86話 恐怖のシンボル
一階、炎上する大広間。
マダム紅の復活を境に新手の部下たちが大量に部屋へとなだれ込み、状況は一挙に乱戦へと突入している。
「押し潰してやりなさい」
蘇ると同時に40歳ほどの姿に若返ったマダム紅は、熟練の舞台女優のようによく通る声で部下たちへと指示を下した。
マダムの死からの再生を見て勢い付いたか、血の門の構成員たちは死を恐れない目をして俺たちに襲いかかってくる。
それを受けて、アブラは凱の部下の一人に運ばせていた大きめのアタッシュケースを勢いよく開く。
中に入っていたのは気体ボンベと黒くドロドロした何かが詰まったいくつかのガラス容器だ。アブラはガラス容器を踏み割って中身を床にぶちまけると、ボンベを全開にして中に詰めてあった大量の瘴気を解き放った。
俺は突然ぶちまけられた瘴気に慌てつつ、アブラへと声をかける。
「瘴気モンスターか!」
「ガハハハ! 今日はお前は襲われねえから安心しろ!」
ゲタゲタと笑い声を上げながら両手を広げるアブラ。その仕草に従って、立ち込めたモヤが床に広がった黒い液体へと集まって混ざり合った。
ガラス瓶の中に入っていた黒い液体、あれはなんだ?
「おうアリヤ、俺と戦ったお前ならわかるだろうが、俺は瘴気モンスターの扱いは上手くねえ!」
「そうなのか? 言われてみれば雑魚みたいなのが多かったかな」
「おお、プログラムした通りの馬鹿正直に突っ込んでく雑魚を作るので精一杯よ。モンスターテイムの専門は別にいる。だが!」
アブラは高らかな声と共に、瘴気と黒い液体が混ざり合ったものに火炎の塊を投げ込んだ。
黒い液体がボウッと着火。三体に分かれた黒泥がゆっくりと立ち上がり、燃え盛る兵士へと変貌する!
「コールタールに砂利と泥、そこに炎を練り上げた魔力核をブチ込んでやれば、極上の炎上ゴーレムの完成だァ! ハッハ! 瘴気で無機兵造るのは得意なんだよ俺はよォ!」
ガソリンスタンドの臭気を何倍にも濃縮したような、むせ返るような不快臭が部屋に満ちる。
アブラの炎上ゴーレムたちが泥の質感で燃える腕を振るうと、見境なく突進してきていた血の門構成員たちが燃える泥の飛沫を浴びて悲鳴を上げる。
なにせべとつくコールタール製の体だ。付着すれば簡単には落とせないし炎も消えない。殺傷力の塊みたいな存在だ。
「ハイスペックだよね、アブラ氏。大火力を撃てる上に、ああやって前衛を作り出して自分を守ることもできる。魔力リソースを上手く割いてシナジーを生んでるんだ。グッドだよね」
物陰に隠れているリズムが口を開いた。
戦闘が専門外だから隠れているのは別にいいけど、そのくせティータイムでも始めそうなぐらいに落ち着きを保ちまくっている。マイペースにも程があるだろ。
「アブラ氏は稀代のゴーレムメーカーさ。およそまともな魔力の存在しない礎世界で、植物の中からごくごく少量の魔力を抽出して人形を踊らせて見せたそうだよ」
「礎世界で魔法を? そんなことできるのか」
「僕も何人かとは顔を合わせたけど、七面會はそういう人材ばかり。ンー、僕にマネジメントさせてくれないかな……彼ら、もっとブラッシュアップできると思うんだけど」
リズムの妄言は放っておくとして、思い起こしてみれば学園襲撃の時の炎機人もゴーレムみたいなものだった。
一見すると荒っぽくて考えの浅い成金に見えるアブラだが、バカスカ炎を撃つだけの馬鹿じゃなく搦手も使えるのだ。
ただ真っ向から突っ込むような戦術だけじゃ強くなれないってことか。
「ハハハハ!! 燃えろ燃えろ!! ここがパンドラのソドムとゴモラだぜ!!」
爆笑しながら火炎を放つアブラを横目に見つつ、俺は気持ちを切り替える。
敵の数が多い。マダムの正体もわからない。いくらアブラが強くたって一人で勝つのは無理だ。自分の中の力を高めていけ。
コールタールの焼ける異臭を意識から逸らしながら、俺はすうっと長く深呼吸をする。
ここまでの戦いで、この部屋では既に大量の血が流れた。それがアブラの火炎に焼かれて蒸発して、空気にたっぷりと血の気が含まれている。
深呼吸と共に血の残滓が体内へと取り込まれて、全身の隅々にまで魔素が浸潤していく。
盤石に整備された機械のように体内の魔力が潤滑し始める。
正確にイメージしろ。俺が効率よく敵を倒すにはどうすればいいか。
俺にエクセリアほど自由な想像力はない。七面會のような魔法の基礎もない。だったら?
