第2章 タカシの夢はお笑い芸人? (その47)
「じゃ、じゃあ、負けたんだ・・・。」
孝はここぞとばかりに攻める。
父親が「言いたくない」と言ったのだから、きっとそうに違いないとの確信もあった。
「その子、小学校の頃はリレーの選手だったそうで、速いの速くないのって・・・。」
父親は、どうにかして、“負けた”という言葉を使わない会話をしようとする。
「で、でも、その子は卓球部だったんでしょう? 走るのが専門じゃない・・・。」
「ああ・・・、そのとおりだ。」
「その子に負けて、短距離は駄目って言われたんだ・・・。」
「短距離走をやるスピードじゃないって言われてな。
でも、小柄だし、余分な贅肉もついてなさそうだから、きっと長距離なら続けられるだろうって・・・。」
「その長距離が嫌で、陸上部を辞めようって思ったんだ・・・。」
孝が改めてそう断定するように言う。
「だ、だから、違うって言ってるだろ!」
父親は少しだけ、ほんの少しだけ語気を強めてそう言う。
明らかに孝の指摘を否定するものなのだが、それを怒ったように言わないのは、ここで孝と決裂するのはまずいとでも思っているようだった。
そして、話を続けてくる。
「“短距離走をさせてくれないなら入部しません”と言えると思うか? 顧問の先生にだぞ。
しかもだ、その先生、クラス担任じゃあなかったが、1年生の英語を教えてたんだ。
先生はまだお父さんの顔を覚えてはいないようだったが、お父さんはちゃんと覚えていた。その先生に向かって、『だったら辞めます』とはいくらなんでも言えんかった。
お父さん、その当時は、身体も華奢だったが、神経も細かったしな・・・。」
「・・・・・・。」
孝は言葉を返さなかった。いや、返せなかったと言うべきかも知れない。
「結局は、『じゃあ、よろしくお願いします』と頭を下げるだけだった。
で、その夜、お爺ちゃんに報告をしたんだ。『陸上部に入ったよ』って・・・。」
「お爺ちゃん、何て?」
「にっこりと笑って、『そうか、兎も角頑張れ』って。」
「ただそれだけ?」
「ああ・・・、それだけだった。でもな、お父さんは嬉しかったんだ。」
「ん? ど、どうして? 長距離を走るの、嫌だったんでしょう?」
「お爺ちゃんが、その話を聞いたとき、にっこりと目を細めてくれたからだ。」
「・・・・・・。」
孝は、言葉が出なかった。やはり、自分の感性とはどこかが違ってると思った。
(つづく)