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愛と鞭  作者: まくろ
第十八話 雨降って家固まる
120/120

120:揃う子爵家

「何でこの二人はいつまでも変わらないかなあ。これ以上仲が発展する想像ができないよ……」

 男女から少し離れた茂みの中――緑の香りが辺りに漂うそこでは、三人の少年と一人の少女が、忍ぶようにしてしゃがんでいた。


「全く、オズウェルさんも何を考えてるんだか……。男ならはっきりしてほしいよ」

「…………」


 ウィルドは呆れたような目でステファンを見やった。何だか最近、この兄の考えていることがさっぱり分からなくなってきた。


「そもそもステファンはあの二人を一体どうしたいんだよ。恋仲でもないのに、わざわざこんな回りくどいことをしてまでくっつけなくても――」

「ウィルドもまだまだねえ……」


 姉たちの援護に回ったつもりが、今度は妹に鼻で笑われる。ウィルドはムッとしたのを隠そうともせずにとげとげしく聞き返す。


「何が言いたいんだよ。鈍感な俺が気づいていないだけで、実はあの二人は恋仲だとでも言いたいの?」

「さあ、どうかしらねえ……」


 ふふふ、と黒い笑みを浮かべるエミリア。


「……フィリップはどう思う?」

 些か期待に込めた目でステファンは弟を見た。彼は姉たちから目を離すと、へにゃっと笑った。


「僕は……姉様が幸せなら、それでいいよ」

「……模範解答だ」

「フィリップのが模範回答なら、じゃあ師匠を無理矢理決行させようとしてるステファンは駄目駄目じゃん」

「駄目駄目……? で、でも、僕は姉上のことを思って……!」


 驚いたようにステファンは顔を上げたが、すぐにハッとして身を屈めた。すっかり忘れていたが、自分達は今、姉とその恋人候補を覗き見している真っ最中でもある。しかもその恋人候補、ああ見えて騎士団の団長でもある。油断は禁物だ。彼に気取られては折角の作戦も台無しだ……。


 ステファンは一旦深呼吸をし、自身を落ち着かせる。そしてゆっくり弟妹たちを見回すと、徐に口を開く。


「姉上の評判はは地に落ちてるんだ」

「…………」


 何て言い草、とは思ったが、弟妹たち口には出さなかった。


「僕がこれだ!と思った相手は、ことごとくお見合いを断る始末。理由を尋ねてみたら、未だ蔓延る姉上の噂に恐れをなした……との返答が返って来た」

 はあ……とステファンは重苦しいため息をついた。近ごろ兄様が老けて見えるのはこの気苦労のせいだったのか、とエミリアは同情を禁じ得ない。


「誰もお見合いすらしてくれないのに、どうやって結婚させるって言うんだよ……。このまま噂が自然消滅するのを待っていたら、姉上は本当に結婚できなくなってしまう。……そりゃもう、姉上の知り合いでかつ家柄がしっかりしていてかつ次男でかつきちんとした職にも就いていてかつ妙齢でかつそれなりに性格も良い唯一の男性、オズウェルさんしかいないでしょう……!」

「姉様の結婚相手の条件、そんなにあったんだ……」

 とフィリップ。


「何だか団長さんが可哀想に思えてきた」

 とはウィルドである。


 エミリアも若干ウィルドに賛成だが、そうなると姉の立場が無くなってしまうので黙っていた。代わりに当の本人である、アイリーンの方を指さした。


「でも相変わらず、当人たちにその気配は感じられませんよ? このままで本当に進展するのかしら」

 彼女が指さす先――アイリーンとオズウェルは、未だ男色だの嫁ぎ遅れだの口論していた。男女の色香すら見えない。


「……まあそのうち何とかなるでしょう」

 ステファンはそっと遠い目をした。


「それに、僕もまだまだお見合いはの方も諦めていないから。オズウェルさんよりもいい候補があったらすぐにそっちに乗り換えるつもりだし」

「でもそれじゃあ、今度は男ったらしって噂が出てきそうだけど」

「その時はその時さ」


 現在蔓延っている噂のことを思えば、これ以上増えても痛くもかゆくもなかった。それよりも、今は結婚相手が見つかることの方が重要だ。


「さて、二人の方がどうなってるのかな」

 ステファンは楽しそうに言った。その顔は、どこか吹っ切れたようにも見える。フィリップは彼の隣に移動した。


「相変わらず口論してるみたいだね……。さっきよりは声が小さくなってるから、何を話しているかまでは分からないけど」

「そうだね。でも最初の頃に比べれば大分マシになったとは思うかな。あの頃は顔を合わせれば口論口論――って、ああっ!」


 突然兄が耳元で大声を上げたので、フィリップは耳を抑えた。彼の剣幕に、ウィルドやエミリアも寄ってくる。


「どうしたの?」

「姉上……姉上とオズウェルさんが、何やら森の方へ向かってる!」

「二人で? 何のために?」

「そんなの知らないよっ! 異性と二人っきりなんかになったら、それこそどんな噂がたてられるか……!」

「傍から見れば、今も二人っきりなんだけどね」

「駄目だ、あの場にちゃんと第三者がいないと、とんでもないことになりうる――。たとえここが森の中だと言ってもね、安心なんかしちゃいけないんだ。だって、男女の機微にはすごくうるさい噂好きの奥様方がいるからね。彼女たちはどんな状況においてもその時の情報を仕入れ、そして尾ひれをつけまくって周りに拡散する術を持っている。これ以上噂を広げたら駄目だ。ただでさえ今は結婚相手を探している最中なんだから――よし、皆、行くよ!」


