73話 士安飯店
四車線の大道路を車が埋めて、けたたましく鳴りわめくクラクション。
夜の中にギラギラと並ぶヘッドライトの光を、降り始めた雨が滲ませている。
血の門自治区の街並みは現代中国然とした雰囲気だが、経済システムは完全な資本主義だ。
繁華街の頭上には大量のネオン看板が迫り出していて、きらびやかに彩られた様々な中国語が縦横にびっしりと空を覆っている。
リズムが車を停めたのは、そんな盛り場の片隅にある駐車場だ。
看板に料金表示を見た俺は、思わずそれを復唱してしまう。
「一時間4000クレジット!? ぼったくり価格だろ、こんなの」
「アリヤ氏、タイムイズマネー」
運転席を降りたリズムがチッチッと指を振ってきた。いちいちイラっとさせてくるな……。
まあ、きっとここが目的地に一番近いのだろう。明らかにアジア人じゃないドミニコたちはこの街では目立つし、ダラダラ歩くのは避けた方がいい。
傘を広げてドミニコが歩き出したので、俺たちは後について歩き始める。
それにしても、歩けど歩けど広告の主張が激しい。
東洋龍を模した派手な看板がホログラムの火を吐いて、ひょろ長い胴体に映像と中国語と企業ロゴが表示される。炊飯器やアイロンがチラッと映っていたので家電メーカーだろうか?
左手に建っている巨大なデパートの壁面には、アイドルの新譜のPVが大音量で投影されている。
ゴスロリチックな衣装の女が媚びた声で歌っているのをぼんやりと眺めていると、いきなりエクセリアが「あーっ!!!」と声を上げた。
「な……と、突然大声出すなよ。どうしたんだエクセリア」
「あれ! あいつ! 見た!」
「見たって何が。あいつってあのアイドル? テレビとかで見たってことか?」
「そうじゃなくて! あのアイドル、学園で見たぞ! 私を捕まえにきた血の門の奴だ!」
「なんだって?」
もう一度映像を見上げると、右下に雷春燕、ニューシングルと文字が表示されているのが見えた。
ユーリカから聞いた襲撃者の名前も確かに同じ、エクセリアの勘違いということもなさそうだ。
なんで血の門の構成員がアイドルを? あとこいつ、女装した男なんじゃなかったか? 何がしたいんだこの雷ってやつは。
困惑してしまう俺たちに、先を歩いていたドミニコが振り返って声を投げてきた。
「マフィアもヤクザも芸能界に一枚噛むのは定番だろうが。あれもそれだ。血の門自治区じゃあ一線級に人気あるんだとよ」
「な、なるほど。けど何のために? 適当な若い子にアイドルやらせて芸能で稼ぐのはわかるけど、この雷ってやつは幹部っぽい振る舞いだったって聞いたけど」
「さあなあ、コイツの性癖じゃねえか? この街じゃ変人ってのは大体強えんだよ。想像力豊かだからな」
確かに、女装家でアイドルでチャイニーズマフィアやってますなんて経歴はよっぽどの変人だ。自由すぎる。
それだけ好き勝手に生きられればさぞ人生楽しいんだろうな。真似したいとは全く思わないけど。
俺がそんなことを考えている横で、エヴァンが隣でギリリと奥歯を噛み鳴らす音が聞こえてきた。
エヴァンにしてみれば、雷は妹のイリスを拐った張本人だ。大いに思うところがあるだろう。
「エヴァン、大丈夫か?」
「あ? 俺に気ィ使ってんのか」
「妹連れ去った相手を見ていい気はしないだろ? 力は貸すからあんまり思い詰めるなよ」
「……フン」
鼻先で小さく息を鳴らして、エヴァンはそれきりそっぽをむいてしまった。
なんだ? 逆に気分を害しちゃったか? どうもこの手のヤンキー系の人種との接し方はわからん。理屈じゃなくて感情で動くし、意地とか面子を重視するから非合理的で……いや、こんな偏見を持ってるから余計にわからなくなるのか?