「相手の力を削げばいい」
武装鮮血。俺は全身の血管に意識を広げて、毛細血管を破って体表に血を滲ませる。
学園で暴走してしまった時ほど大袈裟にではなく、必要最低限の血液で作った赤黒い鎧で体を覆う。
血茨。血の有刺鉄線を硬く束ねて、背骨沿いにベキバキと血の触手を形成する。
蜘蛛足のイメージだ。見た目はできるだけおどろおどろしく忌まわしく、格好良さは削いで恐ろしさを身に纏え。
想像力でも知性でも、俺はきっと凡人の域だと思う。
ならデバフだ。自分の強さだけを追い求めるんじゃなく、相手をビビらせて想像力を妨害してやれ。
きっと禍々しく変貌した俺の姿を見て、アブラの炎上ゴーレムをかい潜って迫ってきた構成員たちが息を飲んだ。
「恶魔!?」
「这个是什么啊!」
「杀了! 杀了!」
パンドラの大気のおかげで意味は翻訳されて伝わってくるが、喋っているのはたぶん中国語だろう。
聞こえてくる音のニュアンスと息遣いからは彼らの動揺が伝わってくる。
もちろん敵も棒立ちじゃない。俺が魔法の再構築を試みる間もひっきりなしに銃弾が飛んできているが、大丈夫だ。着込んだ鎧と持ち前の耐久力でまだ耐えられる。
もう一押し。俺は懐から血のフィルムケースを取り出して、開封しながらイメージする。
シエナとの訓練で身のこなしは身に付いたけど、武器の扱いに関しちゃ俺はどうせ素人だ。
何年も訓練を積んできた連中に付け焼き刃で対抗しようとしたって無理がある。
だったら恐怖に特化しろ。どんな勇敢な相手だろうが達人だろうが一撃掠めれば命を狩られるって恐怖を抱かせる、死の象徴みたいな武器を持て。
大鎌? いや、流石に扱いにくそうだ。なら……これでどうだ。
「『血杭の斧』」
数本のフィルムケースを開けて、溢れた血を固めて柄を、刃を、血の滴る両刃の大斧を創り出した。
赤黒い鎧、背から生やした八本の茨腕、そして鮮血の大斧。おお、結構いいんじゃないか? 怖いんじゃないかこれは。特に大斧は我ながらなかなかシンボリックな出来栄えだ!
俺が密かにテンションを上げていると、数人の構成員たちが息を合わせて一斉に飛びかかってきた。
「去死吧!!」
「そっちがな」
右から三人、左から二人。
背から伸ばした血茨を束ねて、右からの三人をまとめて刺し貫く。
今さら敵殺しは躊躇しない。絶命させた相手をぶら下げたまま、直刀を持って左から突進してきた男へと視線を移す。
大斧を振りかぶって、力任せの横薙ぎで叩きつけてやる。相手は直刀の刃を合わせてそれを受けようとしたが、そりゃ失敗だ。
重く鋭く作られた血の斧は、刀ごと相手の体を叩き割る!
五人目、一歩踏みとどまって様子を窺っていた男が青龍刀を構えて突きかかってきた。鋭い突きだ。血の鎧が削られて、湾曲した刃が俺の脇腹をずぶりと抉る。
が、これで間合いも詰まった。空いている左腕を相手の顔に近付けて、俺はゆっくりと口を開く。
「『武装鮮血・顎門』」
「ぎゃあっ!!」
左腕を覆った血の鎧がぐぱりと開いて、大顎を開けた血の牙へと変貌。
それが勢いよく閉じれば、体がバツンと千切れて敵が絶命する。
これで五人。次はどいつだ?
貫いて持ち上げたままの三人の死体から、有刺鉄線を伝って新鮮な血液が流れてくる。
俺はそれを掌ですくって、口からゴクリと飲み干した。力が漲る。新たな魔力が供給される。
「結構、いい感じじゃないか」
口元を赤く染めた俺を見て、敵が慄然と身を硬くするのが見えた。
俺に殺されるイメージを抱け。想像力を阻害されろ。魔素とイメージを結合させて身体能力を向上させるこの世界では、イメージの欠落が死に繋がるんだ。
刺して持ち上げていた死体を投げ捨てて、大斧を構え直した俺に目を向けて、マダム紅がおかしむように眼光を細めた。
「随分と染まってきたようだねえ、藤間或也」
「マダム紅。俺と話をしたがってたみたいだけど、一体どういう要件で?」
「話というより、一度確認しておきたくてね。礎世界からこぼれ落ちたイレギュラーの顔を」
「イレギュラー? ……凱士安は、あんたは突然現れたって言ってた。あんたも転移者なのか?」
「どうだろうね? 知りたければ私を追い詰めてみることだ。藤間或也」
元から素直に教えてくれるとは思っていない。
マダムの横には秀英が控えている。一筋縄では行かないだろうが……やるしかない。
意を決して、俺はマダム紅へと挑みかかる。