 ステファンは勢いよく振り返った。振り返って愕然とした。誰も立ち上がろうとしていなかった。それどころか、こちらを見てもいない。


「それよりも腹減ったよー。エミリア、弁当」

「偉そうね。それが物を頼む態度?」

「何だかエミリア、最近師匠に似て来たな……。将来が恐ろしいよ」

「失礼なことをほざくウィルドは放ってわたし達だけで食べましょうか、フィリップ」

「うん、僕もお腹空いた」

「ちょ、それはないって。俺だって――」

「はいはい、今すぐ用意するわよ」


 広げられたシートにエミリアは所狭しとお弁当を広げ、子供たちは、それに群がり、顔を輝かせる――。


「ちょっと! 何してるんだよ!」

 ステファンは我慢ならなくなって声を荒げた。弟妹達はきょとんとこちらを見上げる。その表情に、一層怒りが込み上げる。


「僕らはピクニックしに来たわけじゃないんだよ! 姉上のことが心配じゃないの?」

「心配ったってなー……」


 ウィルドはポリポリ頬を掻いた。


「なるようになるでしょ。相手は団長さんだし」

「わたしもそう思うわ。オズウェルさんなら大丈夫でしょう」

「僕も。オズウェルさんになら、姉様を任せられる」

「…………」


 ステファンは閉口した。いつの間に、弟妹達の間であの人の評価が上がっていたのだろうか。そのことにすら気づかなかった。


「もういいじゃん、放っておけば」

「二人で上手いことやっていけるでしょう」

「そうそう」


 流れるように、弟妹達は口々に言う。


「何だかんだ、あの二人も落ち着いて来たしね」

「兄様は気を使い過ぎよ」


 それは、つい最近、誰か他の人にも言われた言葉で。


「偶にはゆっくりしようよ」

 フィリップの柔らかな微笑みに、ステファンの高ぶっていた神経は、やがて落ち着きを取り戻した。へなへなとその場に腰を下ろすと、三人を見回した。ウィルド、エミリア、フィリップ……。その瞳は、どれも揺るぎない。


 本当の意味で、姉のことを信頼していなかったのは、僕自身なのか。

 ステファンは黙ってフィリップの隣に腰かけた。そして。


「何とかなるかー」

 間延びした口調でそう零した。

 見上げれば、どこまでも続く青い空。こんな日には、のんびり家族とピクニックが最適だ。


「僕もサンドイッチもらえる?」

「じゃあこれやるよ。最後の一つっぽいし」

「ありがとう」


 目を細めてそれに齧り付く。今日くらい、全ての悩みを忘れて楽しんでも、罰は当たるまい――。


「くっ……」

 瞬間、口内に襲いかかる衝撃。辛さと苦さがない交ぜになって暴れている。


「――っ」

 涙目になってエミリアを見れば、彼女はわざとらしく視線を彼方へ向けていた。


「もちろん今日も仕込ませていただきました。子爵家恒例ですもの」

「あちゃー、師匠がいないからステファンに当たったのか。残念だったね」

「はい、お茶」

「~~っ!」


 思い切り文句を言ってやりたいが、しかし口の中のものを処理しなければ、それもできない。


 口から零れるのも構わずに、ステファンは必死になって水筒の中のお茶を貪り飲んだ。その際に、姉とオズウェルの姿が目に入った。二人が森の入り口まで移動したのは、その手前で野イチゴ狩りをするためだったようだ。


「ちょうどこの時期は野イチゴ狩りに丁度良い時期ね。野イチゴって酸っぱい印象があるけれど、意外に甘いものだってあるんだから。ほら、これとか。食べてみる?」

「洗わないのか?」

「とれたてがおいしいのよ」


 アイリーンに手渡された野イチゴを、オズウェルは躊躇いもなく口に入れた。


「……甘酸っぱい」

「でしょう? そのまま食べるのもおいしいけれど、エミリアが作ってくれる野イチゴのケーキとかパイ、これがまたすごくおいしいのよ……! 本当、ほっぺたが落ちるくらい。今度いらっしゃいよ。きっとエミリア、喜んでもてなしてくれるわよ」


 鼻を高くして宣言するアイリーンのその顔は、非常に自慢げだった。

 ……その顔を見ていると、ステファンは次第に腹が立ってきた。姉のことを思って奮闘しているにもかかわらず、彼女はそんな弟の苦労などいざ知らず、能天気に騎士団団長を屋敷に招待している。


 ……やっぱり姉上は必要不可欠な人だ、このロシアンルーレッ――いや、子爵家に。


 そんなことを考えながら、ステファンはついにお茶を飲み干した。

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