俺が困ってしまっていると、エクセリアが背伸びをして耳打ちしてきた。
(フフン、エヴァンのやつ少し嬉しそうだぞ。気遣いのできる男だな! アリヤ!)
(え、嬉しそうか? 全然わからない……)
そんな話をしているうちに、俺たちはいくつかの信号を渡って角を二度曲がった。
目抜き通りよりも奥まった路地に出る。並んでいる店も商業ビルにブティックや家電屋、安全そうな飲食店といった無難できらびやかなラインナップから、どことなくアングラな雰囲気の顔ぶれへと様子が変わっている。
どこまで行くんだろう? なんだか治安が悪くなってきた印象だが、このまま不用意に歩いていて大丈夫なんだろうか。
俺がそんなことを考え始めた矢先、ドミニコが足を止めて一軒の店を親指で指した。
「おうここだ。入るぞ」
俺とエクセリア、それにエヴァンは足を止めて店を見る。
“士安飯店”。なんだよ、飯屋か。
面会のアポを取ってあると言っていたけど、その時間前に腹ごしらえをしとこうってことだろうか。
そうは言ってももうかなり時間が遅い。俺とエクセリアはシエナたちと夕食を済ませちゃったんだけどな。
「何か食べさせてくれるのか!?」
いや、エクセリアはお構いなしだ。お腹はとっくに満腹のはずなのに、またしても見知らぬ土地での好奇心がすっかり勝っている。
ドミニコたちに続いて店に入ると、店内はガラガラだった。
カウンターを併せて30席くらいの店内に、テーブル席でダラダラとビールを飲んでいる客が二人、カウンターに突っ伏して寝ている客が一人。
夕食時はとっくに過ぎているけど、それにしてもあんまり流行ってなさそうな店だな。
そんな少し失礼なことを考えながらテーブル席に腰を据えた俺たちに、ドミニコは足を止めることなく大声で呼び掛けてくる。
「オウ何座ってんだ? 奥行くぞ!」
「何? 私はまだ注文していないぞ!」
「エクセリア姫よお、言っとくが飯食いに来たんじゃねえからな?」
「え、違うの? じゃあ何をしにきたのだこんなところに!」
「だから奥行くって行ってんだろうが。オラ来い、三人ともだ」
俺とエヴァンは顔を見合わせて、渋々と椅子から腰を上げる。どうなってる?
カウンター奥の厨房では数人の料理人が何かを刻んだりしている。明日の分の仕込みだろうか?
ズダン!ズダン! と、肉切り包丁が豚の肉を骨ごと断つ音が一定の周期で響いてきてなんだか威圧的だ。
こんな場所で一体何をしようと言うのか。店の奥、布で間仕切りされた従業員用のバックヤードへと足を踏み入れると、段ボールが積まれた手狭な部屋の中に、一人の男が椅子に腰掛けていた。
少し小太りな体型の中年の彼は、人の良さそうな瞳をわずかに細めて俺たちを順に見る。
「いやあよく来てくれた! 大歓迎だ、ドミニコ……いや、アブラとその同志たち!」
「よーう凱士安。マダム紅をブッ殺す準備は済んだか?」
「明日までには万端になるさ」
「ああ? 今日中に確実に仕上げとけや」
そのやりとりを聞いて、ようやく俺たちはここを訪れた彼の意図を認識する。
腹ごしらえじゃなかった。最初から目的地はこの飯屋だったのだ。
ドミニコはこの男を“凱士安”と呼んだけど、確かこの店の店名は“士安飯店”だった。看板にあしらわれていた顔写真も彼のものだ。
つまり飲食店の店長? 飯屋の店長と手を組んで大マフィアのボスを殺す気なのかよ。正気か?
俺は思わず狂人を見る目をドミニコの横顔に向けてしまうが、彼にそれを意に介する様子はない。おいおい、マジで言ってんのか?
不安と困惑が渦巻く中、ドミニコと凱の打ち合わせが始まる。




