お願い
翌朝。
桜の花びらが風に乗って舞う中、ルーンは桃華たちとともに学び舎へ向かう。
門前へ到着すると、桃華たちはそれぞれ別の校舎へ向かうため、そこで別れた。
「じゃあ放課後にね、ルーンさん」
「迷子になるなよー」
桃華は笑いながら、依千蔵はひらひらと手を振りながら歩いていく。
「……もう迷わないわよ」
小さく返し、ルーンは自分の教室へ向かった。
廊下を歩き、扉を開けると、すぐに明るい声が飛んでくる。
「おはよう、ルーンちゃん!」
マキノだった。
茶色の髪を揺らしながら、彼女は嬉しそうに駆け寄ってくる。
その勢いにルーンは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに小さく息を吐き、
「……おはよう」
と、控えめに返事をした。
そのまま席へ向かうと、マキノも当然のようについてくる。
「ねぇねぇ、ルーンちゃん。今日はこのあとすぐ体育だよ」
「たい、いく……?」
聞き慣れない単語にルーンが首を傾げる。
「…あっ、そっか!ルーンちゃん、今日が体育初めてだもんね。ごめんごめん」
マキノは慌てたように両手を振った。
「ええとね、体育っていうのは……体を動かして健康になりましょうー!みたいな授業!」
そこまで言ってから、彼女は急激に肩を落とした。
「……まあ、私にとっては地獄の授業なんだけど」
「地獄」
「走るの苦手だし、すぐ転ぶし、筋肉痛になるし……」
どんどん元気を失っていくマキノを見て、ルーンは少し困ったように口元を緩める。
「ルーンちゃんは?体動かすの得意?」
「え?」
突然聞かれ、ルーンは少し考え込んだ。
「……そうね。あまり不得意ではないわ」
その返事を聞いた瞬間、マキノは今にも泣き出しそうな顔になった。
「うえぇ、羨ましいぃ……」
「そ、そんな顔をしなくても……」
どう返せばいいのか分からず、ルーンは視線を彷徨わせる。
そのとき。ガラリ、と扉が開く音が響いた。
「みなさん、席についてください。時間ですよ」
教室内にいた生徒たちが一斉に動き出す。
ルーンも席へ戻り、教壇へ視線を向けた。
そこに立っていたのは、水色の髪に丸眼鏡を掛けた男性だった。
柔らかな雰囲気を纏ったその人物は、この教室の担任教師・ケイン。
「みなさん、おはようございます。本日も元気よく勉学に励んでいきましょう」
穏やかな口調で挨拶をしながら、彼は手に持っていた黒表紙の冊子を開く。
「……ええと、今日の授業は」
ぱらり、とページをめくる。
「ああ、そうそう。体育ですね」
そう言って顔を上げると、教室全体を見渡した。
「ではみなさん。準備を済ませたら移動を開始してください。十分後に外でお会いしましょう」
そのあと、ふと思い出したようにルーンへ視線を向ける。
「……あ、ルーンさん」
「!」
「ルーンさんは、このあと私とともに来てください。お渡しするものがありますので」
そう告げると、ケインは黒表紙を閉じ、そのまま教室を出ていった。
同時に、教室中が一気に騒がしくなる。
ガタガタと椅子を引く音。生徒たちの話し声。
ルーンも席を立ちながら周囲を見渡した。
そこで、生徒たちの多くが四角い小型の端末を手にしていることに気づく。
赤、白、青、黒。
色も大きさも様々なそれは、どこか学生証に近い雰囲気を持っていた。
「……?」
不思議に思いながら廊下へ出ると、ケインが待っていた。
「ルーンさんに、これを」
にこりと微笑みながら、彼は黒表紙と一緒に手にしていた何かを彼女に差し出す。
それは、先ほど生徒たちが持っていたものと同じ、小さな黒い端末だった。
ルーンはそれを受け取り、じっと見つめる。
「これは?」
「このあとの授業で使用する記録端末です」
ケインは丁寧に説明した。
「そこへ必要なデータを入力すれば、その人に合ったカリキュラムが表示されます。運動は生徒によって得意不得意がありますからね」
「……かりきゅらむ」
聞き慣れない単語がまた増えた。
「操作方法は端末が教えてくれますので、ご安心を」
「端末が?」
ルーンが首を傾げた、その瞬間。
真っ黒だった画面に、ぽつ、ぽつ、ぽつ、と三つの点が浮かび上がる。
そして。
「はじめまして」
「!?」
突然、端末が声を発した。
ルーンの肩がびくりと跳ねる。
「私はスマートと言います。本日から私は、貴女のためのスマートです。よろしくお願いいたします」
機械的な声ではあるが、不思議と柔らかい口調だった。
端末の画面には、にこにこと笑う顔文字のようなものが表示されている。
ルーンは思わず端末を少し遠ざけた。
「……何これ」
「名前と性別を入力してください」
画面が切り替わり、文字入力欄が表示される。
ルーンは眉をひそめながら、その画面を見つめた。
そんな彼女へ、ケインが再び口を開く。
「それで、本日は貴女にお願いがあります」
「お願い?」
「はい。本来なら今日は走力試験の予定だったのですが……それを変更して、ルーンさんに魔法を見せていただけないかと思いまして」
「魔法を?」
「はい」
ケインは穏やかに頷く。
「ダークエルフは魔法に長けた種族だと聞いています。私の教室の子供たちは魔法に強い興味を持っていましてね」
丸眼鏡の奥で、彼の目が静かに細められる。
「ルーンさんさえ良ければ、是非」
ルーンは無言でケインの顔を見つめた。
変わらない柔らかな笑み。
「…………」
ふと視線を落とすと、端末の画面でも、にこにことした顔がこちらを見上げていた。




