第二部 江戸編(百華繚乱篇) 幕前
惣右介とおねずは、その月の末に蓮臺のご城下を発った。もとより荷物など殆どなかったので、旅支度には手間取らなかった。留守宅については、いつものように今井堂に取り仕切りを頼むこととした。
だが、ひとつ…。
「そうちゅけどん、このぶらぶらとは、もう、おわかれなんだな」
募者町の家の裏で、おねずがぽつりと言った。
おねずにとって、このぶらぶらには思い出がいっぱいある。
「今年の秋の終わりにはまた、参勤交代に従って蓮臺に戻ってくる。また、乗れるさ」
惣右介は努めて明るく言った。
「そうか」
おねずは惣右介の顔を見上げて、安心したような顔を見せた。
(でも、そうちゅけどん、あっちのいのちはあと、にねんをきった…)
おねずは心の中で焦っていた。早く、神様を見つけて願いをかなえてもらわなければならない。それに…お伽様との大黒様の契約を何とかしなければならない。
(あっちには、むずかしいことがいっぱいだ。えどにいって、かみちゃまをさがす!)
おねずは心に強くそう決めて、江戸に出発した。
海沿いの道を歩く江戸濱街道は、蓮臺から江戸に向かって奥州道中を南下する。
三春様の所領・不言間から先の分かれ道を、大きく左の方角にまわって進んでいく。
これは海に続く道だ。泡熊川を渡り、左手に見えてくる海を、時に遠く、時に近くに見ながら歩く。奥州道中と違い、高い山がない。あっても緩やかな上り下りである。
海沿いに歩くせいか、真冬であっても心なし暖かく感じ、陽が明るい。
惣右介とおねずは海に来ていた。
冬の海。
低い空に眩しいお日様。
ごおごおと鳴り響く波と風の音だけ。
この世には惣右介とおねずしか、いないようだ。
世界は全て、ぴかぴかだった。
雀は波打ち際で、一斉に蛤になる。
雀が変化した蛤は、ごろごろと波に引き取られていく。
おねずは飽きもせず、それを見ていた。
「そうちゅけどん、あれ、すごいね」
おねずが感心して言う。
鴫は砂浜に足跡をつけながら、ちょんちょんと逃げてゆく。
それを波は追いかけ、足跡を消していく。
おねずは初めて見るものばかりで、はしゃいでいた。
「おーい、そうちゅけどん!うみって、すごいよ〜」
寒風で頬を真っ赤にしたおねずは振り向いて、惣右介に叫ぶ。
惣右介が何か言ったが、波風が激しく、声は掻き消されてしまう。
おねずには、惣右介が何を言ったかわからなかった。
「そうちゅけどん、なんていったの〜」
おねずは、波打ち際で再び叫ぶ。
惣右介は、ただただ微笑んでいた。
もう、それだけでおねずは嬉しかった。




