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記録されない場所

その日、ユウは“空白”のことを考え続けていた。


教室の一番後ろ。


窓際から二列目。


そこには確かに机があった。


だが今は、何もない。


机も、椅子も、誰も座っていなかった痕跡すらない。


(……おかしい)


記憶を探る。


昨日、今日——


そこに誰かがいた記憶は、ない。


それなのに。


“何かが失われた”という感覚だけが、残っている。


「ねえ」


声がした。


振り向くと、あの少女がいた。


相変わらず、名前はない。


「まだ気にしてるの?」


「……気にするだろ」


ユウは即答した。


「人が一人、消えたんだぞ」


「違う」


彼女は淡々と言う。


「消えたんじゃない」


一歩、近づく。


「“いなかったことになった”の」


同じ言葉なのに、意味が違う。


それは説明ではなく、現象そのものだった。


「じゃあ……」


ユウは黒板を見る。


名前の列。


そこには最初から“穴”があるように見える。


「最初からいなかったなら、なんで——」


「違和感があるの?」


先回りされた。


「……ああ」


彼女は少しだけ考えるように目を伏せた。


「それはね」


静かに言う。


「あなたが“完全にはこの枝に固定されてない”から」


「……枝?」


「世界のこと」


あまりにもあっさりした答えだった。


「ここは、分岐の一つ」


窓の外を指す。


「外も、別の分岐」


そして自分の胸に触れる。


「あなたも」


意味が、追いつかない。


「観測してるでしょ」


「……何を」


「世界」


その一言で、会話が閉じる。



放課後。


ユウは教室に残った。


空白の席の前に立つ。


手を伸ばす。


何もない空間に、触れる。


——感触があった。


「……は?」


空気ではない。


確かに“何か”がそこにある。


だが見えない。


形も、色も、存在も認識できないのに、


触れているという事実だけがある。


「やっぱり来た」


背後から声。


振り返ると、少女が壁にもたれていた。


「見えないでしょ」


「ああ……でも、ある」


「それが“記録の残骸”」


彼女は言う。


「完全に消えたわけじゃないの」


一歩近づいて、その空間を覗き込む。


「名前が崩れたとき、世界は修正される」


「でもね」


指先を、何もない場所に滑らせる。


「完全には消えきらない」


ユウは息を呑む。


「じゃあ……戻せるのか?」


一瞬の沈黙。


彼女はゆっくりと首を振る。


「無理」


はっきりとした否定だった。


「戻そうとすれば、もっと壊れる」


「……どういう意味だよ」


「そのままの意味」


彼女は視線を逸らす。


「一つの誤字を直すと、文章全体が崩れるでしょ」


その例えは、妙に納得できた。


「この世界も同じ」


「じゃあ……」


ユウは言葉を探す。


「このまま放っておくしかないのか」


「ううん」


彼女は言う。


「“見に行く”ことはできる」


空気が、わずかに変わる。


「どこに」


彼女は、教室の床を指差した。


「下」



夜。


校舎は静まり返っていた。


ユウは、少女に連れられて廊下を歩いていた。


足音がやけに響く。


「本当に大丈夫なのかよ」


「大丈夫じゃないよ」


即答だった。


「だから面白いの」


軽く言う。


その感覚が、少し怖い。


階段を降りる。


さらに降りる。


見たことのない階層に入る。


「……地下なんてあったか?」


「ないよ」


「は?」


「少なくとも、普通の記録にはね」


意味がわからないまま、進む。


やがて。


ひとつの扉に辿り着いた。


古びた鉄の扉。


表面には、何かが刻まれている。


——文字だ。


だが読めない。


見ているはずなのに、


意味として認識できない。


「これが入口」


少女が言う。


「記憶遺跡」


ユウは扉に手をかける。


冷たい。


異様に冷たい。


「ねえ」


彼女が言う。


「ここから先は、戻れないかもしれない」


「……どういう意味だ」


「“元の世界に戻る”っていう前提が、崩れる」


静かな声だった。


だが重い。


「それでも行く?」


ユウは少しだけ考える。


だが、答えはすぐに出た。


「……もう、見ちまったからな」


空白を。


歪みを。


この世界の、ズレを。


「知らないままにはできない」


少女は、ほんの少しだけ笑った。


「いいね」


そして、扉に手を添える。


「じゃあ——開けるよ」


ギィ、と音がする。


扉が、ゆっくりと開く。


その向こうにあったのは——


“空間”ではなかった。


無数の文字。


無数の断片。


崩れた記録。


そして、理解できない何かが、


層になって重なっている。


それは、まるで——


「……本……?」


ユウが呟く。


「違う」


少女は即座に否定する。


「これは“偽書の断層”」


一歩、踏み込む。


「世界の書き損じが、積み重なった場所」


ユウの足が、内部に入る。


その瞬間。


頭の中に、声が流れ込んできた。


意味にならない言葉。


言葉にならない意味。


無数の記録が、同時に再生される。


知らないはずの記憶が、流れ込む。


「——ッ!」


膝が崩れる。


「気をつけて」


少女が肩を支える。


「ここでは、“読む”だけで侵食される」


息が荒くなる。


視界が揺れる。


それでも——


ユウは、見てしまった。


ひとつの断片。


そこには確かに——


“消えた生徒の名前”が、書かれていた。


だが次の瞬間、


その文字は崩れ、


別の何かへと書き換わる。


「……なんだよ、これ……」


震える声。


少女は静かに言う。


「これが、この世界の正体」


そして——


少しだけ、間を置いて。


「まだ、入口だけどね」

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