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愛と鞭  作者: まくろ
第七話 兄弟喧嘩は犬も食わない
39/120

39:対決の時

 静まり返るテーブル。彷徨う視線。


「もう! 一体二人ともどうしたのよ!」


 我慢できずに声を張り上げたのはエミリアだ。

 こんな風に家族が分裂するのは耐えがたいことだった。


「今朝から二人ともギクシャクして! 感じ悪いったらありゃしないわ!」

 ギンッとエミリアの視線が交互に兄たちに渡る。しかしそのどちらも視線が交じることは無かった。


「もうわたしもフィリップもうんざりなの! いい加減仲直りしてよ!」

 パンッと大きく手を叩く。


「ほら!」

 しかし二人は動き出そうもない。痺れを切らしてエミリアは地団太を踏み始めた。


「~~っもう! そもそも一体何が原因で喧嘩してるのよ! ウィルド! まずはあなたが弁明して!」

「はあ? 俺?」

「そうよ! ここで話し合っておかないと、一生二人は喧嘩しっぱなしよ?」

「別に俺はそれでも――」

「わたし達が嫌なの! いいからウィルドはステファンの何に怒っているのか話して!」

「…………」


 ウィルドはしばし口を閉ざす。次に口を開いた時、彼の瞳は怒りにメラメラ燃えていた。


「俺は……俺はな、ステファンに地道な嫌がらせを受けているのが嫌なんだ!」

 バッとウィルドはステファンに指を突きつける。が、ステファンは涼しい顔だ。


「そんな覚えはないけど」

「白を切るな! 何だよ、いつも俺に買い物押し付けるし、このデザート買って来てって言っても無視するし、事あるごとに俺が成長期なのをなじってくるし!」

「別になじってなんかないよ」

「否定するの最後だけかい!」


 思わずウィルドは頭を抱えた。そのまま相手のペースに呑まれるな、と自身を落ち着かせる。


「分かった。じゃあ買い物押し付けたのと、買って来てほしい物を無視したのは認めるんだな?」

「認めるも何も……。買い物を頼んだ件についてはちょっと僕に用事があって頼んだだけだし、ウィルドの欲しいものを無視したのも、家計的に予算が無くて……」

「家計的に予算が無い? よく言うよ、エミリアやフィリップが食べたいって言ったものはすぐに買ってくるくせに!」

「別にそんなつもりは……」

「あるよ!」


 再び大きく叫ぶと、ウィルドは自身を落ち着かせようと、短い呼吸を繰り返した。


「……分かった、それについては一旦置いておこう。話が進まない」

 珍しくウィルドは理性的に話を進めようとしている。エミリアは感動した。


「でも俺の成長期についてなじった件については?」

「なじってないよ」

「なじってるよ! ウィルドは成長期だから無駄に食べるんだねとか、成長期もどうせすぐ終わるよとか、成長期って骨が痛くなるらしいから甘く見ない方がいいよとか!」

「そ……れは……」


 みるみるステファンの瞳が揺らぎ始めた。観戦に徹しているエミリアとフィリップは、食い入るように彼を見つめた。勝負は傾き始めているように見える。


「事実を言ってるだけだろ……?」

「そ、そうだけど、でも俺にだけなんか冷たいっていうか!」


 確かに。

 エミリアは考え込む。


 確かに、言われてみればこの頃のステファンの様子はどこかおかしかった、主にウィルドにだけ。

 ウィルドのお椀にスープをよそう時だって、少しだけ皆の量よりも少ないような気がするし、いつもは自分が引き受ける買い物もウィルドに頼むことが多かった。


 何だか急に聖人君子、ステファンの化けの皮が剥がれたような気になって、エミリアは一歩一歩と下がる。


 実は、兄様はわたしが考えるよりも腹黒……?

