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ROBOT HEART・ロボットハート  作者: 猫乃 鈴
十二話・ハジマリ
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Act・1

【Act・1】


 ロボットに破壊された東西の国境の街には、今日も雨が降り続いていた。

 降り始めの頃、勢いの激しかったそれは今、シトシトと形容するほどの物にはなってはいたが、まだ時折、大きな粒となり地面を叩いている。


「ひゃあ、冷てぇ……」


 壊れた街を見て回っていたクナイは、また強く地面を叩き始めた雨粒に、崩れ残った建物の屋根に身を寄せた。

 すると、少し離れた所を傘も差さずに歩いて行く人影に気付いて、眉を寄せる。それは長いハシゴを肩に通すようにして担いだヒジリだった。


「博士ー」

「ああ、クナイ君。こんにちはー」


 声を掛ければ降りしきる雨の中で足を止め、相変わらず人の良さそうな顔でこちらに手を振ってくる。

 西に拘束されていたときに伸びた髪は、それを嫌がった娘に雑ではあるが短く刈られていた。不精髭も剃り落としたヒジリの見た目は若返ったのと同時に、更にどこか頼りなさそうな風貌になったようにクナイには感じられたが。


「雨ん中、何やってんだよー」

「あちらの建物が、酷く雨漏りをしているそうなのでー」

「風邪ひくぞー」

「私は怪我をしても病気はしたことがないんですー」


 本当かよ……


 返された言葉に呆れながら、クナイは雨宿りをしていた屋根の下から走り出るとヒジリの元へと行き、下がっていたハシゴの後ろを一緒になって肩の上に担いだ。

 ヒジリが軽くなったハシゴの重みに驚いたように振り返る。


「クナイ君、何してるんですか」

「手伝う」

「風邪ひきますよ?」

「俺も病気はしたことがないんだ」

「……本当ですか?」


 同じ台詞に対して自分は言わなかった疑う言葉を口にするヒジリを睨みながら、クナイは雨で滑るハシゴを担ぎ直すと後ろからぐいと押した。


「いいから。ほら、早くしろよ」

「は、はい」

「本当にあんたは何か作ってばっかりなんだな」

「え、ああ……はい。すみません」


 ロボット兵器が倒れてから今日で一週間になる。ヒジリはロボットが倒れた翌日から、雨の中こうしてずっと街の修復作業を続けていた。


「謝れって言ってんじゃなくて、博士も怪我してるだろうが。少し休んでた方がいいって言ってんだよ」

「でも、私はこうしている方が一番落ち着くもので……妻にも良く怒られましたけど」

「あんたの奥さんは、さぞかし大変だっただろうな」

「そうですね。彼女は機械とばかり向き合っていた私に、人の良さを沢山教えてくれた女性でした」




◆◆◆◆◆



 それは今みたいに雨の酷い日だった。

 もっとも、工房に篭りきりの青年ヒジリがそれに気づいたのは、来客を知らせるドアベル代わりのガラクタが鳴らす音を聞き、店先に出て客の姿を見た時だったが。

 客はまだ若い女性だった。女性というよりは少女と呼んでもいいくらいに見える。この辺りでは見かけない膝丈の清楚な紺色のワンピース姿。そのスカートからも、手に持つ閉じた傘からも雨水が絶えず滴り落ちて、床に大きな水溜りを作っていた。


「いらっしゃいませ……」


 いつものように客を出迎えたヒジリは、次の言葉を掛けられずにいた。その女性が泣いていたからだ。

 雨でぐしゃぐしゃの足元よりも、さらにぐしゃぐしゃに涙で濡らした顔をこちらへ向けた女性に、ヒジリは聞いた。


「あの……何か御用ですか」

「ここの店主の方は?」

「えっと店長なら今、出ていますが――」


 身寄りのない子供だったヒジリを引き取った、この町工場の店主である老人は気のいい人だった。しかし遊び歩くのが大好きで、しょっちゅう店にヒジリ一人を残して自分は外出してしまう困った人でもあった。おそらく今も、どこかで陽気な酒を吞んでいることだろう。

 ただ、機械いじりの仕事と住む場所を与えてくれるだけで満足のヒジリには、この工場は充分すぎる環境だった。

 東の国の隅に位置するこの地域はとても貧しくはあったが、戦時下でもまだ日常と呼べる日々を過ごす事ができていた。


「私、ここなら何でも作るって聞いて来たんですけど……」


 ぽろ、と新たな涙を零す女性に、ヒジリは慌てて店の奥へと駆け込むと大きなタオルを手に戻ってきた。


「あの、良ければこれを。あんまり綺麗じゃなくて悪いんですが、一応、洗濯はした後のものですから。あ、でも油臭いかもしれないんで顔は拭かない方がいいかも。……その前に、僕の手がまず汚かったです。ごめんなさい」


 申し訳なさそうにタオルを手にうろたえるヒジリの姿に、女性は可笑しそうに息を洩らした。見れば女性は目にまだ涙を溜めてはいるものの、確かにその顔には笑みが浮かんでいる。

 そして女性は涙で濡れた顔を少し恥ずかしそうに上げ、手を差し出した。


「ありがとうございます。お借りしてもいいですか?」

「はい、もちろんです」


 女性は受け取ったタオルに顔を埋めると、くすくすとまた笑う。


「本当……機械油の匂いがする」

「すみません……」

「ごめんなさい。嫌な匂いと言ってるわけじゃないんです。私、この匂い嫌いじゃないですよ」

「そう……ですか?」


 変わった女の人だなと思いながら、ヒジリは女性に来客用の椅子を勧めた。

 ガラクタだらけの店内のみすぼらしいその椅子は、いつもやってくる下層部の客とは違い、どこか身なりの良い女性には似つかわしくないように思えて、慌ててヒジリは自分の服の袖で椅子を拭く。


