お風呂 with 皇女 ⇒アルテア、キレる
湯気で視界が白い。
オルドシュタイン公爵邸の女子浴場は、大きなホテルに備え付けられている大浴場かと錯覚するほどの規模感だ。そんな広い空間の隅、壁際に設けられた洗い場の椅子に腰掛け、私は一人で身を屈めていた。
「アルテア、背中を流しますわ」
「……結構です。自分でできますので」
「手紙にも書いたでしょう。三ヶ月振りに会うのです。お互いに背中を流すぐらい、構わないではないですか」
背中に柔らかな手が触れる。それから、背中に寄りかかってきた。同時に、柔らかく、滑々とした感触が、背中越しに押し当てられる。
密着した肌を通して、彼女の暖かな体温がじわじわと私の体に浸透してくる。
彼女は、スキンシップを好む。一緒に風呂に入りたがるし、手をつなぎたがる。それは、彼女の親しい人とのコミュニケーションだった。
視界に入らなくとも、背後から覆い被さるように伝わるその感触。
十六年、女として生きてきた。それでも裸の美少女に背後から密着されるという事態を冷静に受け流す図太さは、残念ながら持ち合わせていなかった。
だから、努めて冷静を装って、エレオノーラに言う。
「……では、約束通り、背中だけでお願いします」
「ええ、わかっています」
きめの細かい柔らかなタオルの感触と、なめらかな泡が背中を滑る。
最初は、本当に背中だけだった。密着したまま、肩甲骨から腰にかけて丁寧な手つきで洗っていく。割れ物でも扱うような、そんな手つき。
悪くない。そう気を緩めたのが間違いだった。
「アルテアの肌は本当に綺麗ですね。雪のように白くて、すべすべして……」
手が、わき腹へ滑った。
ぞわ、と背筋に変な感覚が走る。
「エレオノーラ。そこは背中では…」
「背中の延長線ですわ」
やはり彼女は、手紙の約束を守る気など微塵もなかったらしい。
背後から抱きすくめるように両腕が伸び、その手はさらに前へと回り込んでくる。脇腹から腰のくびれにかけて、柔らかな指が探るようになぞった。
「エレオノーラ、こういうスキンシップはやめてほしいと……」
「少しお痩せになったようでしたので、お体の具合を確かめているだけですよ。ちゃんと食べているのか、心配なのです」
体調を気遣っている。そういった主張の言い訳だったが、指先が時折かすめる位置は明らかに下心を感じる。私の抗議など意に介さず、彼女の手はゆっくりと下へ向かう。
腰骨のあたり。柔らかな指先が、下腹部から太ももの付け根の際どいラインを這うようになぞっていく。
「……ッ、そこは、ちょっと……」
「ええ、すいません、手が滑りました」
絶対ワザとだ。語尾にハートマークでもついていそうな媚びた声。
すぐ耳元で囁かれたその声は、風呂場の湿気以上にじっとりと濡れていた。鼓膜に直接まとわりつくような湿度の高い吐息に、思わず身震いしてしまう。
少し顔を向けると、間近に琥珀色の瞳が爛々と輝いていた。光の加減で金色に光るその目は、完全に逃げ場のない獲物を追い詰めるハンターのそれだった。
手紙にあった一文が頭をよぎる。
『理性は保っております。今のところは』
――どうやら、その「今のところ」の有効期限は既に切れていたらしい。
「……自分で洗います」
「いいえ、私が」
「自分で」
「私が」
抵抗はスイッチの入った皇女殿下の前では、無意味だった。
スキル『ファム・ファタール』。
効果:女にモテる。
モテたかった。前世の男だった頃は、確かにそう願った。
こんなはずじゃなかったのに。
「エレオノーラ」
「なんですか」
「手紙、覚えていますか」
「……手紙?」
「前にいただいた、あの手紙です」
「……覚えています」
「なんと書いてありましたか」
沈黙。
「……背中を、流すだけ、と」
「そうですね」
また沈黙。
「今、背中を洗っていましたか」
「……洗って、いました」
「本当に?」
長い沈黙。
「……洗って、いませんでした」
「そうですね」
アルテアは静かに立ち上がり、体の泡を流した。
エレオノーラが洗い場の椅子の上でしゅんとしている。
「お風呂、入りますか」
「……いいのですか」
「立ったままでは体が冷えます。それとも、ここで説教を聞きますか」
エレオノーラが素早く立ち上がった。
並んで湯に浸かった。
「改めて確認しますが」
「……はい」
「背中を流すだけ、でしたね」
「……はい」
「脇腹は背中ですか」
「……背中では、ありませんでした」
「腰は?」
「……背中では、ありませんでした」
「そうですね」
しばらく沈黙が続いた。
「次はありません」とアルテアは静かに言った。「わかりましたか」
「……はい」
「よろしい」
エレオノーラはしばらく湯を見つめていた。それからぽつりと言った。
「……ごめんなさい」
「わかればいいです」
たぶん私はエレオノーラに甘い。その自覚はある。おそらく、エレオノーラは今後も似たようなことをしてくるだろう。
しかし、もともとは私が悪い。私が、魅了なんてものを持って生まれてしまったから。彼女はこんな行動をとってしまうのである。だから、できる限り許そう。それが私ができることだった。
ふたりはしばらく並んで湯に浸かっていた。昔の、幼いころみたいに。




