最低な別れ2
「キャリーカーを頼んだの?」
「だって怪我してるんだから、可哀想だろ?」
また可哀想。
でも、彼女は本当に可哀想なの? 彼女が可哀想なら私は?
アリサの荷物は節約だからと自分で運ばせたくせに、エリカの荷物は業者に頼んだ事実に、目頭が熱くなる。
ミランがエリカに何気なく渡した茶葉だって、同棲のお祝いに一緒に飲むために奮発して購入した、とっておきの一品なのに。
「……ふざけないで」
「え?」
振り返ったミランの顔を、アリサは真っすぐに睨みつける。
彼のことが好きだった。
だから理不尽だと思うことも我慢してきた。
優しいから、仕方ないから、と言い訳してきた。
でも、もう自分を誤魔化せない。見て見ぬふりもしない。
アリサの心の底で削れて溜まった何かに火が点いた。
「私、この家には住めない」
「え? いきなり何言ってんだよ」
「エリカさんと住むのは嫌だって言ってるの」
はっきりと言い切ると、部屋の空気が一瞬で気まずいものとなる。
けれど、もう止まらなかった。
「ここは私とミランが二人で住む家として選んだ部屋なの。赤の他人と一緒に暮らすために必死で探したわけじゃない」
「ひ、ひどい……」
アリサの言葉にエリカが目元を押さえて震えだす。
「新しい部屋が見つかるまでの間、置いてくれるだけでいいのに……」
「エリカ、泣くなよ、可哀想に。新居が見つかる間だけなんだから、そんな酷いこと言わなくてもいいだろ、アリサ」
酷い、またそれだ。とアリサは薄く笑った。
エリカは可哀想で、アリサは酷い。
少しでも反発すれば、そう言われる。
今までなら我慢してきた。
でももうアリサは限界だったのだ。
「何が酷いの? 彼女は私の幼馴染じゃないし友達でもないわ。そんな人と一緒に住むなんて無理だって言ってるのが、そんなに酷いこと? それに新居っていつ見つかるの? 三日後? 一週間後? その間の家賃は折半してくれるの?」
「そんな……私、怪我してるのに……」
責めるような口調のアリサに、ウルウルと瞳を潤ませてエリカがミランを見上げる。
それがミランにおねだりをする時の彼女の常套手段であり、案の定、彼は眉尻を下げた。
「怪我してるのに家賃を払うのは無理だよな。エリカは気にせず怪我が治るまで、ここにいてくれていいよ」
「さすがミラン! やっぱりB級冒険者は報奨金いっぱいで羨ましいな~。この部屋の家賃だってミランが払うんでしょ? こんな高そうな部屋借りられるなんてすごいよね」
「え? うん、まあ」
褒められて嬉しいのか、照れたように頬を掻くミランに向かって、エリカが首を傾げる。
「あれ? でもそれならアリサさんが家賃に関してとやかく言う権利ないじゃない」
「そういえばそうか。アリサ、家賃は俺持ちなんだから、お前がとやかく言うのは間違ってるぞ。大人として恥ずかしい態度をとったんだから少し反省した方がいい。こんなに泣き腫らしてエリカが可哀想だろ。ほら、さっさと謝れば許してやるから」
「そうですよ~。私、とっても傷ついたけど、心が広いんでちゃんと謝れば許してあげますね」
アリサを諭したミランが、彼には見えないように歪んだ口角を上げたエリカの肩を抱く。
恋人のアリサではなく、ただの幼馴染だと言っているエリカの肩を。
その光景を見た瞬間、アリサの心の底で削れて燃え尽きた灰が霧散したような気がした。
「下手な泣き真似に騙されるバカな恋人なんて、もういらないわ。謝罪? するわけないじゃない」
静かに、でもはっきりと伝えると、ミランが顔を顰める。
「アリサ、今のはさすがに言いすぎだ」
「言いすぎ?」
嘲笑しそうになってしまい、アリサは鼻を鳴らす。
どっちが、と言いたかったが、もう全部どうでも良くなった。
「さっきも言ったけど、エリカさんと一緒に住むなら私は出て行く」
一呼吸置いて、アリサは言葉を重ねる。
「ミランとは別れるし、当然結婚もやめる」
「アリサ!?」
驚愕の声を挙げるミランを無視して、アリサは続ける。
「この部屋、初期費用払ったの私だよね。保証人だって私の親族に頼んだ」
言われたミランはバツが悪そうに瞳を逸らす。
「それでも俺の金だから文句言うな、なんて言われたら、価値観が違い過ぎてついていけない」
言いながらアリサは自分の荷物に手を伸ばす。
まだ最初の荷物を運びこんだばかりで良かった。
新居のために買いそろえた家具や雑貨は置いていくことになるが、こんな部屋に二度と来たくはない。
入居する前は、あんなに楽しみにしていたのに。
そう考えるとツンと鼻の奥が染みる。
それでも、泣いてなんかやらない。
泣いたら、大嫌いなエリカと同類になってしまう。
だから絶対に泣くもんか。
「さようなら」
吐き捨てるように言い捨てて後ろ手にドアを閉める。
ミランが慌てたようにこちらを見た気がしたが、アリサは外階段を一気に駆け降りると、自宅までの道を駆け抜けた。
自分の稼ぎで生活できるから家事をしてほしいとミランに言われたため、同棲を機に勤めていた商会を辞めてしまったから、アリサが帰る場所は自宅しかない。
息を弾ませながら走るアリサの頭の中では、先程までのやり取りが遠い出来事みたいにぼやけていく。
堪えていたはずの涙は不思議と出てこず、代わりにあるのは妙に静かな達成感と、それでも、もしかしたら自分を追ってきてくれるかも、という微かな期待。
丘の上にある自宅近くまで来てアリサは足を止めた。
ミランが追いかけてくる気配はなかった。
自嘲の笑みを浮かべて深呼吸をしたアリサは空を仰ぐ。
春だというのに、まだ雪が残る北の山脈から飛来した風花が舞い、地面に落ちて消える様を、ただじっと見つめていた。