「それで、今日はどういった御用件で」

「え、でも店長さんはいらっしゃらないと」

「はい。僕もこう見えて機械技師なんです。もうここで何年も働いていて。良ければお話を聞かせてくれませんか」

「そうでしたか。それなら、あなたにお願いします」

「はい」


 女性は椅子に座ると、肩から掛けていた鞄から布に包まれた何かを大事そうに取り出した。


「時計……ですね」

「ええ」


 開いた布の中にあったのは腕時計だった。男性用とも女性用とも見えるデザインと大きさの自動巻き式。ずいぶん年代物のようだ。

 繊細な文字盤を囲う銀色のフレームには草花をモチーフにした文様が彫り込まれ、バンドの部分も革製ではなく金属でできていた。細かい節をいくつも繋げたそのベルトにも、節の一つひとつに見事な彫刻が施されていて、金属でありながら手首の曲線に合わせ滑らかに巻き付くようにできている。

 いつ頃に作られた物かは、こうして見ただけでは分からないが、とても良くできているし美しい。


「私、時計の価値は分かりませんが、これは亡くなった母から譲り受けた大切な物なんです。それなのに壊れてしまったようで……他のお店では、うちではもう直せないと言われてしまって」


 また泣きそうな顔をする女性に、本当にこの時計を大切にしていたのだと思う。


「少し、中を見させてもらってもいいですか?」

「はい。あの、良ければ側で見ていてもいいでしょうか。お邪魔はしませんので」

「ええ、もちろん」


 ヒジリは席を立つと、時計を持って奥の工房へと向かった。作業台の上に時計を置き明かりで照らすと、慎重に蓋を開け拡大鏡をつけた目で中を調べる。

 時計を前に黙ってしまったヒジリに、女性も固唾を吞んでその後ろに立ちヒジリの様子をじっと伺っていた。機械を前にしたヒジリは、先ほどまで女性を相手にうろたえていたのとは、まるで別人のようだった。

 しばらくして時計から顔を上げ、拡大鏡を外したヒジリは難しい顔で女性を見た。


「どう……ですか?」


 恐る恐る尋ねる女性に、ヒジリはまたも少し気弱そうな声色で問いかけた。


「あの……この時計、本当に直した方がいいでしょうか」

「え?」

「これがもし、本当に時を計るだけが目的の大量生産品ならば、僕もこんなことは考えなかったんですが、これはただ時間を見るだけの道具ではないと思うんです」


 包まれていた布ごと、手の上に乗せた時計を見下ろしヒジリはポツリポツリと話しだす。


「この時計は本当に素晴らしい出来です。当時これを作った方の技術と工夫、苦労や掛けた時間を感じます。だからこそ、また動いてほしいとも思うのですが、僕が手を加えることに躊躇ためらいも……感じるんです」

「躊躇い……ですか?」

「ガラス面についた傷はガラスを取り替えればなくなります。これに近い物をなんとか手配できそうです。ですが中の壊れた部品は今では手に入らないものだと思います……もう一度動かすには、仕組みも含めほとんどを新しく作り直し、入れ替えなければなりません。そうするとこの時計は、機能的にも見た目にも直った様に見えるかもしれません。でも中身はまるで違うものなんです」


 機械技師が客に対して話すには随分と感傷的な言葉の数々に、女性は静かに耳を傾けていた。


「あなたはこの時計を大事にしていた。壊れてしまったからといって、今まで大事にしてきた事実が変わることはないはずです」


 女性が泣きながら何とか直してほしいと持ってきたこの時計を、ヒジリは羨ましいと思った。これを作った技師に対しても。

 形あるものはいつか壊れる。しかし今まで自分が作った物には、いつか壊れた時、こんな風に涙してくれる人がいるのだろうか。何としてでも直したいと、こんなところまで直せる誰かを探して回ってくれるだろうか。


「この時計が壊れてしまったことは確かに残念なことかもしれません。ですが、この時計が作られ色々な人の手に渡って過ごした時間を大事だと思うのであれば、こうして動かなくなったことも、この時計が刻んだ思い出には……なりませんか?」

「そういう考えもあるんですね……私、考えた事もありませんでした。壊れてしまったことに慌てて、どうしても直さなければって。だって……そうでしょう?」

「もちろん、動かなくなった道具は道具ではなくなってしまいますから、動く時計が必要ということでしたら、僕はどんな手を使ってでも、この時計を動かしてみせます。そうすれば、この時計はまた人から人へと形を変えながらでも受け継がれて行く。永遠と呼べるようなそれに、僕も関わってみたいとは思います。でも……」


 少し渋るように顔をしかめたヒジリに、女性は不思議そうに首を傾げた。


「でも?」

「も、もしかしたら、この時計を作った人は、僕なんかに中をぐちゃぐちゃといじられるのは嫌だったりしないかなって」


 目の前にいるわけもない、その時計を作った技師に睨まれているかのように、どこか不安そうにヒジリは言った。


「結構、頑固者っぽい気がするんです。かなり複雑な作り方してますし。なんでわざわざ、こんな仕掛けになってるんだろうっていう部分もあって……」


 困ったように再び手の上の時計をまじまじと眺めるヒジリに、女性は穏やかに微笑むと椅子から立ち上がった。


「ごめんなさい、店員さん。その時計を直すことについて、もう少し考えてみてもいいでしょうか。父にも今のことを話してみます」

「はい。ぜひ、そうしてください」

「そうだ、私、名前をまだお伝えしていませんでしたね」


 ヒジリが両手で差し出し戻した時計を、受け取りながら女性は言った。


「私の名前、カナタといいます」


 これがヒジリと、やがて彼の妻になる女性カナタとの出会いだった。

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