76話 予期せぬ再会
傘をさしたエクセリアが、ぴょんと上機嫌で水たまりを飛び越える。
「滑って転ぶなよ」と声をかけるが、彼女はお構いなしでくるくると傘を回して楽しげだ。
「ふふーん、夜に出かけるのは楽しいものだな! 記憶をなくす前もあんまりこんな時間に出かけたことはなかった気がする!」
「早寝だもんな、エクセリアは。記憶はどう? ちょっとは戻ったりしてる?」
「全然!」
「そっかあ」
思い出せないものは仕方ない。そもそも記憶喪失の治療なんてきっと医者でも手を焼くだろう。急かすものでもないさ。
結局、俺は凱士安の店へもう一度赴いてみることにした。
あんなクレイジー暴力おじさんとは極力関わり合いになりたくはないのだが……と、エクセリアが立ち止まって俺に尋ねる。
「アリヤ、なんでさっきの店に行くことにしたんだ?」
「まあ道がわかってるから絶対迷わないってのが一つと」
「一つと?」
「エクセリア、あそこの料理食べたがってただろ? 実は俺も気になってたんだ。さっきは話を聞いただけで出ちゃったからさ、なんかちょっとだけ食べてみよう」
「へへへ、いいぞアリヤ、悪くない選択だ!」
駆け寄ってきたエクセリアは、ニコニコ笑いながらしきりに俺の肩を殴ってくる。痛いよ、なんなんだ。
散歩といっても宿から店までの道はほんの数分。直行ではあんまりに味気ないので、道中にある店を窓越しに眺めたりしながらゆっくり進んでいく。
その途中、五番街の簡易な地図が描かれた掲示板を見ながらエクセリアが問いかけてきた。
「アリヤ、どこに行くか迷ったりしなかったのか? 他にも見るところありそうだけど」
「飲み屋街の方は一番活気がありそうだから頭には浮かんだな。あとこの……展望台かな? ここはかなり気になったけど、雨だからやめといたよ。あとは適当にぶらつくかなってぐらいだな」
「ふーん。私は飲み屋街は好かん。酔っ払いはうるさくて嫌いだ。展望台は確かに気になるけど、店に食べに行くのは悪くない選択だな! ふふふ」
未成年のエクセリアは酒も飲めないし、飲み屋街に行ってたら怒らせちゃうところだったな。さっきは妙に苛立っているようだったから、早々に機嫌を治してもらえてよかった。
そんなことを考えながら歩いていると、凱の店が見えてきた。
さっき店を出る前に壁にあったメニュー表をざっと眺めてみたが、水餃子、揚げ鷄のネギソース、牛肉麺と食指の動くラインナップだった。
人気がある店なのかはよくわからなかったが、単純にこの自治区の地元料理が気になる。たぶん本格派の中華なんだろう。
腹が減っているわけじゃないのでこんな時間にたくさん頼めはしないが、軽めの点心みたいなのを一つと麺料理を一つ頼んでエクセリアとシェアするのも悪くない…………なんて俺の算段を、降ろされたシャッターが見事に打ち砕く。
「えっ閉まってる!? なんでだ!? まだ10時にもなってないのに!!」
「えー」
エクセリアが心底残念そうにうなだれる。
期待を持たせるだけ持たせてがっかりさせるなんて可哀想なことをしてしまった。店の名前は知ってたんだから営業時間を調べとくべきだったか。
それにしても閉店が早いな。他の店を探して適当に入ってみるか?
