ルーンのために
夜になり、シオンたちが宿屋へ帰ってきた。
彼らはそのまま一階の食堂に足を運び、遅めの夕食を取る。
温かな灯りの下、料理の湯気がゆらゆらと立ちのぼっていた。
ただ、そこにルーンの姿はそこになかった。
彼女は部屋のベッドの上で、お腹を押さえながらぐったりと横になっている。
昼間の“特訓”の反動は、まだしっかりと尾を引いていた。
シオンたちの中にカケラの姿はない。
街へ入る直前、カケラは彼らと別れ、そのまま去っていったのだ。
「…んで、成果だが」
スプーンで掬ったリゾットを口に含み、ジェイクが鉱石の件を説明する。
話を聞き終えたガルシアは、パッと表情を明るくさせ、椅子から身を乗り出した。
「……じゃあオレ、やっと村に帰れるんだな!」
その声には隠しきれない安堵と喜びが滲んでいた。
「よかった。本当によかった!ありがとうな、兄ちゃんたち!」
体を揺らして頭を下げるガルシアに、シオンは短く頷くだけで応じる。
「………」
その賑やかな会話の最中、フィルの意識は別のところにあった。
彼の前にもジェイクたちと同様に湯気の立つリゾットが置かれているが、ほとんど手がついていない。
隣に座っていたシオンがそれに気付き、低く声をかけた。
「……食べないのか?」
フィルははっとして顔を上げ、シオンの方を見る。
「あ、いや、ごめん。食べる。食べるよ」
「………ルーンのことか」
「……、うん」
シオンの言葉に頷く。
そして、昼間にあった一件を、かいつまんで説明した。
「……いくら具合が悪くてもさ、軽く食べられそうなものは持っていった方がいいと思って。でも、何を持っていけばいいのか…」
眉尻を下げながら、フィルはスプーンでリゾットをひとすくいし、じっと見つめる。
その様子を見て、少しの沈黙のあとシオンは椅子を引いて立ち上がった。
「なら、店主に米が余ってないか聞いてこよう」
不意の提案に、フィルは首を傾げる。
シオンは淡々と続けた。
「あいつも、粥なら食えるかもしれないからな」
「かゆ……?」
粥とは、東の大陸で食べられている米料理のひとつだ。
主に風邪など、具合が悪くなった場合に、その人に食べさせる食べ物である。
その一言で、フィルの目がわずかに開かれた。
「(あ……)」
そうか。
おにぎりを食べられたルーンだ。
同じ米料理なら、粥も口に合う可能性は十分ある。
もちろん味付け次第ではあるが——。
「……うん、それがいいな」
フィルは小さく頷いた。
立ち上がり、ジェイクたちに一言伝えてから、彼はシオンと共に食堂を後にする。
ロビーにいた店主へ声をかけると、米なら少しだけ余っているという。
二人は厨房を借り、ルーンのために粥を作り始めた。
+
その頃。
ルーンは、夢を見ていた。
激しく吹き荒れる雪山。
視界のすべてが白に塗りつぶされた世界の中で、彼女はただ一人、そこに立っていた。
目の前には——
白く、強く光り輝く宝石。
吸い寄せられるように、ルーンは手をかざす。
すると。
『助けて。助けて』
という、微かな声が確かに聞こえた。
その声を聞くと、胸が締め付けられる。
ルーンはそっと宝石に寄り添い、優しく囁いた。
「大丈夫……。私が助けてあげるからね」
その瞬間、宝石の光が一段と強くなり、まるで抱き締めるように、白い光が彼女の体を包み込んだ。
——そこで、ルーンは目を覚ます。
「……ん……」
目の前には天井。
どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。
視線だけを動かすと、ベッドのそばにシオンとフィルの姿があった。
「あ、起きた?」
フィルがそっと顔を覗き込む。
ルーンはゆっくりと上体を起こし、お腹に手を当てた。
先ほどまでの重苦しさはなく、だいぶ落ち着いている。
同じくベッドで丸くなって眠っていたブルーテイルも、もぞりと体を起こし、「きゅう」と小さく鳴いた。
「体調、大丈夫?」
心配そうな声に、ルーンは口元をわずかに緩めて頷く。
そして、フィルの手元にあるものへ視線を向け、首を傾げた。
「それは?」
「ん、…ああ。ルーンに作ってきたんだ」
「私に…?」
フィルはそれを、そっと彼女の前に置く。
銀色のトレイ。
その上に乗った小さな鍋。
蓋を開けると、ふわりと湯気が立ちのぼり、優しい香りが鼻先を掠めた。
「これは?」
再び首を傾げるルーンに、フィルは穏やかに説明する。
「お粥だよ。具合が悪くなった時は、胃に負担をかけないように消化にいいものを食べるといいからさ」
「おかゆ……?」
説明を聞きながら、ルーンは眉をわずかにひそめ、じっと鍋の中を見つめた。
反応がない。
フィルの胸に、不安がよぎる。
「……もしかして、いらなかった?」
恐る恐る尋ねた瞬間、ルーンははっと顔を上げた。
「ち、違うわ。ごめんなさい」
慌てて首を振る。
その様子に、フィルは少しだけ安堵の息を漏らした。
「味の保証はする。君の口に合うかわからないけど」
眉尻を下げて笑う。
ルーンはしばらくフィルの顔を見つめ、それから鍋の中のスプーンを手に取った。
「…………」
粥を食べるのは、初めてだ。
ゆっくりとすくい上げ、口へ運ぶ。
――やわらかな米の感触。
優しい旨味と、ほんのりと醤油とスパイスの香りが口に広がる。
ごくり、と飲み込んだ次の瞬間。
ルーンの目が、はっきりと丸くなった。
「……おいしい」
小さな呟き。
顔を上げてフィルを見ると、彼は心底ほっとしたように、そして嬉しそうに笑った。
「よかった。不味いって言われたらどうしようかと……」
「きゅう」
ブルーテイルが顔を覗かせて、鼻をひくひくと動かす。
少し離れた場所で腕を組んでいたシオンは、そのやり取りを静かに見つめていた。
それから先、ルーンのスプーンは止まらなかった。
気づけば——
鍋の中身は、綺麗に空になっていた。




