守護竜戦の決着と契約
地面に伏せるアルマガルムとその顔の前に立つゴラン将軍との会話はまだ続いている。しかし、アルマガルムがまだ魔法を使える事を知り、アルマガルムが周りに攻撃をしようとした場合に備えて千博はミーツェの《大蛇の牙》に右手で触れていた。
「難しい事を言っているわけではないだろう。私は貴公にフローガへ帰って貰いたいと言っているだけなのだ。」
『……だから何だ。ワタシが何故お前の言う事を聞かねばならん。』
ゴラン将軍は端的に要求を述べ、友好的に戦う意思がないことも伝えているが、アルマガルムは何故か首を縦に振らない。
「……では、質問を変えよう。何故フローガ大陸の守護竜たる貴公が我々のデントロー大陸にやって来たのだ?」
埒があかないと感じたのか、ゴラン将軍は話を変える。すると、アルマガルムの目元がピクリと動いて反応した。それを見てゴラン将軍も表情を硬くし、続けた。
「何か目的があり、それを果たすまでは変えるつもりはない……か?」
アルマガルムの表情は変わらない。ただ、千博は憎しみのこもったアルマガルムの目がさらに力強くなったような気がした。ゴラン将軍は無言で反応をしないアルマガルムをじっと見る。この沈黙が是なのか否なのかは分からない。しかし、ゴラン将軍は直感的に半分は当たっているが、他の理由がありそうだと感じた。そして発した次の質問に、アルマガルムがついに反応した。
「……それとも、フローガに帰れない理由があるのか?」
その言葉に、力を削がれ大人しくしていたかに見えたアルマガルムは身を起こして反応し、咆哮するように叫んだ。
『貴様ら人間が……偉そうにそれを言うかァッ!!』
「っ?!」
ゴラン将軍は後ろへ跳びのき、剣を抜いて身構える。何故かは不明だが、今の一言がアルマガルムの中の何かに触れてしまった事は誰から見ても明らかであった。周りの兵達の顔にも警戒の色が浮かぶ。
『フローガに帰れだと……?貴様ら人間はいつもそうだ!どこまでも愚かで、身勝手な種族め。許さん……何故貴様ら如きにこのワタシが……ッ!』
ワナワナと巨体を震わせて怒りを露わにするアルマガルム。しかし、怒りの対象はゴラン将軍やこの場の兵士達と言うわけではなく、どちらかというと人間全員に向けてのものという感じが強い。
「なんか、やばくない?!」
「あぁ。話の感じだと、ゴラン将軍の言葉が図星だったって言うか……何か嫌なことでも思い出させたんじゃないか?」
「そんなのは分かってるよ!そうじゃなくて、まだあいつ元気じゃんってこと!」
隣で慌てるミーツェを横目に、千博はアルマガルムから目を離さない。既に、魔力の準備もできている。怒りに震えるアルマガルムの周りの空気は溢れ出す魔力で歪み、周りの冷気もどんどんと増していく。兵士達は下がり始め、ゴラン将軍も距離をとった。
『……貴様らなど、消し飛べば良いのだァッ!!』
そして、怒りが頂点に達したかと思われると、アルマガルムの上空にこれまでの比ではない、空を覆い尽くすほどの氷の矢が生成され始め、地面はパキパキと氷に覆われ始めた。さらに、アルマガルムの口元にはとてつもない魔力が集まり始めているのを千博は感じた。様子を見る限り、魔力を制御しているのではなく暴走しているかのようだった。どう見ても、備えていた万が一の場合が起きているのは明らかだった。
(っ、やばい!これはもう、全力で行くしかない!)