 自分のことはさておき、エミリアはその事実にはたと気づき、恐怖を感じた。今まで自分は一体何を見てきたのだろう。一気に目の前のステファンがステファンでないような、そんな妙な困惑に捕らわれる。


 誰もが口を閉ざし、こくりと唾を嚥下した時、ステファンの口元がすっと動いた。


「だ、だって」

 食い入るようにその口元を見る。


「ウィルドが僕の身長を小さいって……!」


 刹那、脱力した。

 何だその理由。


「に、兄様?」

「皆だって覚えてるだろ? 皆でカフェに行った帰り道、オズウェルさんの身長と比べて僕のは小さいだとか、身長が伸びるのはいつのことになるんだろうかとか、ちゃんと食べないと身長が伸びないだとか!」


 せ、鮮明に覚えてらっしゃる……。

 エミリアは微かに冷や汗を流した。彼の記憶力は相当なものらしい。


「た、確かにあれはどう見てもウィルドが悪かったけど……」

 助け舟のつもりでエミリアはそう口にした。


「何で今更?」

 皆の声が揃った。ステファンは激しく首を振った。


「今更じゃない! あれからずーっと心に溜まってたんだ、どうしようもないイライラが! 皆に心配かけまいとふるまってたけど、その内どうしようもない気持ちが込み上げて来て、知らず知らずウィルドに八つ当たりを……」

「お、おまっ、そんなことで俺に地味な嫌がらせしてたのか!?」


 呆れ返ってウィルドは声を上げた。ステファンはすぐに反発する。


「ウィルドは無神経すぎるんだ! 人が気にしてる身体的特徴についてからかうなんて……!」

「だからって……だからって嫌がらせはないだろ! 悪気はないんだから、まだ面と向かって無神経な発言をしている俺の方がマシだ!」

「悪気はないで済んだら騎士団はいらないんだ! 確かに裏でネチネチやるのは男らしくなかったけど……でも自分ではどうしようもない身体について揶揄するよりはマシだ!」

「いや俺のがマシ!」

「僕の方が!」

「俺が!」

「僕が」


 程度の低い争いは続く。

 フィリップなどは、隅でこっそり欠伸を堪えていた。兄たちの次元の低い争いは退屈なようだ。


「ふ……」

 そんな傍ら、エミリアは一人不気味な笑い声を上げていた。


「ふふふ……」

 彼女は黒い笑みを浮かべる。


「そんなくだらないことで喧嘩してたの……?」

 もう限界だった。自分たちは朝から二人のことを思って気を揉んでいたというのに、当の本人たちは何だ、低次元な口論を繰り広げて!


 エミリアは爆発した。


「そんなくだらないことでわたし達はこうも翻弄され続けたのね! もう知らないわ!」

 大きく叫ぶと、エミリアはぎゅっとフィリップを抱き寄せ、テーブルの下に避難した。その小さな背が小刻みに揺れる。


「…………」

「…………」


 ステファンたちはすっかりしょげ返った。テーブルの下を覗き込むが、彼女はこちらをちらりとも振り返らない。

 すっかりお手上げになって、ステファンはそのまま体を起こした。真向いのウィルドと目が合った。しばらく視線が交じり合う。二人とも自分から外すことは無かった。


「ごめん。ウィルド」

 気づけばステファンはそう口にしていた。


「僕、少し大人気なかった。陰でネチネチやるなんて」

 しばしの沈黙の後、ウィルドの口もゆっくり動いた。


「……俺も、ごめん。元はと言えば俺の無神経な発言のせいだもんな。ごめん。これからは気を付ける」

 もぞもぞとテーブルの下で気配があった。ちょこんとエミリアとフィリップの顔がのぞく。


「……握手」

「うん?」

「二人、握手して」

「はあ?」

「握手しないと仲直りにはならないの!」


 そう叫ぶと、再びエミリアは顔をテーブルの下に引っ込める。すっかり彼女に翻弄される形となった兄二人は、慌てて片手を相手に差し出した。


「わ、分かったよ……」

 何だか照れくさい思いで握手を交わし合う。再び視線も交わったが、今度はすぐに外れた。エミリアはその様を見てにこにこと笑った。ようやく二人はいつも通りだ。それなら自分たちが駆け回った苦労も浮かばれるというもの。


