苦手克服会2
シオンたちの帰りを待つ間、ルーンたちはそれぞれ思い思いの時間を過ごしていた。
宿屋で一夜を明かした翌朝。
まだ街の空気がほんのりと冷たい頃、フィラーラは朝食の席で目を輝かせながら宣言した。
「ルーン!特訓、再開する!」
「えっ、」
その言葉に、ルーンは嫌な予感しかしなかった。
案の定、彼女に腕を引かれ、気づけば街の広場まで連れてこられている。
「とうちゃーく」
「(二度とやらないって言ったのに……)」
広場の周囲には、ずらりと食べ物屋が並んでいた。
焼きたてのパンの香り、揚げ物の香ばしい匂い、甘味の砂糖の甘い気配——どれもが食欲をそそる。
少なくとも、フィラーラにとっては。
「はい!ルーン!」
弾む声とともに差し出されたのは、紙に包まれた揚げたてのコロッケだった。
湯気がふわりと立ちのぼり、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
だが、それを受け取ったルーンの眉は、見るからにひそめられていた。
「(……よりにもよって、揚げ物)」
無言の抗議など気にも留めず、フィラーラは近くのベンチに腰を下ろすと、自分の分のコロッケにかぶりつく。
「んんっ……!」
サクッ、と軽やかな音。
次の瞬間、彼女の顔がぱっと花開いた。
「おいしい!」
ほんのり甘い芋の味と、衣の香ばしさ。
初めての味にすっかり心を奪われ、フィラーラは夢中でパクパクと食べ進めていく。
隣でそれを見ていたルーンは、小さく息を吐いた。
「(……逃げられない、わよね)」
手の中のコロッケをしばらく睨んだあと、観念したように一口かじる。
――サク。
口の中に広がる油の感触。
「……」
フィラーラとは対照的に、ルーンの表情がわずかに歪んだ。
美味しい、とは言い難い。
正直に言えば苦手な部類だ。
「おいしいね!」
満面の笑みで覗き込まれ、ルーンは一瞬だけ言葉に詰まった。
正直な感想を言えば、きっとこの特訓はさらに長引く。
そう思うと、軽く首を縦に振ることしかできなかった。
「……うん。そうね」
感情の薄い声でそう返し、ルーンは無表情のままコロッケを口へ運び続ける。
――最初は不味くても、食べ続けていくうちにだんだんと美味しく感じてくるよ。
フィルにそう言われた言葉が、ふと頭をよぎった。
「(本当かな……)」
半信半疑ではあったが、彼の言葉は疑いたくない。
ルーンは小さく覚悟を決め、黙々と食べ進めた。
やがて、最後の一口を飲み込み、紙袋の中身が空になる。
「(……やっと終わった)」
ホッと息を吐いた、
その瞬間だった。
「よしっ」
勢いよく立ち上がったフィラーラが、きらきらとした目で次の屋台の方を見つめる。
嫌な予感がした。
「……まさか、まだ食べるの?」
ルーンはそっと自分のお腹に手を当てながら問いかける。
返ってきたのは、迷いの欠片もない笑顔だった。
「もちろん!」
言うが早いか、フィラーラはくるりと背を向け、次の店へ向かって軽やかに走り出す。
「……………」
その小さな背中を見送りながら、ルーンは深く、深くため息を吐いた。
「(……私の胃、大丈夫かしら)」
広場には、まだまだ美味しそうな匂いが満ちていた。
+
そのあとも、フィラーラの勢いは止まらなかった。
「次、これ!」
「これ、美味しそう!」
楽しげな声とともに、彼女は広場の屋台を渡り歩き、次々と食べ物を買ってくる。
そして当然のように、その半分以上がルーンの手元へ渡された。
コロッケのあとに
サンドウィッチ。
ホットドッグ。
焼きそばパン。
その他、名前も分からない総菜類。
気づけば、ルーンの胃は限界寸前だった。
やがて広場から離れ、しばらく歩いた先にある小さな時計塔の近く。
人気の少ない場所に置かれたベンチに、ルーンはぐったりと横になっていた。
「……うぅ……」
喉の奥から低い唸り声が漏れる。
込み上げてくるものを必死に押さえ込みながら、彼女は片手でお腹を抱えた。
フィラーラの姿は、今はそばにない。
新たな食べ物を求めて、時計塔の周囲をあちこち歩き回っている最中だった。
「(……これ、いつまで続くのかしら)」
半分だけ目を閉じながら、ルーンはぼんやりと思う。
視線だけを動かして時計塔を見上げると、時刻はまだお昼前。
その事実に、彼女の眉間のしわがさらに深くなった。
「(どうせ食べるのなら、シオンの握ったおにぎりが食べたいわ……)」
具は何でもいい。
あの素朴な味なら、今の自分でも受け付けそうな気がする。
具はなく、塩を振りかけたものでもいい。
「!」
そんなことを考えていると、ぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。
「ルーン!デザート!」
弾んだ声とともに現れたフィラーラの両手には、赤と白の可愛らしい紙に包まれた食べ物が握られていた。
差し出されたそれを見た瞬間、ルーンの表情がわずかに引きつる。
それは、クレープだった。
薄い生地の中に、たっぷりの生クリーム。
その上から、これでもかとかけられたチョコソース。
食べなくてもわかる。これは、どう見てもとても甘い。
ルーンはゆっくりと身を起こし、心底嫌そうな顔のままクレープを受け取った。
「やっぱり食後には甘い物!」
満足げに言いながら、フィラーラは隣に腰を下ろし、自分のクレープにかぶりつく。
頬をゆるませ、本当に幸せそうな顔をした。
その様子をじっと見つめて、ルーンは小さく呟く。
「……私、貴女のこと嫌いになりそうだわ」
もちろん本気ではない。
だが、半分くらいは本音だった。
「…………」
観念したように、彼女もクレープをひとくち。
次の瞬間——
「……っ」
甘ったるい味が口いっぱいに広がり、ルーンの顔がはっきりと歪んだ。
「(……甘い……)」
頭の奥で、あの言葉がよみがえる。
――最初は不味くても、食べ続けていくうちにだんだんと美味しく感じてくるよ。
「(……美味しくなる……美味しくなる……)」
まるで自己暗示のように心の中でその言葉を復唱しながら、ルーンは無表情を装ってクレープを食べ進めた。
+
宿屋へ戻ってきた頃には、ルーンの足取りは明らかに重くなっていた。
入口付近に差しかかったところで、ちょうどフィルとガルシアに出くわす。
「あ、ルーン——」
声をかけられ、ルーンはゆっくりと顔を上げた。
「……フィル、ただいま」
返事は掠れて、小さい。
その顔色を見た瞬間、フィルの表情が変わった。
「顔、青いけど大丈夫?」
心配そうに覗き込まれ、ルーンは力なく首を横に振る。
言葉を出す余裕もない。
フィルはすぐに視線をフィラーラへ向けた。
「……何、食べさせたんだ?」
問われたフィラーラは、きょとんとしたあと、指を折り始める。
「えっとね、まずコロッケ、次にサンドウィッチ、ホットドッグ、焼きそばパン、クレープ、あと——」
食べた順に指折り数えながら、楽しそうに続けていくフィラーラ。
その内容を聞くにつれてフィルの目がみるみる丸くなり、表情が強張った。
立っていられなくなったルーンは、お腹を押さえてその場で小さくうずくまる。
「……うぅ…」
今にも限界が来そうだった。
その様子を横から見ていたガルシアが、ぽつりと呟く。
「……それはオレでもそうなるな」
それは、妙に実感のこもった声だった。