生命の危険を感じ、できれば拘束だけと思っていた千博だったが、用意していた手を手加減なしの全力で放つことに決めた。千博は、《大蛇の牙》を握るとすべての魔力を込めて"電流"を放った。
『ガァアァアァアァァッ?!』
その瞬間、《大蛇の牙》を伝わって一気に電撃はアルマガルムの体全体を駆け巡った。アルマガルムの巨体は輝いて痙攣し、周囲に広がっていた魔力は収まり、氷の矢も地面の氷もじわじわと消滅していった。アルマガルムの様子を見ながら、魔力を《変換》させた電流を流していた千博はそれを見て攻撃をやめた。魔力切れを感じて地面に膝をつき、肩で息をする。実戦で試すのは初めてで、まだ《変換》が雑だったようだ。ギリギリのところまで魔力を使ってしまったらしい。しかし、千博の作戦は上手くいったようだ。
「な、何だ今のは……?」
突然アルマガルムを襲った雷撃に兵士達は驚き、ゴラン将軍も珍しく目を見開いている。そして、地面に倒れ動かなくなったアルマガルムと、アルマガルムを縛る鎖の先で膝をつく千博とを交互に見た。
「チヒロ?!」
隣で膝をついた千博の体を支えるように、ミーツェが《大蛇の牙》を解いてしゃがみこんだ。今の攻撃が千博の攻撃だと、ミーツェは《大蛇の牙》から感じとっていたようだ。
「今の魔法、すごい魔力だったけど大丈夫?!」
千博に肩を貸しながらミーツェが尋ねる。しかし、起き上がるのも今はきつかったので千博は地面に座り込む。
「なんとか大丈夫だ。それより、アルマガルムは……」
千博はアルマガルムを見て状態を観察した。魔法の発動を防ぐことができたので、意識は奪えたかと感じたが、実際は分からなかった。ただ、かなりの手応えを感じたのでダメージは蓄積されたはずだ。千博はそう思っていたが、驚いたことにアルマガルムの顔がゆっくりと動いて千博とミーツェを見た。
(なっ……?!気絶させられなかったか!くそっ、上手く電気が伝わってなかったのか?まずい、もう魔力は使えないぞ……)
慌てて立ち上がり、腰の剣を握るが、正直今立ち向かっても一瞬でやられる気しかしなかった。ミーツェも《大蛇の牙》を再び用意する。
『……今のは、貴様が……?』
「「……?!」」
そして、発せられた言葉に千博とミーツェの2人は驚いて顔を見合わせる。今までろくに会話をしようとしなかったアルマガルムが、千博の顔を見ながら、確かに千博に話しかけたのだ。
『聞いている……今のは、貴様の魔法か……?』
「っ、あ、あぁ。そうだけど。」
『……。』
態度にはまだ尖ったところがあるが、それでもアルマガルムには先ほどまでの敵意は無くなっていた。そのことに驚きつつも千博は答えると、アルマガルムはじっと千博の顔を眺めた。何かを思案するように静かに千博を見る。
『いいだろう、貴様らの申し出、聞き入れてやる。』
「「「え?!」」」
そして、しばしの沈黙の後に出されたアルマガルムの言葉に誰もが絶句した。まるで手のひらを返すかのように変わった意見に、千博も驚く。だが、驚愕はやがて喜びとなり、周りから歓声が上がり始めた。
『ただし、条件がある。』
安堵と喜びの中で盛り上がっていた兵士達だったが、アルマガルムのその言葉にピタリと静まった。
「……条件、とは?」
全員を代表するようにゴラン将軍が尋ねると、アルマガルムは再び千博を見た。
『この男を貸せ。こいつにも、フローガについて来てもらう。そうすればワタシはこれ以上貴様らに手を出しはしない。約束しよう。』
「え、俺?!」
千博は急な要求に驚く。ゴラン将軍もアルマガルムの意図が分からず、面食らっている。
「……何のつもり?チヒロをどうしようっていうの?」
「お、おい、ミーツェ?」
皆が反応に困っている中、怒気を込めてミーツェはアルマガルムに答える。千博を庇うように前に立つと、ミーツェはアルマガルムを睨んだ。千博はミーツェの対応にヒヤリとしたが、アルマガルムは特に怒る様子もなくミーツェを見る。
『怒るな、娘。こいつをどうこうするつもりなどない。ワタシはただ、その……』
「……?」
アルマガルムはミーツェに答えようとして何故か口ごもる。先ほどまでの迫力からは感じられない様子に千博は思わずじっとアルマガルムを見つめてしまった。それに気づきアルマガルムは珍しく目を逸らした。