 居間が妙な幸福感に包まれているとき、玄関からパタパタと音がし始めた。フィリップはすぐにそれを感じ取り、扉へ向かう。彼がバッと開けた瞬間、久しい顔が飛びこんできた。


「母様?」

「あら、みんな勢ぞろいね」

「お帰りなさい!」

「はいはい、ただいま」


 軽い口調でそう言うと、アイリーンは肩をぐるぐる回しながら居間へ入って来た。先ほどの修羅場とは程遠いその動作に、すっかり辺りは緩い空気になる。


「もう本当肩凝ったわー。あの人私をこき使うんだから!」

「お疲れ様です」

「でもね、お土産もあるのよ」


 その声に、子供たちはわーっとアイリーンに群がる。彼女が掲げたのは、有名なヒュルエル通りの焼き菓子。ドロシアが知り合いに貰ったものなのだが、彼女はヒュルエル通りと聞いた瞬間、すぐにそれをアイリーンに押し付けた。『シャルル・ド・ヒュルエル』の名に少しでも引っかかった瞬間、嫌悪感が増すようである。彼女の孫、デニスが指をくわえてこちらを見ていたが、アイリーンは満面の笑みで有り難く頂いてきた。一度貰ったものは、何があっても手放さないのが彼女の格言の一つでもある。正直なところ、この店の菓子はおいしいと評判なので、アイリーンも一度食してみたかったのである。


「じゃあ僕がお茶を入れてきます」

「え? 兄様は座っていてよ。わたしが入れてくるわ」

「いや、エミリアの方こそ。今回は二人に迷惑をかけたからね、お茶は僕に入れさせて」


 その言葉に決まりが悪くなったのはウィルドだ。照れくさいのか頬を掻いて立ち上がり、誰に言うでもなく呟く。


「……じゃあ俺はテーブルの上を片付ける」

「え、何、何かあったの?」

「何でもなーい」


 きょろきょろと弟を見渡す姉がおかしくて、エミリアとフィリップは顔を突き合わせてクスクスと笑い声を漏らした。


 またいつもの子爵家に戻った。

 そのことが嬉しくて、二人はなかなか笑うのを止めることができなかった。


「あ、ちょっと待って」

 困惑しながらも席に着いたアイリーンだったが、すぐにキッチンの方へと向かった。折角のお菓子なのだ、使い回しの紅茶よりも、新しいそれを使用しようという魂胆だった。


「えーっと……新しい紅茶ってどこにあったかしら?」

「新しいのですか? 確か上の棚に……」


 言いながら、二人は頭上を見上げる。ちょっと背伸びしたら手が届きそうな距離だ。傍らに椅子もあるが、それを持ってくるのも手間がかかる。

 ステファンが背伸びをして戸棚に手を伸ばすが、やはり少しだけ距離がある。諦めて椅子を持ってこようか、と彼が考え始めた時、彼の背を覆う様に影が走った。


「私が取るわよ」

 影の主は一言そう言い、颯爽と紅茶を手に取った。彼女はステファンを見下ろし、ゆっくりと笑みを浮かべた。


「私の身長に届くには、もう少しかかるようね」

「あ……」


 何だか遅いな、とキッチンを覗きに来たエミリア。彼女は目撃した。ステファンの口元がわなわな震えたのを。拳がぎゅっと握られたのを。


「え、え? なに、どうしたの?」

 妙な沈黙、雰囲気に戸惑ったアイリーンは、困惑の声を上げる。しかし目の前のステファンは何も言わない。彼の周りの空気が凍っていく。


「わたし、もう知らない……」

 エミリアはそう呟くと、さっさとキッチンを逃げ出した。


 これから起こることはもうわたしの管轄外だ。もうどうもしてやらない!

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