そんなことを考えていると、護衛と監視を兼ねてずっと付いてきていた凱の部下の若者が口を開く。
「なんだ、士安飯店に来たかったんですか。父は早寝早起きですから、9時過ぎにはいつも店を閉めてますよ」
「ええ、そうなのか。っていうか父だって? 血の門マフィアは自分のとこの上司を父って呼ぶとか?」
「いやいや、言葉通りに父です。凱士安の息子なんですよ、僕。凱秀英って言います」
「息子だって?」
改めて、俺は彼の背格好をよく見直す。
年齢は俺と同じくらいだろうか。背丈は俺より少し低いので170センチ台前半か。
レンズが丸くて小さい黒眼鏡を掛けていて表情が見えにくいが、よく見れば確かに凱士安っぽい。人畜無害ぶってニコニコと細めた目が一番似ているポイントかもしれない。こいつも暴力的なのか? 怖え。
そんな俺の怯えが態度か表情に出ていたのか、彼は慌てたようにブンブンと手を振った。
「あ、僕は父と違って穏健派ですからね? 商売敵の顔の皮を剥いで親に送りつけるとか抗争相手の親族を一日一人ずつ事故死させていくとか、ああいう父のやり方は前時代的だと思ってるクチなんで」
(そんなことするのかあの暴力おじさん……)
「嫌なんですよねえ、血生臭いの。もっとこうジャンケンとかクイズ大会とかで決められないんですかね、色々と」
まあ口にする言葉を素直に受け取るなら、息子の秀英は苛烈な父と比べて穏やかな人柄に思える。
ただ護衛に付けられるぐらいだ。きっと腕は立つのだろう。ひらりと裾が長いタイプの白い功夫服を着ていて、長身ではないが背筋がすらりと伸びている。これは体幹を鍛えている人間の立ち姿だ。
性格も本当のところはわからないし、あんまり刺激せずにいたいな。
その時、シャッターの前で一人の男が無念そうな呻き声を漏らした。
「何っ、閉まっているだと……?」
ああ、早めの閉店の被害にあった人がもう一人いた。
ガイド本閉じたシャッターを見比べているようだけど、そんな本に載るぐらいには人気のある店だったのか。客が少なかったのはいつもならもう閉まっている時間だったからかだろうか。
ともあれ、いくらガッカリしようが閉まってしまったものは仕方がない。俺はエクセリアと別の店に移動しようとするが、そこで不意にシャッター前の男の顔が見えた。
金髪碧眼、絵画のように美しい顔立ち。俺はこの男を知っている。
「ブリークハイド!?」
「……貴様、藤間或也か」
星影騎士団の深層六騎。燃さんと同じ役職の同僚の男。
驚いたのはこちらだけではないらしい。目を丸くして俺を凝視してから、隣のエクセリアへと視線を滑らせる。
思い出されるのは転移初日、エクセリアを助け出した直後の交戦だ。
カラスとブリークハイドがエクセリアをめぐって揉めていたのを俺が横からかっさらった形だが、その時俺はこいつにボコボコにされた。再生体質に目覚めてなければきっとあのまま死んでいた。
そんなわけで俺はこの男にまるでいい印象がないのだが、それはそれとして。
「あんた、なんでここにいるんだ」
俺の問いかけに、ブリークハイドは手に持っていた観光ガイドをすっと背中に隠して俺を睨み据える。
「貴様如きでは理解の及ばない崇高な任務だ」
「観光ガイドのグルメページを開いてたくせに?」
「これは……これは違う。それよりだ! 貴様こそ何故こんな場所にいる。何故こんな危険な場所に姫様を連れてきている? 返答によってはただではおかないが……」
「はあぁ? おいおい、あんた何様だよ。エクセリアをあんな酷い目に遭わせといて騎士気取りか? 言っとくけどな、前の俺とはまるで違うぞ。別人だ。喧嘩するってんなら……」
「待てアリヤ」
血気を逸らせる俺の腕を、横からエクセリアがぐっと掴んだ。
俺と入れ替わりに前に出ると、彼女は厳しい目つきでブリークハイドへと指を突きつける。
「ちょっとだけ思い出したぞ。お前が私に変な術を使ったせいで、私はいろんなことを思い出せなくなったのだ! お前は嫌いだ!」
「……!?」
俺は息を飲む。ちょっとだけ思い出しただって?
ブリークハイドに記憶を封じられたあの時のことをエクセリアと話した覚えはない。
彼女は誰に教えられたわけでもなく記憶を呼び戻したのだ。ほんの少しだけど、記憶の封印が解けているのか?
その驚きはブリークハイドも同様のようで、端正な眼差しを刃のように細めた。
「姫様。ご記憶が戻られたのですか」
ピリついた空気が漂う。もしエクセリアの記憶が戻ったとしたら、こいつはどう出るつもりだ?
出方によってはこの場で戦ってでも……と、俺たちのやりとりを横で眺めていた凱秀英が間延びした声で口を挟んだ。
「あ、そうだ。皆さんせっかく来てくれたんだしなんか食べていきません? 店はもう閉じたけど、簡単なメニューでしたら出せますけど」
「……今のタイミングで言うかな、それ」
毒気を抜かれた俺は、身構えた手を下ろしながら秀英を見る。
ブリークハイドも同様に臨戦態勢を解いている。少なくとも今すぐやりあう気ではなくなったみたいだ。
「食べたい!」と手を上げるエクセリアの要望に応えて、秀英はクイクイと手招きをする。
「じゃ、来てください。こっちに勝手口があるんで、そこから入りましょう」
・現在の好感度
エクセリア 35+5
燃 40
シエナ 30
ユーリカ 15
エヴァン 15
イリス 5
バーガンディ 10
キョウノ(ドクロ) 15
ドミニコ(アブラ)10