『貴様に、その……ち、力を貸して、欲しいのだ。』
そして、巨体に似合わぬ小さな声でそう言った。
「力を?はぁ、それは一体どういう……」
『いいから答えろ!ワタシに力を貸すか、このままこの国を滅ぼされるか選べ!』
「なっ?!わかった、手伝うからやめてくれ!」
絶対に断る事のできない要求内容に、思わず答えてしまう。力を貸すと返事をすると、アルマガルムは満足そうに息を吐いた。
「え、ちょっとチヒロ!本当にいいの?!」
「おい、何を勝手に……」
『貴様らは関係なかろう、これはこの男とワタシとの間の話だ。』
あっさりと要求を呑んでしまった千博に対し、色々と言いたいことがある様子のミーツェとゴラン将軍が話に割って入ろうとするが、アルマガルムに一蹴される。
『話は終わりだ。約束通り、ワタシはフローガへ帰ろう。だが、その時はこいつも一緒だ。それと、この大陸を出る日についてだが……』
そして、他の者の話はこれ以上受け付けないと言った様子で話を進めるアルマガルムの体が淡い光に包まれる。すると、アルマガルムの巨体はみるみると縮んでいき、シルエットが人型へと変化した。やがて光が消えると、アルマガルムが倒れていた場所に1人の女性が現れる。
「傷を癒し、体力が戻るまではここへ居させてもらう。私の力が回復し次第大陸を出て行く。それまでは……なんだ。何をジロジロと見ている。聞いているのか。」
現れた女性はアルマガルムが話していた内容を続けて話すが、千博たちが呆気にとられてぽかんとしている様子を見て口を止める。
「ふん、貴様ら人間と同じ姿をとるなど不愉快だが……こうでもしなければ体が動かなかったのでな。」
「いや、そうじゃなくて……え?アルマガルム……さん?あなたが?」
千博は目の前で起きた現象を信じられず、恐る恐る尋ねる。なにせ、守護竜が突然縮んで人間になったのだ。しかも、真っ白い肌に白銀の長髪をもち、切れ長の目をした絶世の美女だ。灰色のローブに身を包んでいる。
「う、嘘でしょ?魔物が喋る事でさえ信じられないのに……。しかも、凄い美人……」
「し、信じられん……。守護竜とは、一体なんなのだ。」
ミーツェもゴラン将軍もアルマガルムの姿を見て開いた口が塞がらないと言った様子だ。兵士たちも驚いて声も出ない様子の者が多いが、中にはアルマガルムの美貌に見とれている者もいるようだ。そんな人間たちの反応を気にもとめず、アルマガルムはゆっくりと千博の方へと歩み寄る。
「それ以外になんだと言うのだ。それより、ワタシの傷が癒えるまでの間、貴様には近くにいてもらうぞ。ワタシは約束を守るが、貴様に逃げられては困るからな。」
そして千博に向かって言った。
「え、この国にですか……?」
「なんだ、不満か。」
再び突拍子も無い要求をされて困惑する千博。なぜなら、このままここに留まるわけにはいかないのだ。ライラやステラに心配をかけるし、一応任務で来ている以上、近衛隊に戻る必要があった。
「いや、俺も家に戻らなきゃいけないし……」
「容易いことだ。戻ればいいだろう。ワタシもそこに居させてもらう。」
「なるほど……って、えぇ?!」
アルマガルムの言葉に納得しそうになるが、重大さに気づいて考え直す。今まで散々戦ってきた相手の守護竜を自宅に入れられるわけがない。今は敵意がなくなっているとはいえ、危険すぎる。千博と2人ならまだしも、家にはライラもステラもいるのだ。
「チヒロ、ひとまず落ち着け。……守護竜よ、少し時間をくれないか。我々にも……いや、彼にも色々と事情があるのだ。貴公との約束は違えるつもりはないが、考える時間が必要なのだ。」
どう答えていいものか困っているとゴラン将軍が助け舟を出してくれる。アルマガルムは少し考えると、頷いた。
「……よかろう。ただし、その男の近くには居させてもらうぞ。」
「あぁ、それで構わない。だからもう少し詳しく話し合わせて欲しい。……ひとまず、ここから場所を移させてくれ。」
そう言うとゴラン将軍はレミエルとザックに合図を送り、兵を城へと撤退させ始めた。アルマガルムとの戦いはなんとか無事に終わり、和睦のような形にこぎつけられたが大きな問題に巻き込まれてしまったことに千博はため息をつき、兵士たちに続いてアイジスへと戻り始めた。
