷いた。