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「な、なるほど。事情はわかった。それで、そこの女性が守護竜アルマガルムというわけ……なのか?」
椅子に腰掛け、レミエルに尋ねるのはアイジス国の国王、フランツだ。今、アイジスへと戻った千博は、ゴラン将軍とザック兵長、ミーツェに加え、レミエルとともにフランツ国王に謁見していた。アルマガルムを連れてだ。城へ連れて行くのは流石に危険すぎると言うことで場所は城下町から少し離れた場所にあるアイジス軍の設備の一つになった。万が一に備えてアイジスの兵士達が駐屯している場所にアルマガルムを連れて行くことにしたのだ。
「えぇ、そうです。ひとまず今回の魔物の大量発生は、これで落ち着くと思われます。」
「そうか、それを聞いて安心したぞ。君達ゼウシア国の協力のおかげだ。礼を言わせてくれ、ゴラン将軍、ザック兵長。それに、チヒロ君とミーツェ君もよく呼びかけに応じてくれた。感謝する。」
フランツ国王は千博たちに感謝を述べる。それに続いて周りの兵、レミエルも頭を下げた。
「いえ、同盟国なのですから当然です。それに、今回の件は放っておけば我らの国にも影響が出ていたかもしれません。こうして協力して問題を解決でき、ユリア女王も安心しているでしょう。」
「そう言ってもらえると助かるな。これからもゼウシアとは良い関係を築けるよう尽力すると約束しよう。さて、それではこれからのことを話し合おうか。」
フランツ国王はちらりとアルマガルムを見る。アルマガルムは黙って話を聞いていたが、視線に気づいて顔を上げた。
「ワタシはこの男と共に居させてもらう。貴様らの指図は受けんぞ。」
「ふむ……しかし、そうなるとアルマガルム殿はゼウシアに行くことになるのだが……」
「別にここに留まる理由はない。それともワタシを拘束しておきたいか、人間?」
そう言うとフランツ国王をアルマガルムは睨む。フランツ国王は蛇に睨まれた蛙のようになるが、何とか視線をずらしてゴラン将軍と千博を見た。
「か、彼女はあのように言っておるが……こればかりは即決するわけにもいかんだろう。ゴラン殿、どう思う?」
「そうですね、女王の考えを聞かないことには何とも言えません。それに……」
そう答えながらゴラン将軍は千博を見る。フランツ国王もその視線の意味を察し、千博を見た。
「……チヒロ君、君はいいのか?その、言いにくいんだが……」
「勘違いするな人間、この男はワタシに力を貸すことを了承しているのだ。故に、貴様らの命はこの男にかかっていると思え。この男が約束を破れば貴様らは皆、氷塊と化すのだからな。」
千博を心配して意見を聞こうとしたフランツ国王だったが、アルマガルムの言葉を聞いて他に方法がないことを察して口を紡ぐ。
(やば、なんかすごい不安になってきた。あの場ではああ答えるしかなかったから了承したけど、よく考えたら何させられるか分からないよな……。けど、守護竜って魔物達の生態を守る存在なんだから、本来なら敵対するような存在じゃないはずだ。それに、アルマガルムが人間を敵視してたのは何か原因がある気がするんだよなぁ。)
全く友好的な関係を築こうとしないアルマガルムの態度に千博は不安を覚えるが、この頑なな態度には何か理由があると感じていた。確かな根拠があるわけではなかったが、人間を心から憎み、嫌っているならそもそも人間の千博に手を貸すよう頼んだりしないはずだからだ。
「貴様らが警戒するべきなのはワタシではない。この男が約束を違えることを警戒すべきなのだ。よく考えるが良い。ワタシがこの男を側で見張るのは貴様らのためにもなるということをな。」
「……別に見張られなくても、俺は約束を破ったりしないよ。」
フランツ国王やゴラン将軍に向かってにやりと笑いながら言うアルマガルムに少しイラっときた千博は言い返すように言葉を返した。約束の内容には確かに千博が深く関わるが、当事者はアルマガルムと千博だけではないのだ。
「ふん、どうだかな……。」
「……お前こそどうなんだよ。俺が約束を破るかもしれないことばっか気にしてるけど、俺たちからしたらお前の気が変わって俺たちを襲うことの方がよっぽど怖いんだよ。お前は俺を見張るだけで良いかもしれないけど、俺たちからしたらお前を見張るのは大変なんだから。」
「……なんだと?」
千博はアルマガルムの目を見てはっきりとそう言った。アルマガルムに睨まれるが、決して目は逸らさない。
「俺はお前に協力する。お前は俺たちを攻撃しない。そういう約束だろ?お互いに信用し合わないと成り立たないんだよ。だから、そんなに俺を疑われると俺たちもお前を疑ってしまうんだ。」
話を聞いていればこちらが裏切ることばかりを疑って、約束した意味がないように感じてしまう。互いに疑いあって警戒しているような状態なら、口約束なんてお互い意味がないだろう。千博は、真っ直ぐにアルマガルムを見て意思を伝えようと試みた。
「ふん……言うではないか。いいだろう。チヒロと言ったか、貴様の度胸に免じてこの約束を目に見える形にしてやろう。」
千博の言葉を聞いたアルマガルムは千博の元へと歩み寄り、目の前に立つ。そして、千博の手に触れるとその手を自分の口へと運んだ。アルマガルムの柔らかい唇の感覚が指に触れ、千博は動揺してしまう。
「なっ、おい?!何を……痛っ?!」
唇に触れたかと思うと、直後に鋭い痛みが親指に走る。見ると、親指から少し血が出ていた。千博が顔を歪めたのを見てゴラン将軍、ザック兵長、レミエルはそれぞれ武器に手をかけた。しかし、警戒にとどまった3人とは異なり、ミーツェは《大蛇の牙》を顕現させてアルマガルムの体へと巻きつかせる。
「……ちょっと、何してんの?守護竜だからって、チヒロに変な事したら許さないからね。今のあんたなら私達で倒す事だってできるんだから。」
「ほう、言うではないか小娘。では、試してみるか?」
ミーツェは鋭い目つきでアルマガルムを睨み、アルマガルムも挑戦的な目をミーツェへ向ける。2人の間で視線に火花が散るが、それを見ている周りは気が気でなかった。
「やめろって、ミーツェ!大したことないよ。指を噛まれただけだ。それより、これで何をするんだ?」
千博は急いで2人の間に入り仲裁しようとミーツェを止める。ミーツェは納得いかなさそうな顔をしたが、渋々ながらも《大蛇の牙》を消した。
「ふん……まぁいい。血が乾かぬうちに行う必要があるからな。急ぐぞ。」
ミーツェの《大蛇の牙》から解放されたアルマガルムはそう言うと、今度は自分の親指を噛み血を出す。そして、その手で血の出ている千博の手に指を絡めると、手のひらを合わせるように握った。
「魔力を手の平に集中させろ。」
アルマガルムにそう言われ、千博は何をするのか分からなかったが言われた通り魔力を集中させる。すると、合わさった手の平にアルマガルムのものだろう魔力を感じた。
「良いぞ。それでは、始めよう。……我、守護竜アルマガルムがこの男……チヒロに求めるのは、ワタシがフローガ大陸へ戻れるようになるまでの協力だ。ワタシの求めに応じ、共に闘う共闘者となれ。……次は貴様だ。ワタシに求めるものを言え。」
手の平にお互いの魔力を感じている状態で、アルマガルムは呪文のように口ずさむ。言い終わると千博を見た。
(言えって……アルマガルムがやったみたいに言えば良いのか?ていうか、結局俺とアルマガルムとの間だけで契約を結ぶのか。なら、みんなを守れるような要求にしないとな……。)
千博は要求をどうするか考えた。元々の約束に含まれていた内容を要求にすれば良いのだが、どう表現するか迷った。
「えっと……そうだな。俺、真中千博がアルマガルムに求めるのは……。」
「おい、早くしろ。血が乾くまでにやらねば始めからだぞ。それに、人の体で魔法を使うのは疲れる。」
言いよどんでいるとアルマガルムに急かされる。千博は正直言ってこういう取引のような交渉ごとは苦手だった。しかも、周りには一国の王までいるし、ゴラン将軍やザック兵長も見ている。千博がどのような要求をするのかに皆が注目していた。
「わかってるよ。えーっと、俺が求めるのは……そうだ!俺たちの仲間になってくれよ。人間と仲良くするようにして、攻撃したりいがみ合ったりしないで共存してくれ。それが俺の望む事だ。」
軽くプレッシャーを感じながら、千博は思いついた自分の中でベストな要求をアルマガルムに述べる。そして、ちらりと周りを見て反応を確かめると、今の要求に不満そうな顔をしている人が居なさそうだったので安心した。対して、要求されたアルマガルムは面食らった表情をしていた。
「な、人間と共存……だと?き、貴様……」
「ダメだ。もう決めたからな。ほら、早くしないといけないんだろ?」
共存という言葉を聞いて露骨に嫌そうな顔をしたアルマガルムを見て、千博は断られる前に釘をさす。アルマガルムは、むむむと眉をひそめてしばらく考え込んだが、やがて諦めたようにため息をついた。
「……いいだろう。貴様の要求を守ると誓おう。」
「よし。俺もお前の要求を守ると誓うよ。」
そして、互いに提示した条件を守る事を誓い終えると同時に、千博は手の平の中でお互いの血と魔力が混ざり合い、一つになるような感覚を覚えた。そして、混ざり合ったそれは2人の胸へと流れ込む。これで契約は終わったのだと直感的に感じた。
「これで契約は終わりだ。全く、不愉快な条件を飲まされたものだ。貴様、覚えておけよ。」
「お互い安心できるからいいだろ?契約って結構あっさりしてるんだな。それに、契約できたのは分かったけど目に見える形じゃないし。感覚的にしかわからないんだけど良いのか?」
契約が終わって愚痴を言うアルマガルムに千博は尋ねた。魔力の流れで契約が完了したのは分かるが、周りから見たら契約がちゃんと結べているか見た目では分からないような気がしたのだ。
「クク、あっさりだと?親指を見てみろ。それが証拠だ。それと、この契約を破ると命を落とすからな。せいぜい気をつける事だ。」
「あ、本当だ……って、え?!死ぬの?!」
アルマガルムに言われて親指を見ると、付け根のところに赤いリングがはまっているかのような模様が浮かんでいた。これで周りから見ても契約が完了したことがわかるなと思ったのもつかの間、最後の言葉に耳を疑った。
「当然だ。これは血と血の契約、魂にまで届く契約だからな。」
「嘘でしょ?!チヒロ、大丈夫?!」
ニヤリと笑ってそう言うアルマガルムを見て、ミーツェが千博に駆け寄り千博の様子を確かめる。
「大丈夫、体は別に問題ないよ。……それに、約束さえ破らなければ問題はないんだろ?」
「……ふん、そうだ。この契約を破りさえしなければ、体に現れる変化といえばその指の輪くらいだ。」
千博は、不安そうに見上げてくるミーツェを安心させようと笑顔を見せ、アルマガルムに尋ねた。アルマガルムはもっと取り乱す姿が見たかったのか、つまらなさそうな顔をしながら答える。千博自身もアルマガルムの言葉を聞いてホッとする。
「ふむ……これで契約ができたと言う事なのかね?命をかけるとは仰々しいが……」
契約の様子を見ていたフランツ国王が千博へ尋ねる。千博は頷いてはい、と返事した。
「確かに契約が結ばれたであろうことはチヒロ君の指を見れば分かります。しかし、契約が履行されているかどうかは分からないのでは……?」
契約を見ていた者達は千博とアルマガルムの指に赤い輪状の模様が浮かんでいるのを見るが、まだ安心することはできていないようだ。しかし、この場にいる者達は殆どが国の政治にも関わる事があるような重鎮ばかりだ。簡単に納得するわけにはいかないのだ。
「……レミエル殿の言う通りだ。その輪だけではまだ……っ、ザック?!」
レミエルの言葉に賛同し、より確かな契約の証拠を求めようとしたゴランだったが、その言葉は途中で遮られた。突然ザックが専用武器《三刃の辻風》を顕現させ、アルマガルムに斬りかかったからだ。《三刃の辻風》の刃はアルマガルムの首筋に当てられ、僅かに切れたのかうっすらと小さな切り傷がついていた。油断していたのもあったが、目にも留まらぬような速さで動いたザック兵長の迫力に千博も息をのむ。
「……貴様、何のつもりだ。」
首筋に刃を当てられたアルマガルムは微動だにせずザック兵長を睨んでいる。その目には先ほどまで消えかけていた敵意がはっきりと現れ、今にも飛びかかりそうな表情だったが、少しも動くことはなかった。張り詰めた表情だったザック兵長はそれを確認すると、《三刃の辻風》をしまっていつものように表情を緩めて無精髭を撫で始めた。
「……ザック、肝が冷えるから止めろ。」
「ははは!ゴラン将軍の肝が冷えるなんて、冗談きついですぜ?ま、勝手に動いたのは謝りますがね。けど、これで分かったでしょ?」
ザックは何事もなかったかのように笑ってゴラン将軍に答えるが、アルマガルムの表情は固い。
「いやー、ごめんなさいねぇ。けど、こうでもしないと俺たちにはあんた達の契約ってのが有効なのかどうか分かんなかったからさ。今度飯でも奢るから許して下さいよ。」
「……必要ない。この契約が終われば貴様は殺してやるからな。」
それに気づいてザック兵長が頭を下げるがアルマガルムは全く許すつもりはないようだ。だが、無理もない。交渉の途中でいきなり斬りかかられたようなものだからだ。しかし、千博は未だになぜザック兵長がこんな行動に出たか分からずにいた。
「な、何でそんなことするんですか?それに、確かめるって何を……」
理解できなかった千博が尋ねると、ザック兵長はきょとんとした顔をした後笑って答えた。
「何でって、チヒロ君が要求した条件がちゃんと守られるのか確かめたんでさぁ。ほら、約束したでしょ?人間に攻撃したりしないようにって。だから殺す気満々でちょっかいかけてみたって訳ですよ。そしたらほら、彼女何も反応できなかったでしょ?てことは、君の約束がちゃんと守られてるってことだ。」
それを聞いて千博はようやく納得した。確かにザックの言う通りだ。千博が提示した条件に添えば、アルマガルムは人間を攻撃できない。だから殺されそうになって、普通は反撃するような状態でも動けなかったのだ。確かに契約が履行していることはこの場の全員に理解できた。しかし、千博は自分が出した条件の無慈悲さに気づき申し訳なさでいっぱいになった。
「ご、ごめん、アルマガルム!俺、そんなつもりじゃなくて……ただ、むやみに人間を攻撃したりして欲しくなかっただけで……。こんな、一方的な事になるとは思わなかったんだ……。」
千博は怒っているアルマガルムに頭を下げて謝った。契約が良い条件で結ばれるか心配だったが、予想以上にこちらに有利な条件になってしまっていたようだ。
「……は?なぜ貴様が謝る?ワタシは貴様の条件を了承したのだ。それに、貴様らにとっては好都合だろう。」
「いや、そうだけど……これじゃこっちが一方的にアルマガルムを傷つけられる形になってるから……」
謝る千博を訝しげにアルマガルムは見る。しかし、千博には純粋な謝罪の念しかなかった。アルマガルムは千博の行動を理解できず困惑する。
「……馬鹿なのか貴様は?貴様は有利な条件でワタシと契約を結べたのだ。喜ぶべきだろう。」
「そうかもしれないけど、まさかこんな事になるとは思わなくて……。けど、大丈夫。俺もお前との約束は絶対守るからな。お前に協力して必ずフローガ大陸まで送り届ける。だからこれからは俺がその時までお前を守れるよう頑張るよ。」
「な……守る、だと?このワタシを?貴様らの敵だったのにか?」
「確かにお前はこの国の人たちや、ゼウシアの兵士も傷つけた。それは反省してほしい。けど今はお互い戦わないで済むように歩み寄ってるだろ?なら俺も協力するさ。」
アルマガルムは言われ慣れていない言葉、向けられることがなかった優しさというものにさらに困惑した。千博の言葉に何と答えていいかわからずただ千博の顔を見て長い睫毛を瞬きしている。
「あ、あれ?俺、完全に悪者じゃないっすか?」
「……ふん、甘い奴だ。」
「はぁ、チヒロらしいけど、なんか女の勘が嫌な予感を告げてる気が……」
そんな2人を見ながらゼウシアの3人は三者三様の反応をする。フランツ国王とレミエルも顔を見合って苦笑いしていた。
「ま、まぁとりあえずチヒロ君とアルマガルム殿の契約はちゃんと働いていることがわかったな。アルマガルム殿の処遇についてはアイジスに滞在してもらうか、ゼウシアに行ってもらうのかはユリア女王と話し合おう。それまではアルマガルム殿にはこの駐屯場にいて頂くことにする。悪いがチヒロ君も今日は駐屯場にいてもらえるか。そして、細かいことは後々決めよう。それでいいかね?ふぅ……私は疲れた、皆も今日は休んでくれ。」
そして、フランツ国王の一言に困惑から戻ったアルマガルムも含め、全員が頷く。
こうして、今回の魔物の多量発生の件は色々と問題を残しながらも、原因であった守護竜アルマガルムをフローガ大陸へと戻すという方針で一旦幕を閉じたのであった。




